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両親から教わってきたこと

これまで自身が親としての立ち位置から、子供のことについてなど触れてきましたが、今回は自分の親と私自身との関係性について。

結構ちゃらんぽらんな性格ですし、決して真面目一辺倒な社員としてここまで過ごしてきたわけではありませんが、なぜだか昔から上司には「お前は嘘をつかない」「お前は誠実だ」と言ってもらい続けています。

まあ誠実イコール健全ではありませんので、決して素行すべてが良いわけではありませんが、言われるたびに少しくすぐったい思いをするとともに、その要因について思い当たるのはおそらくは幼少期から両親に教わってきたことや関わり方にあります。

あまり詳細をつらつらと書くと、後でバレた時に叱られそうですが、両親のことについて語れるのは誇らしいことだと思っています。

二人の馴れ初めは、別々のグループとして登山した時に山頂で出会い、お互いに写真を取り合って、写真を送り合い文通が始まったところからということでした。

今でも臆面もなく母親は言いますが、「出会った瞬間にビビッと来た」とのことです(笑)

母は父のことが大好きですし、子供の頃から見てきて、今だからこそよく分かるのは、おそらく母以上に父は母のことが好きなのです。

新卒時代に私がまだ実家から仕事に通っていた時は、私が朝食を食べているテーブルの周りを両親がシャドーボクシングをしてじゃれ合いながらグルグル回って、微笑ましくも朝から鬱陶しいなと感じていたものです。

食事や買い物などで外出する際には、今でも二人仲良く息子の前で腕を組んで歩いています。

そんな仲良し夫婦ですが、幼少期に母親から刷り込まれたのは、「とにかく嘘をついてはいけない」ということ。

幼稚園の年中でしたから、まだ6歳くらいだったと思いますが、その時はメキシコに住んでいました。今よりはマシとはいえ、当時からあまり治安は良くない国です。

そんな国に住んでいても、幼稚園児であったとしても、嘘をつくと家から追い出されました。

夜まで追い出されて、住んでいたマンションの階段に座りながら泣き続け、父が帰宅するのを待つ時間は永遠かと思うほど長く感じました。

嘘をつくと誰にも愛されなくなる、誰にも相手にされなくなるということを身をもって体感させられました。

帰宅して、怒っている母親に私と一緒になって謝ってくれる父の優しさはありがたかったですし、年を取ってそれ以上に感じるのは、父は母の全てを優しく包み込んで生きてきているなということ。

こんなところで話したのが後でバレると面倒くさくなりそうですが、私の母は結構なお嬢様で、正直幼い頃の私からみても「この人本当にわがままだな」という振る舞いが見受けられました。

それでも、父が凄いのは、そんな母の全てを肯定して寄り添い続けてきたということ。

家の中がいつも明るい雰囲気だったのは、自由な母とそれを許容する父との関係性があったから。

私が結婚した時にも、「どんな時でもオレはお前の母さんの味方をするから、お前はしっかりとお前の奥さんの味方をしろ」と言われたのを覚えています。

その誠実な生き方は、仕事の面でも表れていたのだと思います。

引退した今でもこれまでの仕事の話について父はあまりしませんが、嬉しそうに話していたエピソードはいくつか聞いたことがあります。

大企業に勤めていましたが、正義感が強いこともあり、部下たちのために上司に言うべきことを言った結果、晩年の父はグループ会社の社長として出向していたようです。

その後、自分が担当した会社の従業員のために、グループ企業間の元請けと下請けの関係性から脱却しようと、従業員と一緒にMBO(マネジメント・バイアウト)を実施し、独立します。

その後、後任に事業を任せて引退したわけですが、今でももともとは出向先であったその会社の人たちの集まりがあるたびに声をかけられて、嬉しそうに出向いていく父を見ていると、良い上司であったのだろうなと勝手に思わずにはいられません。

アメリカで子供のメンタル面の問題に向き合っているスクールカウンセラーの言葉ですが、子供の精神状態にとって何よりも大事なのは「親の情緒の安定」とのことです。

いつも機嫌よく過ごしてくれていた両親のおかげで、自分のこれまでの「人生の質」は大切に守られていたのだと思っています。

岡目八目と言いますし、今の自分が傍から見て果たしてどうなのかということはよく分かりませんが、少なくともそんな両親の関係性や在り方の影響を受けているのは間違いないです。

今日も読んでくださいまして、ありがとうございます。

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