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『DA・DI・DA』 松任谷由実
『DA・DI・DA』は1985年発表の松任谷由実17枚目のオリジナルアルバムである。
このDA・DI・DAは「ダ・ディ・ダ」でなければならなかった。ダ・ディ・ダに意味は無いが、ラ・ラ・ラでもル・ル・ルでもない。ダ・ディ・ダという濁音の強いイメージだ。
何かつらいことがあっても「ダ・ディ・ダ、ダ・ディ・ダ」と鼻歌交じりに前を向いて進んでいく自らの応援歌のような歌。その背景にはこの作品の発表年がある
『タンゴ・イン・ザ・ナイト』 フリートウッド・マック
80年代はロック不毛の時代と言われている。録音技術や楽器、特にシンセサイザーの技術革新により音楽自体が変化した。
シモンズのドラムやシーケンサーなど、打ち込みとペラペラなシンセが軽い音楽となって街にあふれていた。ちょっとでも70年代風のロックテイストがあろうものなら、「古臭い」と全否定されてしまうのもあの頃の風潮だった。
あの泥臭い声のスプリングスティーンだって「ボーン・イン・ザ・USA」で
コンセプトアルバムは何処へ。
このエッセイを書いたのが約20年前。まだサブスクも無く音楽配信が目新しかった時だった。
その時はまだCDというソフトに対する不満だったのだが、2024年の今はそのCDが絶滅の危機に瀕している。
サブスク世代にコンセプトアルバムが響くのかどうかわからないが、聞き手に委ねられている音楽の聴き方は、演者の気持ちがどれだけ通じるのだろうか。
2024年4月
アナログ盤からCDへ、そして音楽配信、i-
『イースター』 パティ・スミス・グループ
いつだって中古レコード屋「ハンター」とイシバシ楽器がデートのお決まりのコースだった。もちろん、映画やコンサート、公園のお散歩もあるけれど、必ず中古レコード屋や楽器屋があると、「ちょっと寄ろう。」ということになる。
別々の高校に通っていた2人は、話す内容は、お互いの学校生活の報告会になる。その報告が終わるとお互いの趣味の話になる。彼女は文学少女だったので、流行作家から純文学までいろいろな話材を持
『THE FIRM』(1985) THE FIRM
「ARMSコンサート」とは、多発性脳脊髄硬化症という難病に冒されたスモール・フェイセスのベーシスト、ロニー・レインのよる呼びかけにより、自身の高額な治療費とARMS(多発性硬化症の研究機関)の研究費捻出のために行なわれたチャリティー・コンサートである。
このコンサートは、エリック・クラプトン、ジェフ・べック、ジミー・ペイジが一堂に介した歴史的な出来事であり、時は1983年9月、イギリス・ロン
『グッドタイム・ミュージック』 斉藤哲夫
『バイバイグッドバイ・サラバイ』(1973)は、CBSソニーに移籍した斉藤哲夫が新たなる世界を発表した作品だと思う。それまでのURCレコードでは、小難しい唄を声をひっくり返しながら(高音)歌っており、「若き哲学者」と呼ばれた。
URCというマイナーレーベルで「悩み多きものよ」「されど私の人生」「斧もて石を打つが如く」など20歳そこそこの大学生が歌っていたから、「若き哲学者」なんて愛称がついてし
『スィート・ベイビー・ジェームス』 ジェームス・テイラー
僕はギブソンのアコースティック・ギターを購入しようと思ったことが何度かある。拓郎やジョン・レノンが使っているところを見て単純に格好良いと思ったし、色艶もよくアメ色に輝くジャンボギターを抱え、シャウトするミックなんか見ていると喉から手が出るくらい欲しくなったものだ。しかし、最後の最後にギブソンのアコースティック・ギターに手が出なかった理由は、いくつかある。
ギブソンのアコは、前述の通りシンガー向
渡辺香津美 スパイス・オブ・ライフLIVE
ギタリストの渡辺香津美が本年度予定していたすべてのアーティスト活動を中止することが発表された。検査の結果、意識障害を伴う脳幹出血と診断されたため、当面治療に専念するとしている。
まだ若いのに。
あの華麗な指使いで難解なフレーズを弾きこなす姿の復活を祈りつつ、昔のコンサートレポ。
2024年3月
私は高中正義をあまりギタリストとしては見ていない。どちらかというと作曲家という括りか。それは、高中