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三竹士

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三竹士スピン番外:若竹の穂先が揺れる

三竹士スピン番外:若竹の穂先が揺れる

若じぃは思い出す。

桜が終わり、フジが終わり、タケノコの季節も終わり、里山の林縁部を辿って散歩していた。物憂げが満ち、毎日のように鬱屈とした気分に襲われていた。

青い若じぃは、足の向くまま、気怠い歩き方で、林縁部の雑草や雑木に誘われながら。見るとはなしに、林縁部の途切れを目にした。窪む空地の向こうがなだらかな斜面になり、広がっている。

(うん、竹藪・・・)

竹藪は疎だった。1本1本の竹の間

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2月13日活動報告

2月13日活動報告

テクテクチクリンが竹のデッキを作っている竹林は1年前に美濃加茂市の事業として整備が行われた場所なのですが、その時に伐採された竹があちこちに山のように集積されていて、視界を遮ったり行く手を阻んだりしていました。この日はその集積されていた竹をみんなで運び出し破砕機にかけるという、今までになく大変な作業となりました。

集積された竹は長いうえに枝があちこちから飛び出して枝同士で絡みつき、引っ張り出すのも

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日記のような、びぼーろくのような(2023.05.17 京都大原野の初夏の香り)

日記のような、びぼーろくのような(2023.05.17 京都大原野の初夏の香り)

京都の端っこの西京区大原野の春はたけなわをすでに通り越していた。
阪急洛西口駅から電動アシスト付き自転車で走る道はほんのひと月前の季節とは様相を変え緑の濃さは増し陽射しの力強さも増していた。

途中、ところどころで田植えの準備を始めていた。トラクターの邁進する田から掘り起こされる虫たちを目当てにサギとカラスが離れない。そんな姿をスマホに収める私をカラスは「あんた何してんの」とでも言いたげにジッと見

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三竹士スピン番外:タケオオツクツクって聞いたことがありますか。

三竹士スピン番外:タケオオツクツクって聞いたことがありますか。

画像:下記から。

最近の話(同定は2019年)だが、竹にもセミが。セミとしては結構大きい、まだ限られている(日本で3か所確認)が、夕方6時半ころから1時間、「旋盤で金属を加工しているような音」を奏でる(?)という。(下を参照)※日本在来種ではない。

名前にあるように、生息域は竹林で、孟宗竹が主だが、真竹にも。竹は滑りやすいので、節につかまっているという。

タケオオツクツクの生息する竹林は限ら

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帰省せる客間夜ごとに竹騒ぐ

帰省せる客間夜ごとに竹騒ぐ

京都の郊外にはやたら竹林が多い気がします。中でも有名なのが嵐山にある竹林の小径ですね。大河内山荘へ続く小径で今では京都らしいと評判で外人観光客でいっぱいです。途中に野宮神社があって以前はとても落ち着いたいい雰囲気だったのですが、「わびさびの世界」を外国の人に見つけられてしまうと一斉に人が押し寄せて来て、あっという間に「わびさびの世界」はどこかに行ってしまいます。

京都の竹林が多い気がしたので実際

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三竹士スピン:満月下の波留

三竹士スピン:満月下の波留

*時代考証は無視しています。

太秦からやってきた大道具組が瞬く間に竹林の中に湯舟を作った。現代のものとも違い、奈良時代のものとも違う。監督と脚本家の話し合いで設定されていた。

波留は斎王役とともに禊が必要だった。その禊の一つとして湯あみが行われる。そのための舞台が設定された。撮影は夜行われた。

警護役のタレントと若じぃが、撮影スタッフの指示に従って、構図上の位置を示され、スタンバイした。それ

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焼き春筍屋台に香る天満宮

焼き春筍屋台に香る天満宮

筍は夏の季語になっています。でも京都では3月の早堀りから始まり4月が旬です。乙訓地域では畑の半分は筍畑になっているほど筍栽培が盛んです。そのほとんどが孟宗竹で1654年に中国から来た隠元和尚が宇治黄檗山に植えたのが最初と言われています。京都の筍栽培は特別にふかふかの土壌で育てることでとても柔らかい筍を作り出しています。寺町通りの「とり市」では筍の季節になると店先には立派な筍が並びます。高くて手が出

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光悦垣;伝統的な竹垣、あったなぁ・・

光悦垣;伝統的な竹垣、あったなぁ・・

画像:下記から。

中学生の時、一部路地を通り抜けて登校しなければならなかった。路地といっても、家と家の間に設けられた細い通路だった。登校するときには、左手にかなり大きな庭園が少し離れて見えた。友の家だった。庭はよく手入れされており、子供心に、「ほーっ」とするため息が漏れていた。

<友の家側の空き地で、ペンシルキャップロケットを飛ばしたことがある。宇宙への扉が開こうとしていた。>※糸川のペンシル

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南信で考えたこと(竹の旅の記録)

南信で考えたこと(竹の旅の記録)

宮島のこの理事長との付き合いは長い。足掛けで25年の月日が過ぎる。
まだゼネコンにいた時、入社後二度目の京都赴任を営業職の立場で命じられた。赴任初日からいきなり四条河原町のマンション建設の地元対応の責任者を仰せつかり発注者であるデべとともに地元自治会長らへの挨拶に回って夕方営業所に戻った。事務所は高島屋の並びの南に少し下がった河原町沿いにあった。8階の事務所に入るとそこから見える東山の山並みは夕陽

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日記のような、びぼーろくのような(2023.3.15 京都大原野の春のひろがり)

日記のような、びぼーろくのような(2023.3.15 京都大原野の春のひろがり)

一昨日、京都は大原野にある放置竹林整備のNPO事務所まで出かけた。
盆地の京都市内は夏は暑く、冬は寒い。三年間京都市内で暮らしたが、旅行に来る場所であって、居を構える場所ではないと京都の皆さまには申し訳ないがそう思った。
この大原野は西京区大原野である。あの三千院のある大原は左京区大原、勘違いされる方が多い。私たちが事務所を置いているのは西京区大原野小塩町(にしぎょうくおおはらのおじおちょう)であ

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傘のシンボル

傘のシンボル

ペるぺるさんが、「傘」を書いた。

この詩をもとにBingChatでShortStoryに変換してもらった。

BingChatは次のようなStoryを考えました。

ある女性が傘をさして歩いていました。雨が降っていないのに、彼女は傘をさして歩くことで、自分自身を守り、周りの人々から共感を得ることができると信じていました。

彼女にとって、傘はただ雨から身を守るためだけのものではありませんでした。

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失われた風景 ~12年の感謝を込めて

失われた風景 ~12年の感謝を込めて

今住んでいる家は12年前に建てた。
山を切り拓いて住宅地として売り出していた一区画で、まだ更地だったその場所を目にした瞬間、夫と私は「終の棲家はここだ」と即決した。運命の出会いだと思った。

最寄り駅から徒歩12分。山の上にあるので家まではかなり急な坂道を上らなければならない。逆に家から駅まで自転車に乗ったとしたら、一度もペダルをこがずに着くのではないかと思う。(やったことはない。そもそも自転車と

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心残りの食べ損ねたラーメン

心残りの食べ損ねたラーメン

ふと思い出すことが多くなってきたが、先が近づいて来たってことじゃないかと思ったりしている。先が近づいたと言っても今日明日のことじゃない、子どもの頃よりはずっとこの先の世界が近づいている、そんな話である。
子どもの頃の記憶は褪せて薄くなっていくが何かをきっかけにカラー写真のように鮮明に思い出すものである。

2月22日猫の日に京都大原野のNPO、『竹ネット』の事務所で話しているなか、これから出てくる

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京都と竹

京都と竹

京都は竹垣がなんで似合うかというと、自然がいっぱい残っているからです。もし京都から竹が消えたら、竹林が全部消えたら京都が京都でなくなってしまう気がします。白樺 青空 南風で、北国に帰ってきた気がする。「北国の春」の歌詞ですが、ひさしぶりに京都に帰って、竹林が消えていたら、どこの国の古都かわからなくなってしまうのではないでしょうか。昭和30年半ばから竹が生活シーンから消えていった。

 竹垣は、田舎

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