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小説置き場

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#創作

種

久しぶりに実家に帰った。あれもこれもうまくいかないことが続き、何とか支えていた最後の一本の柱も、つい先日ぽきんと折れてしまった。

どうしようもなくなって実家に戻ってきたけれど、一昔前のニュータウンには何もない。子どもたちはすでに成長し、大半がここを出て行ってしまった。ぼくもそのうちのひとりだ。……今となっては、「だった」だけれど。

「ゆっくり休みなさい」だなんて優しい言葉をかけてくれるわけもな

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【小説】映写機の月

【小説】映写機の月

 カタカタカタと音を立てる映写機。暗闇のなか、背後から真正面を静かに照らすほの白い光は、まるで月の明かりのようだった。

+++

「月ってさ、あんなに大きくないよねえ、ってずっと思ってたんだよね」

 唐突に、本当に何の脈絡もなくさやかが言った。その言葉に関連があるとすれば、今が夜なことくらいだ。ただ、今夜は月が見えない。だからなのか、自転車を押しながら歩く駅からの道は、いつもより数段暗く思えた

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【小説】図書館の檻をさがして

 ぼおおっと鈍い音が響く。影が揺らめき、少女は微かに肩を震わせた。しばらくあたりを伺うように瞳を左右に動かして、ほうっと小さく息を吐く。溜息に合わせるようにして、炎が踊るように揺らめいた。光が動くことで、闇が一層色濃く存在感を示す。深夜零時。光も音も、すべてが眠りについていた。

 木造の古びた図書館の床はひんやりとして、少女の素足の温度と混ざりあいながら境目を曖昧にさせていく。足の裏で感じるすべ

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【小説】くるりくるくるワンピース

【小説】くるりくるくるワンピース

 ワンピースの裾から、生ぬるい空気が太ももに絡みつく。夏の空気は、ピントがずれた写真のように締まりがなく、それでいて重い。無邪気に裾を広げながら、くるりくるくる回っていられたのは、今はもう遠い昔のこと。二度とあの頃に戻れないことを、彼女は知っていた。

 彼女が今も昔もワンピースを好むのは、ただただ着替えに割く労力を減らしたいからだった。クローゼットにずらりと並べられたワンピースを、適当に引っ掴み

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今の敵は、緑色の渦巻きだけじゃない

今の敵は、緑色の渦巻きだけじゃない

その香りが、どうしたってあたしはニガテ。アレさえなければ、サイコーにハッピーなのになあ、って思う。この暑さとか、湿り気とか。大好きなのよ、あたし。

あたしたちに許された時間は短い。一生を旅だとするならば、今、目の前で手に持ったソレに火をつけようとしているあんたと比べると、あたしの旅は日帰りかもしれないわね。

そんな日帰り旅行レベルの時間しか許されないあたしの命の灯を、今あんたは思いっきり強い風

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その高貴な色のシャンプーは

その高貴な色のシャンプーは

こっぴどい振られ方をした。思い出したくもないから、言葉にはしない。追いすがれるほど感情に身をゆだねることはできなかった。そんな女なんです。最後の最後まで物分かりのいい振りをしてしまって後悔するいつものパターン。後悔はしない。していない。しないんだよ。

まあ、そんな後悔をしてもしなくても、関係なく日々の生活は回る。残酷なほどに。トイレットペーパーはなくなるし、シャンプーはいつもトリートメントと別の

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【小説】裏庭の蜘蛛

ユヅキとボクがそのときハマっていたことといったら、アパートの裏庭に作られている蜘蛛の巣を枝先で壊すことだった。

慌てたように上によじ登っていく蜘蛛を見ながら、ユヅキは頬を紅潮させた。その横顔を見ながら、ボクの胸は高鳴った。

悪いことをしている自覚があるのかないのかと聞かれたら、よくわからなかった。いや、あったのかもしれない。共犯者としての連帯感が、ボクたちを裏庭に呼び寄せていたのかもしれないか

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寸景のマイルストーン

寸景のマイルストーン

 隠し撮りが好きだと言ったら、「やめてよ」と言われた。それでもやっぱり好きだから、懲りずにシャッター切っては、「もう!」と言われている。

 そのときにしか訪れない、一瞬の空気の揺らぎ。今にも溢れ落ちそうになっている、「好き」。そのすべてが幸せで、愛おしい。だから、僕はシャッターを切る。その場所の空気の手触りや匂いもすべて、一枚に閉じ込めるように。

「写真を見返したら記憶が呼び戻されるんだよ」

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生ひ優る花

生ひ優る花

 その懐かしい名前を見たのは、Facebookの友達申請だった。幼稚園の頃、一番仲の良かったハナちゃん。17年ぶりのネット上での再会だった。

 彼女の性は「佐藤」で、わたしの名前は「山本佳奈」。お互い、別に珍しくもない名前だ。おまけに、わたしはプロフィール写真も設定していない。よく申請してみようと思ってくれたなあ。人違いの可能性だってあったのに。

 ハナちゃんはプロフィール写真を設定していた。

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車窓の碧空

車窓の碧空

「命は巡るんやな」

 そっと大事なものを置くように、母が言った。静かな物言いとは対照的に、わたしたちを乗せたトヨタのAQUAは、青空の下を時速100kmで走っていく。わたしは、何とはなしに隣に設置された真新しいチャイルドシートに目をやる。わたしに似ているらしい小さな命が、音も立てずに眠っていた。

「諒ちゃんが生まれる前、おじさんが亡くなりはったやろ。生まれ変わりやないけど、巡るんやなあと思った

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炎節の旅立ち

炎節の旅立ち

 あの夏も暑かっただろうに、なぜだかうまく思い出せない。思い出せるのは、目が眩むような日差しと思考を奪う蝉の鳴き声。感情を浮遊させていた葬祭会場のしんとした空気と、指先の冷たさだ。

 ほとんど話したことがないクラスメイトが亡くなった。「嘘やと思った」と別のクラスメイトが言う。嘘だとしたらタチが悪すぎるけれど、嘘の方が良かった。

 同じ教室で数ヶ月過ごしただけなのに、訃報を受けてから、彼と交わし

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【小説】線香花火は消えない

【小説】線香花火は消えない

「……あ」
「何?」
「ううん、何でもない」

 ふうん? と小首を傾げて、水穂は歩みを再開させた。わたしの半歩先を、つま先をちょっぴり蹴り上げるようにして歩く水穂の背には、以前のように左右に揺れる髪がなくて、まだ見慣れない。



「髪切ったんだ」

 待ち合わせた駅前で、水穂は耳の上の髪を軽くかきあげながら笑った。理由は尋ねなかったのに、水穂は勝手に「別れたんだよね」と言った。

「今どき、

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【掌編小説】臆病な私は、靴を脱ぐ

【掌編小説】臆病な私は、靴を脱ぐ

「笹谷は土足で人の心に踏み込まないだろ。そこに安心できたんだよな」

 その言葉は、わたしに緩やかに、それでいてほどけないようにしっかりと絡みついた。
 そんな風に言われてしまうと、わたしはこの場所から身動きが、取れない。

* * *

 席替えで席が前後になったことをきっかけにして、わたしは伊方と仲良くなった。好きになるまでに、時間は掛からなかったと思う。

 わたしの席の前だった伊方が、席に

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