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新社名 DX HUB株式会社
2020年2月1日に
ジェイピーモバイル株式会社と
株式会社イメージワークスを合併し
新社名「DX HUB株式会社」として再出発いたしました。
イメージワークス社は2004年に京都で設立し
2005年から10年間以上、国策の一つであった光ファイバー網の構築に営業面で関わり成長しました。
2012年よりクラウド型名刺管理サービス「sansan」の販売代理店として活動し、現在では総代理店として活
何十年も経って気付いた人生のターニングポイント
51歳の朝を迎える事ができました。
子供の頃は自身の境遇から将来を悲観的に見てましたが、中学1年生の春に近くのコンビニで雑誌の返品のアルバイトをさせて貰ったことがキッカケとなり、ラーメン屋さん居酒屋でも経験積ませてもらい20歳で独立しました。
まだまだ経営者としては中途半端な結果しか出せてませんが素晴らしいパートナー、仲間と一緒に高みを目指す道中を続けることができていることに感謝です。
最近は
Linkedinイベントにて登壇いたしました
イベント概略
対象 人材紹介事業者のリクルーター
場所 丸ビル イベント会場
主催 Linkedin日本法人
内容 Linkedinインサイト情報とユーザーである ネオキャリアさん、 DXHUB,から活用事例を発表
Linkedin 社員さんからインサイト情報の共有
インサイト情報は残念ながらSNSでのシェアが許可されなかったので公表できないのですが、アクティブユーザーが増加していることや
海外インターンシップで新しい風が吹いた
きっかけは一通の手紙
2009年だったと記憶しているが一通の手紙を受け取った。
送り主は面識のない京都大学2年生 大槻くんからで手書きで
「AIESEC」という海外インターンシップの案内が情熱的に書かれていた。
ガチ訪問営業会社のイメージワークス(当時の社名)に海外インターン生とは何の冗談かと感じたのが最初の感想。
しかし、営業出身の私は汚い字でも手書きでのアプローチは正直好き。
一度話しく
Sansanとの出会い
重要な商談での失敗からSansanと出会う
2011年の春 東京で大手通信会社の田中さんという方と約束があり上京した際にうっかり先方の部署名やフルネームを言えず大変困ったことになった。
澤田「14時に田中さんとお約束しているイメージワークス澤田です」
受付の方「田中の部署かフルネームお分かりでしょうか?」
澤田「名刺を京都に置いてきてしまい田中さんとしかわかりません」
受付の方「申し訳ない
生き残りをかけた変革 (変革4)
2005年からの7年からは光回線の販売代理業を中心に成長してきた
初代マネージャー松川が退職後は伊山順吉がその中心となってマネジメントにあってくれた。彼は19歳で入社し今でも通信事業部のパートナー責任者として活躍してくれているので急成長も停滞からの撤退、そして新事業立ち上げ全てを見てきている一人
このように過去を思い出し文章にすることで、多くのハードシングス、表現しにくい感情になる経験をしたことが
急成長からの停滞(変革3)
成長市場の波に乗る
以前書いたように2005年から2010年はNTT社による数兆円規模の投資により私達の事業も一気に成長しました。
2005年に2000万円程度だった売上が翌年に4億円成長し
2006年以降 拠点も京都から大阪、奈良、沖縄、福岡、愛媛、高知、名古屋、静岡と拠点を広げることができました。
この時期はメンバーの給与も上がれば昇格も早くまさに飛ぶ鳥を落とすような勢いだったと思う。
全員未経験から訪問営業に挑戦 (変革2)
全員未経験から訪問営業に挑戦
通信の仕組みはある程度理解できているが、訪問営業は私含め全員が
初めての経験だった。
この後に書くように苦労も多かったがナレッジやカルチャー作りを自身で工夫してできたことが継続して事業を立ち上げることができる組織になったのだと感じている。
営業手法は自転車によるローラー営業
先にも書いたが資金がほとんどないので初期費用や電話代が掛かるテレマーケティングは最初から
ガチ営業会社になったきっかけ (変革1)
2004年にイメージワークスを創業した当時は流行り出したホームページの作成やデータベース管理などおしゃれなことをやっていた。
メンバーは4名、番頭の福井 (工業高校の同級生)ウェブ制作ができる山ちゃん 、コンピュータオタクの大ちゃんこのメンバーで京都市、河原町二条の新築マンションを借りてオフィスとした。
そこに広島から松川がJoinし営業コンサルを二人で立ち上げた。
大ちゃんは家がなかったの