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ブロッコリー譚 #同じテーマで小説を書こう
合理的であることが人間と動物を分ける性質であると思っていたが、そもそも合理的とは何かを考えたことがなかった。私の使うほとんどの合理的は常識的という言葉で置き換えられるように思えた。だとすれば私は私が人間であると言えるのだろうか。
四十を超えても知らないことの多さに愕然とすることは度々だ。その都度正直に学んではいるつもりだが、部下の引きつった微笑みを思い返してみると、私の態度には不遜が満ちていたに
あなたの番です~マスク二枚編~
202X年春、政府から一世帯に二枚支給される布マスクがキウンクエ蔵前に届いた。明け方に全戸室のポストに入れられたのだが、住民の起床アラームが鳴る頃にはすでになくなっていた。
今年度の住民会長は飲食店を経営している三十八歳の男性西村だった。彼のお店は、現在、コロナウイルスの影響で先行きが見えない。しかし、マンション内では住民会長という立場でもあるため、その心労は端へ置き、職責を果たすのが当然と考え
自然主義と資本主義とインターネットドラッグによって歯車と化した人類を人間に戻すには倫理観を血管に注入することかもしれない
『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)で有名なマルクスガブリエル氏へのインタビューを基に刊行された『世界史の針が巻き戻るとき-「新しい実在論」は世界をどう見ているか』(PHP新書)を読んだ。
哲学者でも専門家でもない私の書評に期待されているのは有用性や読みやすさについて、つまり主にメタ的な書評だろう。しかし、だからと言ってそれでは私の個性が表れず、味のないガムのようになってしまう。
移り変わる空の色を何色と言えるか
移り変わる空の色を何色と言えるだろうか。
時刻や天気によって変わるそれは何色でもあり、また何色でもない。
日々対面する有象無象な問題についてもそれと同じ。
経験や状況を考慮して
また人の言葉に耳を傾けて
絞り出した答えが
正解のように思えてしまう
けれどもそれはきっと
ちぎって、くっつけて、ノリで貼って、継ぎ接ぎで
消して、線を引いて、壁で覆い隠した
考えが根底にある。
尊敬を集める立派な人
若い人が死ぬニュースを聞くといつも悲しくなる
一日を生きるたびに死ぬ日は近づいている。これは当たり前だけれど、実感することはあまりない。夭折した著名人の年齢をたまに耳にして、あぁ自分はながく生きたなぁと耽るが、寝てしまえば忘れて、あたかも死ぬ日がこないと思いながら今日を過ごしていく。別にそれが悪いことだとは思わないのだけれど。
必ずしも人の死が悲しいわけではない。『人は死ぬとどうなるのかわからない。知る由もないことを無暗に恐れないでいい』『
アカーキイ・アカーキエヴィッチの外套に袖を通して
秋の催事に関心を奪われている間に冬が顔を出した。読書もせずに、食べて寝てばかりの猫は冬支度を終えている。銀杏がスーパーの陳列棚に並び、小学校の通学路にあったあの匂いを思い出す。久しく嗅いでいない。寒さも深まりジャケットをタンスから引っ張り出した。かび臭い気もしなくはないが、終わりと書かれた乾燥剤の効果を祈るのみ。すべての道はローマに通じ、すべての秋は寂しさに通じると心で苦笑い、枯葉を踏みしめる。
もっとみる泡立つシャンプーには罪がある
多くの海外で日本製が売られているが拘って手に取る必要もない
現地のペットボトルはカバンの中でレモンティーを炸裂させて、お札やパスポートに甘いフレーバーを付け
カップメンの容器にはフォークが裸で入っていて、柄にも味が浸み、指先に味覚があれば最高の配慮
鼻をほじりながら皿を配るウエイターの笑顔はいわゆる侘寂
日本流でなくても全く問題ない
雨季の熱帯地域では数分も経たずに汗が出る
安宿の共用のシャ