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【サイエンスライター】なかさく ポートフォリオ・お仕事募集フォーム
はじめましてご覧いただきありがとうございます。
京都府京都市にてのライター・フォトグラファーとして活動しております、なかさくと申します。
生物や環境の案件を中心に、サイエンス系、SDGs関連の執筆を多く手がけております。
小さなころから環境問題に興味があり、その興味はずっと続いて、大学・大学院では森林生態学を専攻してタイでフィールドワーク、その後は中学校・高等学校の生物教員として勤務してきました
ユーラシア大陸横断日記41 国別まとめ 後半(カザフスタン・アゼルバイジャン、イラン、トルコ、ヨーロッパ)
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
とても長くなってしまったのでちょいとまとめました。
こちらは後半、カスピ海横断~帰国までです。
前半はこちらです ↓
アゼルバイジャンカザフスタンのアクタウ港でカスピ海横断フェリーに乗船。
船は、アゼルバイジャンのバクーに到着します。
イランア
ユーラシア大陸横断日記40 国別まとめ 前半(中国・カザフスタン・ウズベキスタン)
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
とても長くなってしまったのでちょいとまとめました。
まずは前半、上海~カスピ海横断までです。
中国中国では、上海→西寧→ラサ→ギャンツェ→シガツェ→蘭州→ウルムチと進みました。鉄道を使って出国し、カザフスタンに入国しました。
カザフスタン中国を出
ユーラシア大陸横断日記38 終着ロカ岬
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
イタリア、フランス、スペインと移動し、ポルトガルに入りました。
上海から始まったユーラシア大陸横断の旅、終着のロカ岬に到着します。
前回はこちらです ↓
リスボンからシントラへ
ポルトガルのユースで数日過ごし、シントラへと向かう。
シントラにある
ユーラシア大陸横断日記36 サグラダ・ファミリア(スペイン)
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
ヴェネツィアのサンタルチア駅でローマから日本に帰る後輩を見送り、自分もそのままジェノバ行きの電車に乗りました。
再び1人の旅に戻り、また西へと進んでいきます。
前回はこちらです ↓
フランスからスペインへヴェネツィアを出発し、翌朝ジェノバに到着。
ユーラシア大陸横断日記35 フィレンツェ・ヴェネツィア
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
ローマで大学の後輩と合流し、自分版のローマの休日を満喫しました。
このまま一緒に北上してフィレンツェ、そしてヴェネツィアへと進みます。
前回はこちらです ↓
寄り道フィレンツェフィレンツェへはローマテルミニ駅から列車でわずか1時間30分ほど。
フ
ユーラシア大陸横断日記33 サレルノとアマルフィ
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
ギリシャの港町パトラから、イタリアのかかとの部分にある街ブリンディジへ渡りました。ここから北上してローマで後輩と落ち合う計画です。
前回はこちらです ↓
ブリンディジの日々ブリンディジでは地元のスーパーで食料や日用品を買い、地元の食堂でパスタを食
ユーラシア大陸横断日記32 ギリシャからイタリアへ
ユーラシア大陸を西へ西へ、中国の上海からポルトガルのロカ岬まで。
陸路・海路でユーラシア大陸を横断した、ユーラシア大陸横断(2008)の記録です。
アテネから鉄道を利用し、ギリシャ南西部の港町パトラ(Patra)に到着しました。イタリアのブリンディジ(Brindisi)行きのフェリーチケットを買い、イタリアへと進みます!
前回はこちらです ↓
イタリアへ!フェリーの出発は午後。お世話になった
礼文島と伝説の桃岩荘(後編)愛とロマンの島縦断30kmトレッキング
北海道の旅行者たちの間で噂になっていた「桃岩荘」。
やばいユースホステルだとあちこちで聞き、これは行ってみなければと2005年実際に訪れてみました。
前半はこちらです ↓
礼文島最北のスコトン岬へ翌早朝、
『今日もニシンが大漁だ~~!』
と変な音楽が大音量で館内に流れてみんな起床。
そう、かつてこのユースの建物はニシン漁の拠点だったのだ。
その伝統は姿を変えてこうして今も残っていて、えもいわ