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脱毛、発毛、育毛のほかアラサー・アラフォー男子がイケてる大人になるためのtipsを(自…

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脱毛、発毛、育毛のほかアラサー・アラフォー男子がイケてる大人になるためのtipsを(自分のためにも)書いていきます。 これまでヒゲ、指、(ほぼ)全身脱毛経験済み。フィナステリド愛用中。 マインドフルネス、筋トレ、有酸素運動実践中。野球と読書LOVE⚾️

記事一覧

書籍「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」が人気らしい。私は幸い読めなくなることはなくむしろ増えているくらいだが、一方で映画はまるで観られなくなった。Amazonプライムで手軽に観られるし見たい作品はたくさんあるのに。ドラマも同じ。リフレッシュを細切れにしたい欲求の表れかも。

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16時間前
1

怒りは肯定される感情ではないが、ゼロはまた困る。自分も周りも気分が悪くなるのになぜ怒りは進化の過程で消えないのか。それは自分の嫌なことを自分にも周りに示し、より良い環境を作るべき(あるいは離れるべき)であると気づかせるためではないか。逆に「怒り」がなければ歪な関係が続いてしまう。

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1日前

指導する立場にいると、「⚪︎すべき」とか「⚪︎した方が良い」という言い方をしがちだが、これは相手に壁を作らせることもありうる。言いたいことは同じでも「私(あるいは△)は⚪︎をしている」という言い方は壁を作らせにくいと感じる。やるやらないはともかく「いったん受け入れる」点では差がある。

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2日前

現在はAGA治療のおかげで薄毛の悩みは解消。ムダ毛は気になるところの脱毛を終えたのでこちらも解消。それまでけっこうな時間を髪とムダ毛に使ってきたが、それがまるまる別のことに使えている。悩み自体が解消されたのと同じくらいかそれ以上に、悩みに費やしていた時間が活用できているのは収穫。

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3日前

自己啓発本には「かつてダメダメだった私が成長した思考」をテーマにしたものが多い。確かに本人は当時をドン底に位置付けていると思うが、他者から見たら全く底ではなかったり。それは比較対象が大企業勤務者などの超優秀な人だったりするから。できる人もダメだと思ってる、くらいに思えば楽になる。

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4日前

「他者との比較」は人生で避けるべきことに挙げられることが多い。とはいえ社会生活(特に仕事)で完全に比較しないというのは難しい。「比較しない」ではなく「自分を伸ばす」ことにフォーカスすることで幸せに近づくこともできる。MLBのベッツ選手の言葉「最高の自分を作る」はそれを端的に表す。

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5日前

身だしなみとして清潔感や自己管理が求められる昨今。いずれも多少の「自分を変える」ことは避けられないが、一方で「ありのまま」の自分も大切だと言われたり。どこまでの「ありのまま」が許容されるのか。毛深い、薄毛、肥満はどうか。歯列矯正は?外部の基準は変わるので自分で基準を持つしかない。

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6日前

一昔前と現在の40歳とを比べると、今の方がずっと若く見えることが多い。その理由は美容技術やアイテム・習慣の発達や美意識の向上、若々しくいることの追求などあるが、いちばんは「髪型」だと考える。いわゆる老けて見える40歳の髪型を見ると得てして「古い」。肌などはそんなに急に変わらない。

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7日前
2

自信は書いて字のごとく自分で決められる。他者評価や実績も自信になり得るが、根拠がなくても問題ないし、根拠は自分で「勝手に」作れる。例えば以前より髪が増えた、剛毛だった脚が綺麗になった、というのも立派な自信の根拠。周りは誰も気づかずとも自分にとっては大きな変化。自信は自己満から。

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8日前

企業の多様性の受け入れ度は新卒の格好である程度わかる。フラットな組織であると謳う企業は多いが、実態が合ってないこともしばしば。確認手段の一つが新卒のファッション。硬くない文化と言いつつ入社後もリクルートスーツばかりなら企業文化が伝わっていないか、実態が規律重視の会社だということ。

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9日前

一般的に行動や身だしなみによる印象の良し悪しはその「単体の」行動で評価される。例えば髪型や話し方に気をつけましょうとか。しかし実際には人の印象は複数の要素で決定されるし、その要素には強弱がある。例えば靴。手入れされていない靴を履いているとその人の言動が全ていい加減に感じてしまう。

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10日前

試験や仕事の成績は定期的に可視化される。体の状態はどうか。健康診断という形で数値化されるが、「体型」という結果は毎日見せられている。アスリートの体に魅力を感じるのは、彼らのそれを人が本能的に「健康的な状態」と認識しているから。いわばインプットされた正解。そこを目指すのは必然。

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11日前

美容系の情報に触れる際に気を付けているのは個人の感想と集合の観察結果を分けて受け入れること。個人の感想が重視されるのは例えば個別の手術。集合体の結果については断食や食事内容、運動などの生活習慣。それらを混同すると例えば「Aさんに適応した手術」を選択して自分には合わない、が起きる。

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12日前
1

ここ数年で自分のポジティブな変化を実感したのは「苦手な人とのコミュニケーション」。苦手だけど離れられない状況でどう向き合うかをものすごく悩んで乗り越えた。結論は「(自分には理解できなくても)その人にとってその行動は正解」だと割り切ること。べき論の限界と時に邪魔になることに気づく。

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13日前

ファッションや髪型など、身だしなみの社会的な基準を満たしていると思っていた。が、人前に出る立場をもらうとそれは吹き飛んだ。格安の美容室からそこそこの美容室に切り替え通う頻度も上げ、ファッションもメルカリからセレクトショップに変わった。知らず知らず「大丈夫」の基準が下がっていた。

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2週間前
2

30代から40代にかけてアンチエイジングに関心を持つ人は多い。見た目や体力に変化が出てくるから必然だが、手間がかかるがやっただけ結果が伴うのがアンチエイジングの楽しいところ。20代は親から与えられたもので勝負するしかないが、30代以降は違う。30代以降の魅力は自分の意思で出る。

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2週間前
1

書籍「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」が人気らしい。私は幸い読めなくなることはなくむしろ増えているくらいだが、一方で映画はまるで観られなくなった。Amazonプライムで手軽に観られるし見たい作品はたくさんあるのに。ドラマも同じ。リフレッシュを細切れにしたい欲求の表れかも。

怒りは肯定される感情ではないが、ゼロはまた困る。自分も周りも気分が悪くなるのになぜ怒りは進化の過程で消えないのか。それは自分の嫌なことを自分にも周りに示し、より良い環境を作るべき(あるいは離れるべき)であると気づかせるためではないか。逆に「怒り」がなければ歪な関係が続いてしまう。

指導する立場にいると、「⚪︎すべき」とか「⚪︎した方が良い」という言い方をしがちだが、これは相手に壁を作らせることもありうる。言いたいことは同じでも「私(あるいは△)は⚪︎をしている」という言い方は壁を作らせにくいと感じる。やるやらないはともかく「いったん受け入れる」点では差がある。

現在はAGA治療のおかげで薄毛の悩みは解消。ムダ毛は気になるところの脱毛を終えたのでこちらも解消。それまでけっこうな時間を髪とムダ毛に使ってきたが、それがまるまる別のことに使えている。悩み自体が解消されたのと同じくらいかそれ以上に、悩みに費やしていた時間が活用できているのは収穫。

自己啓発本には「かつてダメダメだった私が成長した思考」をテーマにしたものが多い。確かに本人は当時をドン底に位置付けていると思うが、他者から見たら全く底ではなかったり。それは比較対象が大企業勤務者などの超優秀な人だったりするから。できる人もダメだと思ってる、くらいに思えば楽になる。

「他者との比較」は人生で避けるべきことに挙げられることが多い。とはいえ社会生活(特に仕事)で完全に比較しないというのは難しい。「比較しない」ではなく「自分を伸ばす」ことにフォーカスすることで幸せに近づくこともできる。MLBのベッツ選手の言葉「最高の自分を作る」はそれを端的に表す。

身だしなみとして清潔感や自己管理が求められる昨今。いずれも多少の「自分を変える」ことは避けられないが、一方で「ありのまま」の自分も大切だと言われたり。どこまでの「ありのまま」が許容されるのか。毛深い、薄毛、肥満はどうか。歯列矯正は?外部の基準は変わるので自分で基準を持つしかない。

一昔前と現在の40歳とを比べると、今の方がずっと若く見えることが多い。その理由は美容技術やアイテム・習慣の発達や美意識の向上、若々しくいることの追求などあるが、いちばんは「髪型」だと考える。いわゆる老けて見える40歳の髪型を見ると得てして「古い」。肌などはそんなに急に変わらない。

自信は書いて字のごとく自分で決められる。他者評価や実績も自信になり得るが、根拠がなくても問題ないし、根拠は自分で「勝手に」作れる。例えば以前より髪が増えた、剛毛だった脚が綺麗になった、というのも立派な自信の根拠。周りは誰も気づかずとも自分にとっては大きな変化。自信は自己満から。

企業の多様性の受け入れ度は新卒の格好である程度わかる。フラットな組織であると謳う企業は多いが、実態が合ってないこともしばしば。確認手段の一つが新卒のファッション。硬くない文化と言いつつ入社後もリクルートスーツばかりなら企業文化が伝わっていないか、実態が規律重視の会社だということ。

一般的に行動や身だしなみによる印象の良し悪しはその「単体の」行動で評価される。例えば髪型や話し方に気をつけましょうとか。しかし実際には人の印象は複数の要素で決定されるし、その要素には強弱がある。例えば靴。手入れされていない靴を履いているとその人の言動が全ていい加減に感じてしまう。

試験や仕事の成績は定期的に可視化される。体の状態はどうか。健康診断という形で数値化されるが、「体型」という結果は毎日見せられている。アスリートの体に魅力を感じるのは、彼らのそれを人が本能的に「健康的な状態」と認識しているから。いわばインプットされた正解。そこを目指すのは必然。

美容系の情報に触れる際に気を付けているのは個人の感想と集合の観察結果を分けて受け入れること。個人の感想が重視されるのは例えば個別の手術。集合体の結果については断食や食事内容、運動などの生活習慣。それらを混同すると例えば「Aさんに適応した手術」を選択して自分には合わない、が起きる。

ここ数年で自分のポジティブな変化を実感したのは「苦手な人とのコミュニケーション」。苦手だけど離れられない状況でどう向き合うかをものすごく悩んで乗り越えた。結論は「(自分には理解できなくても)その人にとってその行動は正解」だと割り切ること。べき論の限界と時に邪魔になることに気づく。

ファッションや髪型など、身だしなみの社会的な基準を満たしていると思っていた。が、人前に出る立場をもらうとそれは吹き飛んだ。格安の美容室からそこそこの美容室に切り替え通う頻度も上げ、ファッションもメルカリからセレクトショップに変わった。知らず知らず「大丈夫」の基準が下がっていた。

30代から40代にかけてアンチエイジングに関心を持つ人は多い。見た目や体力に変化が出てくるから必然だが、手間がかかるがやっただけ結果が伴うのがアンチエイジングの楽しいところ。20代は親から与えられたもので勝負するしかないが、30代以降は違う。30代以降の魅力は自分の意思で出る。