見出し画像

【社会】世界の難民が1億人を超える~日本人であるだけで幸せだ~

始めに

世界の難民が1億人を超えたとのニュースが流れていました。衝撃的です。ウクライナからの難民が多数発生したことで、ついに大台を超えたようです。70人に1人は難民として生活をしているということです。日本の人口が1億2千万人ですから、大体日本人とそうかわらないくらいの人が難民として生活をしています。この現実に私たちはどう向き合えばよいのでしょうか。

国を追われた人々の人生は

当たり前ですが、難民というのは、国を追われた人々のことです。つまり、仮に住む住居はあったにしても、帰るべき本当の場所はないわけです。やはり人間には帰るべきところが当然のようにある人が多いと思います。一概に難民と言っても、仮設テントで寝泊まりする人もいれば、住居はあるという人もいるでしょう。

そこで考えを巡らせた時に、国を追われて難民となった人達の人生です。私達日本人の多くは、給料が低いとか何とか言いながらも、自分がこうなりたいという夢や目標は持っています。しかし。きっと難民として生活をする人達の多くはそれすら感じることが出来ないのではないかと思います。今日明日の生活をすることで精一杯ということです。「人生」というものは、自分のこうなりたいということを達成するためにある当たり前のように考えてしまいます。しかし、それは当たり前ではないということです。

普通に生きられることに感謝を

生命の安全が確保され、十分に食べることが出来る。そして学ぶことが出来る今の環境というのは、本当にありがたいなと思います。どこからかミサイルが飛んできて、街が破壊される状況であれば、安心して夜も眠ることが出来ないでしょう。また、食べるものが十分になければ、もちろん今日は生きることが出来ても、明日はわからないということになるでしょう。また、そいった状況にあれば、当然のことながら学ぶこと、勉強をすることも出来ないと思います。

幸福とは何かということを少し前に書きましたが、この当たり前こそ「幸福」なのだろうと思います。本当にそう思います。

誰かの犠牲の上に生きている

世界に目を向ければ、本当に向けた目を覆いたくなるような現実があります。本当に悲しいです。しかし、もしも全員を救おうとしたらどうなるか、それは食糧不足です。70億人を食べさせることが出来るような食料生産には達していません。人口があまりにも多すぎるわけです。ということから言えることは、誰かの犠牲の誰かが生きているということです。そして生きている人の1人が自分であり、日本人だということだと思います。

終わりに

自分が世界を語ったところでどうなるわけでもありません。虚無感を覚えます。そして明日も仕事があって、自分はお金を稼いで生きてかないといけない。この現実を受けれながら、理想というものも捨てるわけにはいかない。非常に難しい時代に生きているなと思いながら、まずは興味や関心といったころから、未来のあるべき姿を考えたいと思います。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後までお読みただき誠にありがとうございました。

この記事があなたにとって少しでもプラスになれば嬉しいです。

もっと輝いている未来の自分を想像しながら、今を生きて行きましょう。

辛いことも苦しいことも、それはきっと成長している証拠。

スキ・フォローもお待ちしています。

よろしければサポートもお願い致します!! 「継続は力なり」 これからもコツコツと頑張って参ります。