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40過ぎてからの婚活・僕の場合

出会う前は苦悩の連日。「ああ、なんでモテないんだ・どうせ変人だし当然だ」「このまま一人で生涯終わったらどうしよう」「いや、これはどんと構えて最後を待つか」などなど。

当時の自分にとっては非常に深刻な40年間ほど続いた悩みでした。

今から考えると、それほど深刻に悩まなくてもと思えてしまう悩みです。

人はみんな違うから、人それぞれの方法があると思います。

なので、完全な俺専用メソッドなのですが、誰かの参考になるかもと思い、書き綴ってみました。

「人はこの真理を忘れてしまった。。。しかし、あなたは忘れてはいけない。あなたは、あなたが心を通わさせてしまった相手には、永遠に責任がある。」サン=テグジュペリ・星の王子様 より

果たして自分は何者なのか?

自分以外の誰かのために、自分は何ができるんだろう?

生まれてこのかた何をしてきた?何が好きなのか?趣味は?どんな希望や夢があって、何を成し遂げたい?今何をして生きているのか?

ごく普通のまともな子供時代を経ていると、ここあたりは大丈夫な人が殆どかも。小学校の勉強をしっかり教えてもらって、遊びに連れて行ってもらったり、父親とキャッチボール、誕生日祝ってもらったり、習い事をしたり、おもちゃを買ってもらったり、友達と遊んだり喧嘩したり泣いたり笑ったりですね。いわゆる普通の事して普通の子供時代を体験していると、趣味とか好きな事とか、将来の夢とか、普通にわかってくるはずなのに。

両親ともに多忙。核家族。おじいちゃんはすでにいない。おばあちゃんは物心がついた直後から7年間死ぬまで寝たきり。

学校の勉強で最初につまずいたのが、3つの数字の足し算のとき。小学校が始まって数週間のことでした。どうやら他の子はお父さんやお母さんが、小学校が始まる前に予習をさせていたらしい。あれから落ちこぼれ人生を歩み始める事になりました。

自分は家でひとりぼっち。友達と遊ぶ事さえ制限されて、一人でいる事が多かった。小学3年生のとき、引っ越してきて机さえ無い、家族全員の物置部屋と化していた四畳半の自分専用の座敷部屋に本を数冊置かれ、勉強でもしておきしなさいと言われ放置された。

自分の部屋の所在が子供の頃から不安定だったため、昔からの自分の持ち物はヘソの緒くらいで何も残っていません。久々に家に帰ってきたら自分の部屋が無くなっていたり、捨てられたり、無断で人にあげたりされている事は日常茶飯事でした。

小学校のころに十分な基礎学力がついていないため、なにをやっても中途半端にしか記憶できない。

そんなんで重要な準備期間である子供時代に、子供としてまともな生活送っていないと、成人してからロクな人間になるはずがない。(ただし、成人してから、かなり教育にお金をかけて頂きました。)

これ、まともな子供時代を経ずに成人したら「あんたは立派に大人なんだから(生物学的に)、あとは勝手に自己責任でやりなさい」では、かなりハードル高くなるの当たり前。よくてゼロ、またはマイナスからのハンデ付きのスタートとなります。

難しいけど挽回はできるはずだ

果たして彼女ができない問題は、カネだけで解決する問題なのか、それとも努力だけで解決する問題なのか。ここでも悩みました。結局たどり着いた自分なりの結論。

カネだけが幾らあっても、心の隙間は埋まらない。カネがなくて知恵が足りないヒトだけの場合は余計悪い。できるならヒトとカネと知恵がたくさんあった方がいい。これがヒトしか無い場合、知恵と創意工夫次第でなんとかなる。

当然ながら、誰か対話する相手がいないと自分は存在しないことと同じになる。相手がいてはじめて、他人の誰かを喜ばせたりできる。自分が何者かを知るには、親元から離れたところで行動して知り合える他者の存在が必要となる。

まずは倫理的で知恵のある友人を作ることを心がけていました。それやり始めたのは、35歳あたりから。

倫理的で知恵のある友人を作るには、それなりに何かお返し出来る人間である必要があります。

別に難しい事は考えずに、カメラとか、適当に好きな事やっていました。自然と、友達が増えていきました。

人間関係の基礎もギブアンドテイク

何かしてもらうのが当然と考えていて、他人任せでは何も始まらないのは当然です。人に任せておいて、何かうまく行かなかったら自分は被害者で責任は全部相手のせい。意外とそんな方は大勢います。

本人は絶対に正しいと思っているので、気づく人は多く無い。

そんな奴とは付き合いたくないのは当たり前ですね。

本人だけでなく付き合う人も貧しくなります。

自分から何か与える事ができないと、当然もらう事はできません。自分が十分に与えられないのに貰おうとすると、必ず厄介な事に巻き込まれてしまいます。ここ辺り、良いご家庭で育てられた子はきっちりと教育されていますが、なんとも教育に不備があると、騙されたり、トラブルに巻き込まれたり、変な詐欺に引っ掛ったりします。

当然ながら、これを理解していないのが原因でいろんな痛い目にあいました。

お店などで買える商品やサービスだと、その道のプロがシステムを作り上げていて、非常にわかりやすく製品説明が練られていて、裏方で色々作業する人が手際よくまとめて、見苦しいところはみせずに美味しいところだけお客様に提供します。その代価として客は、相応のお金を支払います。必ずしも値段と品質は比例はしませんが、良いサービスはそれなりのお値段になります。サービスや製品内容が良すぎる割に、値段が安すぎる場合は、どこかの誰かが損しているか、詐欺だとか、必ず裏がある。

これが、人間同士の関係だと、原則はそのままで実費以外はカネ抜きで折り合いつけないといけない。

持ちつ持たれつの関係で、友人と延々と付き合えるスキルがないと、結婚はおろか彼女作るのは難しい。(*但しカネや美貌で相手に還元できる場合を除く)

マッチングの基礎は「需要と供給」

普通の友達関係は何とか出来るようになった。でも、彼女を作るとなると、自分にも相手にもある程度の制限を課す事になるので、ハードルが高くなるのは当然。

恋人関係を始める前には、考えなきゃいけない事が多い。それが結婚に繋がるかもしれないとなると尚更です。女性の方は更に現実的でシビアになってしまうのも当然だろうかと。

どれかを取れば、何かを諦めないといけない。全部欲しい場合は、それなりに代償が必要になる。

「貧乏なイケメン」よりも「金持ちのハゲ」》という、一見身も蓋もない記事が話題になりましたが、あれは見た目よりカネを選ぶ人が居るというだけで、別に倫理上なんの問題もない。貧乏と暴力と劣悪な環境は油断すると結びつきやすいし、見た目は生き物であればいつかは劣化するので、冷静な戦略的判断だと思います。カネ持っていて横暴になるのはそもそも根本的な人格に問題があるので論外として。

さて、カネも無い、甲斐性も無い、美貌も無い、さて何を売り物にして、恋愛市場に自分を売り込んでいこうか。

まずは人生の目標策定

アイディアだけでも魅力ある商品になる。

政治家も選挙公約掲げて立候補して票を集める。

個人でも、魅力あるアイディアや計画で人を魅きつけられる。

40歳になった時、女の子に振られた直後、緑豊かな人里離れた山の中の一軒家に一人で居候していた(仕事絡みで知り合った家主さんが仕事で忙しかったため、3匹の子犬と家の面倒をみていた)のですが、綺麗な星空や風景を見ながら、自分が何を求めているのか、真剣に考えてみようと考えるに至りました。

心を落ち着けて、この先どのような人生を送りたいのか。どのような人に出会って、どのような家庭を築きたいのか。具体的にワープロで書きだしました。

簡単に内容を説明すると、家庭をもって、子供作って、家族で世界を旅行して・・・と、ごく普通の事です。

運命が変わり始めたのは、その直後でした。

結婚相手をどうやって見つけたか

モテない層にとっては、女の子と知り会う機会を作るのさえ超難関。

まずは、自分と気が合いそうな人と出会える場所に出向く。彼女になってくれる人に会える確率をなるべく高める。これが最初の一歩です。

会える場所は、人によって趣味や趣向が違いますから、ある人にとってはよかった場所でも、別の人にとって出会いを探すのに良い場所とは限らない。

だからこそ、自分は何者なのかの問いが非常に重要になります。

一旦彼女に出会ってしまえば「あらこんなに簡単な事だったの?もっと早く会っておけば良かった。なぜ会わなかったんだろう?」みたいにあっけらかん。この時はじめて、まわりが彼女ができない事が理解できない理由をわかると思います。自転車に乗れない理由を不思議がるようなものだと。

奥さんと出会った場所は、インターネットのフォーラムです。

40歳前半で振られて、結婚するには間に合わないかもしれない事を悟っていたので即行動に移しました。そして、40歳後半には今の奥さんとなる人と知り合いました。

相手がポルトガル人の方で、価値観がすごく違うかな?と身構えていたんですが、意外とすごく価値観が似ている様な気がした。と言いますのも、昔の子供時代のアニメの話で盛り上がってしまって、親近感が湧いた。昭和後期の子供時代のアニメと言えば、ハウス名作劇場など。あの名作の数々の原作は海外の児童文学とかなので価値観が合ってしまうのはごく自然かもしれません。

何十年も前からポルトガルでも日本のアニメがよく放映されていて、例えば、ハイジ、トムソーヤの冒険とか。名作劇場系ではないですがアニメ三銃士、キャンディーキャンディーなどが放映されていたそうです。最近ではジブリアニメが放映されています。

はじめからポルトガル人の人と出会いたかったわけでは決してなく、価値観が似ている人を探していました。たまたま出会って、自分の将来の青写真に賛同してくれた人が、たまたまポルトガル人だっただけです。

知り合って3ヶ月で交際開始(実質半月)

知り合った最初の頃はあんまり連絡をとっていませんでした。

本格的に連絡し始めたのは40歳のクリスマス。お互いに寂しいクリスマスでしたので。

連絡はスカイプのテキストメッセージを主に使っていました。言語は英語で。

最初の頃、主に、人生相談にのっていました。別に付き合うとかじゃなくて、本人が幸せになるにはどうしたら良いか一緒に考えるみたいな感じで。

そのうち、もしかすると、パートナーとしてやってけるんじゃ無いかと思うようになり、クリスマスから半月後、交際を申し込みました。

交際開始から半年でお泊まり会

いつの頃からか結婚も考えていた。

でも、実際に会ってみて暮らしてみないと、本当に気が会うかさえわからない。

という事で、日本にいる僕がポルトガルの彼女の家に3ヶ月遊びに行く事にしました。もし気が合わなかったらお泊まり会即中断という話で決定。

この時、お互い不自由な英語でコミュニケーションをとるということで、注意していたことが一つあります。発言の一つ一つ、少しでも意図がわからないことがあったら、必ず細かく質問していました。また、僕の発言の意図も細かく説明していました。

「この位わかって当然だろう」というのは大きな間違いの始まりです。同じ言語を話していても酷い誤解は必ず起こる。外国語で話していたら尚更のことですから。意思疎通が深いレベルで行えないとなると、長期間のパートナー関係持続は難しい。

そんなこんなで、あっという間に3ヶ月が過ぎました。

お泊まり会の結果、相互の親睦が深まった

実際に会ってみると、スカイプやメールだけではわからない事が色々と分かってきます。お互い悪いところもあれば、良いところもある。

却って仲良くなって、スカイプなどでの連絡が更に頻繁になりました。

交際開始から10ヶ月経過した頃。結婚するのも良いねえという話は何回か話題に出ていましたが、具体的には話が進みませんでした。このままダラダラと続けても、どうしようもなくなる。というわけで、結婚しようと申し込みました。

そういえば、プロポーズ時点で、所持金30円、銀行の残高は150円でした。

どうしようもないので、とりあえず、神社までお参りにいきました。

交際十ヶ月でプロポーズ

結果はもちろんOKでした。即座にグーグルDOCSを作成して書類を二人で共有。結婚に必要な情報収集と、役割分担および段取りなどを示した行動計画、予算案の作成に二人同時で取り掛かりました。

お金が全く無い状態からの結婚大作戦始動だったのですが、日本の親戚と、一緒に仕事をしている友人からの支援でお金は何とかなりました。不思議なことに、予算案を他の誰にも見せた事がないのに、過不足が全くなく、必要な分だけキッチリとお金が入ってきたのです。

第二期お泊まり会・結婚準備

再びクリスマス前にポルトガルへ出向きました。

この時は、主に結婚準備。お役所に行って結婚する日取りを決めるなど。結婚指輪も買いました。

また、これから60年間、世界がどのように変わって行って、どの様な人生設計をやるべきか、基本方針、家庭の理念、お金の管理方法の取り決め、意思決定プロセスの原則、仕事、住まいから子供の教育方針や名前まで事細かく話し合って二人で決め、全て書類化しました。

なぜ、そんな面倒臭いことをするのか?

友人関係を超えた人間関係の枠組みはシステムです。家族もシステムの一つです。どんなシステムでも運営がスムーズでないと、グループの最大限の効果を発揮できません。システム運営は、お互いに納得して作った決まりごとがあると安定します。

共通の目的を共有できなくなった集団は腐敗する。いままで過去に見てきた事から学びました。パワハラ、学級崩壊、集団暴動、対立や喧嘩、あらゆる不法行為、価値の崩壊、イジメなどなどが起きるのは、真面な共通の目的が無いか、もはや持てなくなったその時から始まります。

結婚もそんな感じだろうと思って、この最初の目標設定の辺りは慎重にやりました。

ついでに、結婚前一度くらいは日本に見てもらいたかったので、彼女の飛行機チケットを購入しました。

彼女訪日・はじめての長距離旅行・はじめての日本

交際開始後1年と4ヶ月。はじめて彼女に日本に来ていただきました。リターンビジットです。

2週間弱の滞在。既に4月中旬だったので、実家がある九州では既に桜は散っていた。せっかく日本に来たんだからという事で、東京に連れて行ったり。熊本にも行く予定だったのが、丁度行く前日に大地震が起きて、当日乗るはずだった九州新幹線が不通に。

それでもすごく楽しかったそうです。未だに日本に行った時のことを思い出して、嬉しそうに話しています。

交際開始後一年半で結婚へ・結婚式に着る服から結婚式までの費用は10万円

結婚式は、奥さんのお兄さんの家で挙げました。義理の兄である奥さんのお兄さんが料理の材料、料理の調理から式場の準備まで、義理の兄と奥さん子供四人だけで手作り結婚式をしてくれたのです。そのため、結婚式に掛かった費用は10万円でした。ポルトガルで普通の結婚式を挙げるとなると、この10万円と言う費用はどう考えても不可能な数字らしいです。

おかげさまで、みなさまの力添えにより、結婚式は、それは忘れられないほどとても素晴らしいものになりました。

年老いた義理の母との不和

結婚生活は順調です。

残念ながら我が家は貧乏です。幸い食べる事だけには困っていませんが、日本レベルの生活水準とは絶望的に程遠い。ポルトガルの物価が安いのと、日本ほど面倒な出費が少ないからなんとか楽しく生活できているだけです。

経済的な事柄より問題なのは、奥さんの年老いた80歳になる義理の母との共同生活でした。

義理の母は常にネガティブで、朝から晩までため息ばかり、口を開いたら愚痴弱音を吐くのは茶飯事、人を見下したり、「どうせだめだから、やめときな」と落胆させたりします。とても気難しく、暴言を吐いたり、自分の気にくわない事があったらすぐに暴力的になったり、突然怒り出したりと、かなり嫌な思いをしました。かと言って認知症でもない。奥さんはもちろん、義理の兄とその家族でさえ手を焼いているほどです。これでは貧乏なのも無理はない。事実、親族に悪い影響を与え負担を掛けまくり、みんな貧乏になっている。経済状況を好転させるには、負の連鎖をどこかで断ち切る必要がある。

あとで分かったことですが、実は義理の母は発達障害ではないかと言う事です。20世紀前半の世界はまだ貧しくて、今では考えられないほど過酷な生活が当然だったそうです。詳しく幼少期のことを妻に尋ねたところ、虐待、ニグレクト、貧困など、幼少時代のことが詳しくわかってきました。そんな体験が、現在の義理の母を気難しくさせているのではないだろうかと。

義理の母の心には、色々な性格が混在しています。博愛主義的な顔をみせる一方で、突然エゴイストになったりします。

非常に現実的で冷徹に聞こえるかもしれません。義理の母は誰に対しても、永遠に博愛主義であるわけでもなく、永遠に味方と言うわけでもない。ただ自己利益の保身という目的があると言う事だけは確実です。

義理の母と別居するという選択

あまりにも義理の母の素行が酷いため、別居を二人で考える事は度々です。

空の巣症候群という言葉があります。子供達が巣立った直後に鬱になってしまう状態の事。準備期間を置かずに別居を断行してしまうと、ショックで思いがけない結果となるかもしれない。

僕の日本側の親戚では、少なくとも二人が、後期高齢者の年齢で、一人だけで住む様になった直後に倒れて寝たきりになっています。病院にお見舞いによく行っていましたが、末期は「しにたい。しにたい...」とだけ言っていたのを思いだします。

つい最近の例では、明治時代九州生まれの104歳で2014年に亡くなられた日本の親戚の方。本題から逸れますが、この方は結婚はしていましたが子供がいませんでした。早くに亡くなったおばあちゃん代りになって頂いて、とても可愛がってもらいました。若い頃、貧しくて学校にも満足に行けなかった。成人してから看護師になっても、勉強への興味は衰えず、自分なりの方法で勉強しようとしても、基礎が出来ていないので難しい事を理解できずに断念したようです。この方の晩年には、1年につき合計700万円の医療費が掛かっていました。9割は日本国が負担していました。

ポルトガルではどうなっているのか分かりません。基本、親族が面倒をみる事になっている様です。日本の親戚と同じ様な状態になったばあい、親族の時間、手間や経済的負担がかなりのものになると簡単に想像できます。

そのため、別居のプロセスは、なるべく慎重に行わないといけません。

何度か別居する機会がおとずれた事があります。妻と話し合った結果、当面は別居はしない選択をしました。

それと同時に、義理の母に関する三つのシナリオを想定した上で、三つのプロトコルを取り決めました。何かよくない事態が起きたら、即座に適当な規定プロトコルを実行するというものです。これだけでも心理的な負担をかなり軽くできます。

親族間の問題解決にパワーポイント形式のプレゼンテーション導入

義理の母の気難しさのせいで、20年間ほど放置されていた経済的な問題がありました。この話に触れると何故か皆んな揃って怒り出す妙な問題でした。

それもそのはず。この問題が無事に解決しないと、親族揃って多額の借金を抱えてしまうような問題です。

停頓の原因は義理の母です。過去20年間、常に義理の母の我儘で、問題の解決を遠ざけてきたそうです。

みなさん好き勝手放題で主張し合うだけで、堂々巡りで一向に解決しない。と言う事で、ある日に親族を呼び寄せ、大型テレビにスライドを写し、現況のまとめ、複数の解決策ケースシナリオを提示しながら、奥さんと一緒にプレゼンを行いました。

この話し合いの結果、奥さんが問題を良い具合に処理できる状況になったので、自然に問題が解決していきました。

交渉術のトレーニング

奥さんとは、義理の母を刺激する様な問題が起こりそうなとき、提案をする必要が出るとき、また問題が起きた直後に、10分ほどの短い作戦会議とシミュレーションをしています。

僕は、ポルトガル語を話せません。義理の母は英語を話せません。なので僕と義理の母がコミュニケーションをとるには、妻が通訳しないと成り立ちません。一見不利な状況に見えますが、却って都合が良いのです。

基本は、刺激するような話題を持ち出さない事です。例えば、小さな金額でも、お金関係の話になると決まって激昂してしまうので話せません。

義理の母の前で微妙な話題を話す必要があるときは、その都度 話の内容、話題を出す順序、相槌、質問をしたり話出すタイミングなど、僕がその場で細かに指示するなどしてサポートしていました。最近は奥さんも慣れてきたのか、事前の短い作戦会議だけで適当にやってくれる様になりました。

更には、奥さんには「人を動かす」と言う本をプレゼントしました。早速役に立っている様です。

結婚直後は、義理の母は決まって感情的になり、どうしようもない事になっていたのですが、最近の義理の母は以前と比べると、かなり話を聞いてくれる様になりました。

義理の母とお仲間作戦

義理の母の強烈な性格のためか、義理の母は社会から完全に孤立しています。親戚にも愛想をつかされ、親族は義理の兄の家族と奥さんと義理の母のみ。僕を含めて総計7名の小さな親族です。他の親族との付き合いは一切ありません。

親族で問題を抱えているものがいれば、みんなで解決します。単なる友達や知り合いでは難しいかと思います。でも、親族だと付き合いが嫌でも継続していきます。親族だからこそ、踏み込んで援助したり、将来を一緒に考えたり、安心して悩みを聞いてもらったりできる。一人、二人だけで悩みを抱えなくても良い。親族の繋がりがあるからこそ、人間は生き残ってこれたのでしょうか。

義理の母は、彼女独特の気質のためか、社会のみならず親族内でも孤立しています。とは言っても、80年は無駄に生きていないはずで、たとえ家庭の主婦しか経験がなくても(学校に行きたかったけど行かせてもらえなかった)、親族の中で何か重要な役割を担えるはず。

まだ、進行中のプロジェクトですが、本人が重要で頼りにされていると感じるにはどうしたら良いのかを考えながら、色々と模索しているところです。奥さんや親族と一緒になって「お仲間作戦」に取り組む事で、最近は義理の母の機嫌が良い日が次第に多くなってきました。

しかしながら、いくら頑張ってみたところで、どうしても義理の母の素行の抑制には限界があります。別居の選択肢はまだ諦めてはいません。

気をつけないと、いつかは自分たちも老害に

今のところは、義理の母で手を焼いていても、いつかは自分たちが老害と思われて煙たがられるときが必ずやってきます。

人は、謙虚に学ぶ事を諦めてしまったら、スーパー老害になっていくのではないかと思います。たとえ若い頃に「自分だけは老害にならないだろう」と思っていても。

また、健康にも気をつけていないと、親族や子供に迷惑が掛かります。「私は病気したらすぐに死ぬから、みんなには迷惑かけん」という考えの人が少なからずいます。人間は、なかなか簡単には死にません。

なお、僕の父も結構な年齢ですが、退職後から毎日勉強と運動を欠かさずしていて、今では徳が高い系みたいな感じです。

山積する今後の課題

当面の課題は仕事をどうするかについてです。

夫婦揃ってフリーランスという不安定です。とは言っても、どの様な職でも不安定な昨今ですが。そのため少しづつできる事を広げていかないといけません。

商売はギャンブルではないので、今始めてすぐに結果が出る事は決してありません。

奥さんが年始より新しい商売を始めていて、ゆっくりではありますが、とても順調に成長しています。僕の方も、次の何かを探している途中であります。

世の中の移り変わりは、前と比べて格段に早くなってきており、流行を常に把握していないと、どんな商売でも、今は良くても数年後には必ず鳴かず飛ばずになります。

焦らずにゆっくりと商売を育て、将来を俯瞰する余裕が許されるのは、家族や親族がいるからこそだと思います。

結婚は二人だけの関係なんだろうか?

結婚してからたったの3年しか経っていませんが、まだ奥さんは幸せと言ってくれています。

結婚は二人だけの関係だと言う見方は理解できると思う一方で、親族と助け合いながら付き合っていく事も重要だと痛感しています。

例えば、ある家族が嫌な奴だから即別居して距離を置くと言う選択は、一見論理的にみえますが、長い目で見ると親族内での関係が突然断絶されてしまうと、親族組織の最大限の効果を発揮できなくなるので、結果的に親族みんなにとって不利になります。経済的格差が更に激しくなっていく今の時代では尚更の事です。

みんなで力を合わせて毎日過ごした方が楽しいはず。


写真はポルトガル・リスボンで毎年開催される日本祭の終わりを飾る灯籠流しの様子