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日頃の何か

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日記みたいなつぶやきみたいな散文の置き場
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人見知りを脱却するというアンチテーゼ

人見知りを脱却したい!

と常々考えています。
私と話したことのある人は「人見知りだ」というと「絶対に嘘だ」といいます。

対人関係は自然であるけれど、複雑怪奇な代物です。
誰かと話す時はまさしく対人な訳だけれど、自分の存在を相手に植え付ける行為を容易に行えるほど人間ができていません。

「何を馬鹿馬鹿しい」

当然、そうです。
人見知りをする人間は自分という人間を殻で覆って閉ざしている、そういう

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友人であった者たちと7年越しの邂逅に想うこと

中学の同級生たちと会う機会があった。
成人式の時から会っていない人もいて、7年ぶりのことであった。

ふと、こんな事を思ったことはないだろうか。
「昔の友達は今や友達とはいえない関係性だ」
かくいう私もそういう考えを持っていた。
もう会うことのない人を友達とは呼べない。
相手も自分の事を忘れているだろう。
昔はよく遊んだけれど大人になってからは全く会っていないから。
などと心が読み取れない事を言い

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今年の総括です。もはや投稿中に年越し!

今年の総括です。もはや投稿中に年越し!

年の瀬いかがお過ごしでしょうか?
この半年、少しづつnoteを更新するようになって自分の考えやアイデアの安置所のような在り方として確立してきました。
思い返せばnoteを始めたのは平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」を読んだり、「平野啓一郎のそろそろいい時間」を聴いたりする媒体として始めたnoteでした。
その際も少し記事を書いていました。
初投稿「ASIAN KUNG-FU GENERATION

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年賀状は最後の仕事

まともな仕事に就いて初めての年末を迎えた訳ですが、仕事が忙しすぎて年賀状を書けていませんでした。
家にコピー機がないのでコンビニに一枚100円の年賀状を買いに行きました。
40枚買ったら4320円!
当たり前ですけれど、高い、、、
隣のマクドナルドで筆ペン握ってひらすら定型文と住所を書き続けて4時間かけて書き終わりました。

年賀状とは何なのか。
新年の挨拶だけでは済まされない労力。
この4時間に

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PCの存在

PCの存在

3ヶ月ぶりにPCを開いてみた。
仕事が変わって趣味がすべてなくなってしまった。
環境の変化はなくならないと思っていたものも簡単になくしてしまう。
トレーニングも週に5回行っていたが、1回になった。
読書もほとんどできなくなった。
noteの更新もほとんどなくなった。
アニメもほとんど見なくなってしまった。
将棋の勉強もしなくなった。
美術館にも行かなくなった。
音楽も聴かなくなった。

今までまと

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30年経つということ

30年経つということ

小学生の頃、卒業文集で「10年後の君へ」という題目で文章を書かされた。
その頃、私は文章を書くのも読むのも苦手で、ましてや現実に起こっていない未来を想像して書くなど、到底できるものではなかった。
当時の私は少年野球に明け暮れていた。
だから、「野球選手になる」と書いた。
イチローや松井秀喜で好きで、なるなら野球選手だ、とその時に決めた。
しかし、中学に進学し野球部に入るも平凡な部活動で野球選手は夢

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気分屋さん

私が大学生の頃。
確か3年の頃。
音楽を良く聞くようになって、ライブにも行くようになりました。
ライブの会場は大阪が多く、事あるごとに大阪に赴きました。
大阪駅では夜になるとストリートミュージシャンを良く見かけます。
私はライブ終わりに道すがらストリートミュージシャンの歌声に耳を傾けていました。
すると、思わず足を止めてしまいました。
一人の女性が歌っていました。
アコースティックギターとアンプ、

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文章の大切さ

言葉では不十分な事がある。
誤解が生まれやすい。
伝えたい事がしっかりと伝えられない。
そんな事で良く頭を悩ませる。
本当に伝えたいことは直截的に言うべきだけれど、どうしても熱がこもると回りくどくなって結局伝わらない。
自分の感性を信じて「これが正しい」と思い込んでいるから、伝わらなかった時のショックは気持ち悪くなる程に残念だ。

SNSでの言葉、呟き、短文。
ツイッターやLINEのそれは文字であ

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"無冠"という響き

先日、竜王戦第7局において羽生竜王と広瀬八段の決着がついた。
第1局と2局を制した羽生竜王、第3局と4局を制した広瀬八段。
5局、6局は袂を分かち、迎えた第7局。
羽生竜王は勝てばタイトル通算100期、負ければ27年ぶりの無冠。

将棋を知らない人でも名前を知っている羽生善治さん。
私の卒園式のアルバムの後ろに載っている年表に史上初の7冠達成が記されていたのは未だに覚えている。
ここ数年、昔やっ

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10年の足跡

昨日、THE BACK HORNの20周年ライヴに行ってきた。
御堂筋線なんば駅に着くと、懐かしい気持ちになった。
THE BACK HORNのライヴはなんばHATCHで行われる事が多かった。
私が初めて彼らを見たのもここだった。

私が初めて彼らの音楽に出会ったのは学祭の有志発表会であった。
友人がステージで爆発的なエネルギーを発しているのを目の当たりにして、音楽の力に初めて気付かされたのであっ

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今度の秋、迫り来る冬

秋を感じる間も無く冬がやってきた。
秋はいつも知らない間にやって来て、知らない間に何処かに行ってしまう。
私たちに気持ちのいい気温を体感させて、優しくそよぐ風で気持ちを落ち着かせてくれる。
例えるならば、あまり気にした事もないようなことに気がついてくれる女性のような、すっと先回りをしてエスコートしてくれる男性のような、しかし気を衒った感じがしない心地よい性格の人。
秋の様な人間と付き合うとなれば、

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仕事がもたらす人間形成

仕事がもたらす人間形成

久々に記そうと思います。
見切り発車なので誤字脱字はご勘弁願います。

私は今、人生で初めてまともな仕事をしています。
大学の時はコンビニで、大学を卒業してからは工場で派遣社員を。
作りたくもない部品をひたすら十時間作っていました。
家電の裏側を知れてとても良い経験でした。
どんな人がどんな状態でどんな気持ちで作った商品が家庭に並んで行くのか。
その後、友達とルームシェアをしました。
テレビでよく

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読書をしても頭はよくならない

読書をしても頭はよくならない

「純文学読むって言ってたじゃないですか?ってことは頭いいのですか?」

という質問をされ、私は

「頭はよくないし、よくもならないよ」

と答えました。

純文学は頭がよくないと読めない代物と未だに思い込んでいる人がいるらしい。
私が以前書いた記事「小中高と国語が大嫌いだった理由」に通じた話かも知れません。
私は国語が大嫌いですが、読書は好きです。
その理由は自由だからです。
誰の束縛も受けずに自

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小中高と国語が大嫌いだった理由

小中高と国語が大嫌いだった理由

私が本を読むようになったのは、大学生になってからでした。
それまで本というものを避けていました。
中学のときの夏休みの課題に必ずといっていいほどある読書感想文は巻末のあとがきを複写したのかというほど似たように書き写していたし、当然本を読んで書いたことなどありませんでした。
それは高校になっても変わることなく続いていました。
テスト勉強は記憶を問われるものばかりなので何とかやり過ごしていましたが、受

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