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随筆(2021/12/1):「反抗期の子供を社会に送り出せるような養育者と同等の立ち振る舞い」という、色恋沙汰における呪われた賢者の石の話(1_7-1_8)(両想い以降も関係は続く。お願いをする、ルールブック、応答責任、お願いを聞く、感謝、恩義、謝辞、返礼、そして、返礼を受け取る)

1_7.お願いをする、ルールブック、応答責任、お願いを聞く

1_7_1.両思いの関係になったら終わりな訳ではない。その後二人で何かするのであり、つまりは「お願い」や「お誘い」は避けられない

さて、両思いの関係になったら、ゴールイン。めでたしめでたし。
という訳ではありません。

当たり前で、その後二人で何かする訳です。
どっか街中とか行楽地とか行ったり、一緒に歩いたり喋ったりして楽しんだり、テンション上がって何か買ったり食ったり、一緒にイベントに参加したり、そういうことの積み重ねで、楽しくてポジティブで印象深いエピソード記憶が増えたりと、そういう感じ。

じゃあ、最初に、どうしたって、「どっか行かない?」「これ買わない?」「それ食わない?」「あれやらない?」というお願いは、必然的に伴って来るものです。
何かしてもらう「お願い」の場合や、上の例のように、何かを共にする「お誘い」の場合がある。
どちらもちゃんとやるのが大事。

***

ここで、「相手が面倒そうな顔をして、断ってくる」と、だいぶガッカリすることになるでしょうね。
そりゃあそうだろう。せっかく付き合い始めたのに、何で塩対応をされるのか…?

パターンとしては、二つ、あります。

***

一つは邪悪なパターンです。
つまり、相手は相手の中の色恋ロマンティック特大感情ゆえに付き合ってはいるが、交際そのものには真剣ではない場合。
これは、下心です。その付き合いには伸び代がない。ハズレだ!
早めに
「まさかそういうつもりじゃないだろうな。だったらやっとれん」
別れることも検討せねばなりません。
やだなー。
だが、あることです。

***

もう一つ邪悪ではないパターンです。
要するに、相手が交際そのものに慣れていないので、一人でやってる時と勝手が違うので困惑している場合。
こういうことは、避けられません。誰しもここからやってきたのだ。

ここで「もうちょっと上手くやってくれよ」文句を言うの、やめましょう。
何で自分だけを見てくれる床上手の処女の女子校生や、自分だけを見てくれる初心ながらあしらいの上手いホストが、そんなにもお好きなのですか?
私の耳には、これはかなり無理な要求に聞こえます。

***

というか、経験者この手の無理難題を以てして未経験者を侮辱する「からこそ」、いわゆる処女厨というのは根強くいるのですよね。

要するに、経験者未経験者ヘラヘラとナメるのが良くないんです。
恋の経験があり、失敗してもおり、それで未経験者にヘラヘラとマウントをとる経験者について少し考えると、そりゃあまあ「メチャクチャうざい人たち」でしょうね。
部活のOBくらい、
「なんなんこの人。後輩たちの中に入ってこんなことするより他に、やることや居場所がないんか?」
くらいには思われているでしょうよ。
経験者「でない」非経験者への選好というか、経験者への嫌悪感が生じるの、まあ、しゃーなしでしょうね。

「自分はそうではない。十把一絡げにされると不愉快だ」?
他の経験者のうざい言動を諌める経験者、まず見たことがありませんね。
じゃあ、区別なんか出来る訳がないだろう。
「クソうざいクソ共の一味」以外の何に見えると思っていたのか?

***

なお、私は
「処女だろうが、人をヘラヘラとナメる人は、たくさんいる。
お前、自分が童貞だった時、人をヘラヘラと舐めなかった、と言い切れるか? およそ無理な要求では? つまり、そういうことやんけ」

という認識なので、だから処女厨的なマインドにあまり興味がありません。

あと、「未経験者が無礼でない」という話が成り立たない以上、「処女厨が無礼でない」という話だって、およそ成り立たない。
というか、
「処女以外まともな相手じゃない」
というの、かなり無礼でしょう。
己の安全のためとはいえ、対等な人間の人権持ちと、そうでない人間の人権なしを、選定するんじゃあない。

しかも、対等な人間の人権持ちを、色恋ロマンティック特大感情を満足させるために「利用」しようとしているのだ。
何が対等な人間の人権持ちだ。道具じゃねーか。

お前ら、いつから、人間を初手で道具として使っていいほどの、特権階級になったつもりでいるのだ?
特権持ちは人権の敵だろ。
「道具として使って、まともな人間扱いをしないで、挙句まともな人間扱いをしたと僭称する権利が、当然に存在する」?
ないに決まっているが?


(ほっとくと最悪な言葉がどんどん出て来るからすごい))

***

まあ、でも、こんなことを自分で言ってて不毛な気持ちになるけど、そもそも上の注意書きで
「おっと。それは不味いことをしているな」
反省する人いいが、そんな人は最初から
「もうちょっと上手くやってくれよ」
だなんて思わないでしょ?


「ああ、そういうことか。
相手は慣れておられないのだ。
ならばこちらもそういう心づもりでいるべきだ。
知っていることを前提とした振る舞いとか、知ってて当然という態度とか、そういうのは相手に平然と期待すべき内容ではない。
無理難題に他ならない。
そういうの、良くない」


こう思える人だったら、上の類いの問題を起こすこと自体、そもそもメチャクチャ念入りに避けてるでしょ。

だから、こんなこと書いてても、無駄なんだよな。
届く人は最初からこんなことしないようにしているだろうし、こんなことをやっちゃう人には、基本届かない話をしているんだから…

1_7_2.お願いをする以上、自分のニーズには自覚的であった方がいいし、何をしてもらいたいのかはちゃんと相手に伝えた方がいい。即ち、ルールブックの開示をする

ちなみに、決定的に重要な話をします。
お願いをする以上、自分のニーズには自覚的であった方がいいし、何をしてもらいたいのかはちゃんと相手に伝えた方がいい。
即ち、ルールブックの開示をする。これを非常に強く意識するべきです。

お願いを聞く側としては、「何をしてもらいたいのか」という成功条件と、「何をされると地雷なのか」という失敗条件は、示してもらわないとメチャクチャ困ります。
当たり前です。これを示されないと、「やったら意に沿わず叱られた」ということが頻発するからです。
この状況下でホイホイとお願いを聞いてくれる人はそうはいない。

やらないやつがケチなのではない。
「頑張ったら罰があった」
時点で、やらないどころか、
「何だコイツ。殺すぞ」
くらいの感情は当然発生する。
ケチとかどうとか、だいぶ呑気なこと言ってんな。

***

この流れでよく発生することですが。
今まで、善人の振る舞いが気に入らないと、いちいちケチつけて、悪党呼ばわりしたことはないでしょうか?
これをされたら、
「は? ケチをつけられておる? 何の透明性もない基準によるペナルティがあった? 虐待親ムーブか? やってられっか」
ということで、「善人でやると罰がある」ので、「悪党モードに走る」という選択肢と、それを選択する動機(というか、善人モードを忌避する動機)が生えてきますよ。
これは逆効果です。やめましょう。

もっと酷い話をすると、悪党扱いされなかった善人、たまたま機嫌を損ねなかったからそうなっているに過ぎないのではないか?
そういう善人は運が良かったか(これでうまくいった人の話はしません。運が良かったですね。かなり多くの人が、そうではないはずです)、方法論を自分で編み出したからこれが出来ているのです。
後者については、当然これは、適切な説明さえ受けていればもっと少なくて済んだであろう、膨大な失敗と(自他の)犠牲と苦痛で贖ったものだ。
そういう人は、ルールブックが開示されていれば少なかったはずの失敗と犠牲と苦痛について、そして今回またしても目の前の相手がルールブックを開示していないことについて、だいぶ絶望的な気分になってますし、当然相手への信頼も極めて低い。猜疑心の方が強い。
彼らが善人でいられていること自体が、ちょっとした奇跡でしょう。
色恋沙汰に限らない一般の事例においては、ここは腹を立てて当然であるところだし、まともにやってられなくなるところなんだから。

***

さて、ルールブックの開示の話をすると、
「悪党に「攻略」されるのが嫌だ」
という話が生えてきます。
(善人と悪党云々は、今さっき、ちょろっと触れた話ですね)

***

そもそも、自分の目利きで、悪党の気配があるやつを避けられないこと自体、
「自分の目を基本的に信じてないし、責任も取れない」
という無責任の塊であり、
「私は責任を取らないが、お前は配慮しろ」
と言われると、
「何言ってんだコイツ」
という感情が生えてきてしょうがない。

***

ですが、まあこれは試行錯誤しないと目利きがヘボいのはしょうがない。
それに、悪党はそこら辺繕うのも上手いしな。
まあいいや。

***

とはいえ、悪党に攻略されたくないのなら、こういう態度を取っていると、逆にリスクが上がる。という恐ろしいバグがあります。
むしろ、リスクを下げるためにこそ、ルールブックは開示されてなければならないのです。

なぜか。

善人だろうが悪党だろうが、礼儀正しい安全なルールブック、儀典(プロトコル)が開示されてない以上、相互のダメージは最早諦めて、総当たりで攻略するしかなくなるからです。
ルールブックがないんだから、悪党のスタイル以外をすると、そもそも善人は右も左も分からないし、そこで無理に侵襲的な試行錯誤をしないから、いつまで経ってもたどり着けないようになっている。
だから、突破して来るのはほぼ悪党だらけになるし、それは当然、基本的に侵襲的なものになる。
これは、上のやり方を通す限り、どうしたってそういう成り行きになるものです。

***

「侵襲的な攻略を避けてもらいたいし、具体的にはここが地雷なので、このアプローチはやめて下さい」
というルールブックを早めに開示している人、見たことがないですね。
「ここが地雷です」わざわざ自分で口にしたくもないでしょうし、「こういうのが好きです」より先に言うのもおかしな話なのです(楽しみのために付き合うので、ほとんどの場合、不愉快を避けるために付き合う訳じゃないからね)。
が、人付き合いの上ではこれをあらかじめ早めにやっておくと、その後お互い途方もなくストレスフリーになります。
ルールブックの中でも特に、まずせめてこれだけは開示しておきたい、大事なルールです。
これをわざと踏む人クソ悪党なので二度と相手しなくていい

***

んで、たいていは
「私の地雷は天下の常識。分かっていて当たり前だろう」
となってる。
それ、たいていは住んでる環境、内輪の常識に過ぎないから、この説得、その外の人相手には、基本ダメです。

***

あ、「優しい人が好きです」という程度の低解像度では、やはりダメなんですよ。
「だいたいこういうことをされると、私は「優しい」と感じます」
くらいの解像度で言わないと伝わる訳がないし、
「優しい事をしてくれていても、他の要因でマイナスになることがあります」
「そして、優しい事をしてくれていても、それが決め手になるとは保証できません。他の何かも必要です。それはこれです」
だいたいこの辺の話をしなければならないでしょう。

こういう話をしないで、他人から「さあやれ」と言われて、自分が出来ると思いますか?
こんな先輩や上司の命令、職場だったら、トラブルの元にしかならないでしょ?

***

そういうことなんです。ルールブックの曖昧なままでの秘匿、やめましょう。逆効果なんです。何という不毛だ。
自分のニーズをちゃんと見極めて、ちゃんと示しましょう。

後でどんどんニーズが分かってきて、それに応じてルールを増築することは、やむを得ないし、あることだ。
とはいえ、初手でほとんど何も示さないようでは、そのお話には誰だって乗れません。

先輩に質問した時に
「やってもらいたいなら論点を整理してから頼め」
と叱られるの、よくあることです。構造としてはあれと全く同じ。

「お前よくあんな腐った水飴みたいな手合いを説得できたな」
「あれは構って欲しいけどその正解が本人にもわからないクイズなの 正解すればいいのよ」

こうは言われたくないじゃん。
(実際正にこういう話なんだけど)
(そしてふつうは正解など出来る訳がない)
(だからこそ「その正解が本人にはわかるクイズ」にまで整えておくべきです
(だって、これが出来てないということは、真面目に向き合っている人に対して、およそ愚劣な無理難題を強いている。ということにしかなりえないんだから…)

***

「悪党に「攻略」されるのが嫌だ」
そんな姿勢でいればいるほど、善人が逃げて、悪党しか来なくなるだけだよ。
これは、ダメな選択肢なんだ。
そういうことを言っちゃあいけない。

自分のニーズは自分で理解していた方がいいし、それを示して、それに則って、人にお願いした方がいいですよ。

まして、相手に忖度させたり、それで失敗した人を罰したりしちゃあいけないんだ。
「見る」「想像する」「相手の内心を模倣する」というの、「訊かれて答える」より、一般に情報に乏しいんだから。
不完全不完備情報ゲームを仕掛けるのをやめましょう。そりゃあ憎まれもしようものだ。

***

「信頼していない、心を開いていない相手と、何事をもやりたくない」
これはかなり直接効いてくる、大事なポイントです。
が、これは当然ながら、「信頼に値する言動をしてきた人」しか言ってはならんセリフです。
あなたを信頼して心を開けるかどうかは確約出来ないが、
少なくともこういうことをやる人への印象は良く、信頼して心を開く可能性はゼロではない。
一方、ああいうことをやる人への印象は悪いため、信頼したり心を開いたりすることは不可能である
この程度の解像度のルールブックを示せているかどうかは、かなり大きく信頼を左右します。
ここは、踏ん張りましょう。

***

最低でも、ルールブックマジで考えましょう。
最低でも、「その通りにやればちゃんと意味がある」ようにしましょう。
そして、最低でも、「まともな参加者には、まともにこれを教える」ことをしましょう。
教示する類いのコミュニケーション能力
が問われるところです。
全てそこからです。




「知るけぇーー 行動を完璧に説明できるほど 人間は賢くねぇんだよ」
それはそう。
だが、人にお願いする時は、成功条件失敗条件くらい、せめてちゃんと説明しましょう。
この2つすら曖昧にしてお願いするの、果てしないトラブルの元だということは、せめて分かってくださいよ。
そういうこと、怠っちゃダメですよ。

***

「見る」「想像する」「相手の思考を追う」
これらは基本中の基本です。
だが、
「だから誤読の余地のほぼないルールブックの開示などという、惰弱な、相手を甘やかす発想自体がなかった」
というの、コミュニケーションということをサボってるだけです。

ふつう、これでは、何かしらのトラブルが発生して、困っているはずです。
困った上で、
「それは相手が惰弱で甘ったれたあほだから。
私は困っており、問題意識もあるが、問題はお外のそいつの中にあり、私は解決する謂れがなく、あいつが解決するのが筋だ」

と言って、対処をほっぽってスルーしていませんか。
それでは毎回困りますよ。

「誰が悪いか」という話はすっ飛ばしたとしてでも、対処必ずしなければならない。
「他人が悪い」
から「他人がやるべきだ」という話、「他人に出来るか」という話と、何も関係ないでしょ?
「他人に出来る」
なら、「他人にやってもらう」。これが筋だ。それはそう。
で、「他人が出来なかった」ら? 他の誰かがやるしかない。
「やるべき他人がしてくれないから、自分が食らう」

という話、困るに決まってる。

自分の都合があるなら、自分がやるのが一番確実で、手っ取り早い。
この発展形で、
「自分がやれるようになる。
それから、なおもやらない相手に、問答無用で
「ええからまず、ワシのように、ちゃんと見ての通りやらんかい」
とメッする」。

これらが出来ていた方が、思い通りになることは多い。

***

「コミュニケーションとは読み取る能力読み取ってもらうこと終始するのであり、その他は無能の言い訳、惰弱
ということを、結果的にやってないでしょうか。
それで構築不可能になっている人間関係、たくさんありますよ。

え?

「そんなことしなきゃならん人間関係なんか嫌だし、そんなことしなきゃならんあほを相手に人間関係なんかしたくない。
そんなことしなくてもいい気心の知れた人間関係だけでいい」?

そうね。内輪だけで色恋沙汰をやってればいい場合は、もちろんそれでええねん。
やっていきましょう。

で、そうでない相手に色恋沙汰をやる時もある。
というかふつうはこれだ。
内輪そもそも人はあまりいないし、一度上手く行かなかったら、顔を付き合わせなきゃならん相手とのギスギスとしたしがらみが出来るから、内輪での色恋沙汰を避ける人も多い。

さっきも書きましたが、余所の人と色恋沙汰をする際気を付けねばならないこととして、余所の人相手には通用しない内輪のノリというのはたくさんある。
そこでそのノリでやって、しかも怒るの、他者の不正規行動腹を立てているだけだ。
他者自分自分たち思い通りに動くわけがない。つまりは、不正規行動をするものだ。これはそういうものだ。
内輪だと、皆慣れてるから、不正規行動少ないでしょうね。
が、そういう慣れを、お外の万人に強いるのはやめましょう。

***

まあ、上の話をもってしても、やはりそもそもルールブックを開示したくない。という話は、ある程度はうなずけるところがある。

そもそも、自分の基準、ルールブックを示す。ということ自体、それなりに心を開いた相手にしかやりたくない。

私的領域を脅かされない権威や、自白を要求されない自由は、常にある。
もちろんそれでは開示による誠実さにはリーチできない。
が、上の二つをそもそも重んじないやつが、開示による誠実さを語り出したら、「お前が言うなお前が」としかならない。
そらそうよ。その開示は、
「黙っておきたいけど言わなきゃならんから言う」
んじゃなくて、
「言わなきゃならんと思っているやつに吐き出させられている」
んだもん。

真実は世界に転がっているが、開示は人の中から開かれることで、初めて転(まろ)び出るものだ。
そこで、開かれるんじゃなくて、暴力的権力的に暴くの、単に他人の私的領域を自分の興味本位と都合で見たいだけだし、それを人の正義と言い張ってるだけだろ。
本質は、盗撮と自白聴取がしたいし、それで世間にとやかく言われたくないんです。そういう人達は。

そんな誠実とやら、人の正義どころか、心底忌まわしいだろ。

***

そんで、自分の献身が、相手の私的領域や自由の中で、「あえて」こちらに開示をすることを検討させるほどに、ちゃんと効き目があるか? ということなんです。
献身は、両想いになって付き合い出しても、依然として必要になる。ここでサボっちゃいけない。
それをサボるようでは、相手は
「あっ、コイツ、釣れた魚にエサをやらない系の邪悪生物だ。
付き合い出したら粗略に扱ってんじゃねえ。くたばれ
と思われても、何もかもしょうがないところだし、じゃあルールブックなんか開示される訳がない。

「信頼を得るために正直でなければならない」というのはその通りだが、「信頼のない相手にべらべらと弱点を喋りたくない」というのも全く正しい。
前者は関係がそのうち進展したらこれになるからいいとして、後者のレベルでは、言というより、動の方が効き目がありますね。
実際に結果をもたらしたやつ
が、問答無用で説得力がある。
(だから、まず「見て」「考えて」「思考をトレースして」「相手の喜ぶことをとにかく実際にやる」のが、献身のキモです)

むしろ、動が伴わない限り、言における誠実なんか、特に求められていない。
そんな内実の動のない誠実な言なんか、やめなさい。内実がないから、無駄なんだよな。

約束を実現するため予告としての言も、もちろん、あるよ。
その時に内実なんか伴わないのは当たり前だ。将来的に実現するためのものなんだから。
ただ、
「こいつ、今までの実績がないのに、約束を守る保証、何もなくない?」
と思われたら、やはりそんな約束は空手形でしかないし、ただの無なんだよな。
(約束の話は後の記事でします)

***

つまり?

長らくの献身をもってしても、ルールブックを示されていないのだとしたら、それはその人がルールブックということをナメているか、あるいはこちらが相手の心を動かせる献身を果たせていないか、どちらかだ。

相手がビビらない程度には献身を尽くしたにもかかわらず、ルールブックは示されなかった

言い張れるのであれば、それはそう言い張ってもいいだろう。言い張れるだけの資格はあるように思える。

そうでないのであれば、もちろんこれはこちらの献身が足りないか、超人機械的にやりすぎてビビられているからこそ、ルールブックを開示されていないのですよね。
じゃあ、もっと精進するか、相手が踏み倒し系邪悪生物であることを疑いえなくなったら別れるか、どっちかしか、なくない? マジで。
(付き合い出したという仮定で、別れの話をするの、だいぶ限界な話してやがんな。俺)

1_7_3.大事な人間関係をやるつもりでやっているのなら、ちゃんと向き合おう。相手の言葉に応えよう。応答責任、大事

えーと。
話をだいぶ戻します。

交際そのものに慣れていないので、一人でやってる時と勝手が違うので困惑している人は、気をつけねばなりません。

「一人の方が気楽なんだよな」
それはそう。俺もその手合いだ。メチャクチャよく分かる。


だが、せっかく相手を受け入れることにして、ちゃんとお付き合いをしているんだから、そこはもうちょっと真面目にやりましょう。
それに、相手がいることなんだから、失礼をしてはいけない。
相手に対しても、人間関係に対しても、他人事のように思わず、真剣に向き合った方がいいですね。

***

そして、相手と真剣に人間関係をやる場合、「応答責任」というのは避けられません。
訊かれたことには基本応えなければならない。
ダマテンはいけない。
世間話はともかく、大事な話には、最終的には答を出さなければならない。
(万が一、相手がヘラヘラと
「自分にとって苦痛や損害を伴う内容を、相手が真剣味なく、面白半分に、ナメた態度で訊いてきた」
のでなければ


そうすると、相手からお願い事をされた時に、どうすべきか。
となると、
「自分にとってキツイお願いを、向こうがスナック感覚でしてきた時」
以外、基本応えねばならない。ということになるかと思います。

もちろんこれは大変です。
だが、真剣な人付き合いって、そういうものだし。
そこでいい加減な応対をするの、そんなのは相手への侮辱にしかならないだろ。
お付き合いしてる相手に、それをするの、ダメ。

***

で、ここで依頼する側の「ルールブックの開示」が、大きく効いて来るんですよね。
だってこれが相手のニーズで、これをやれば相手が喜ぶんだから、これをやればよいのだ。
もしここが示されているのなら、それは是非やらなならんところです。
やっていきましょう。

1_8.感謝、恩義、謝辞、返礼、そして、返礼を受け取る

1_8_1.お願いに応えると、「嬉しい」があるし、「有難う」があるし、場合によっては「お礼」もある。それらは、有難く、心意気ごと、受け取ろう

お願い応えると、しばしば相手には「嬉しい」という気持ちがあります。
これは、相手がどうすれば嬉しいか、自分が注意深く見たり、考えたり、考えを真似したり、あと周囲や本人に訊いたりした時の話です。
ここをきちんとやってれば、相手が喜ぶ可能性は高い。
逆に、ここをやってないでお願いに応えると、「そーゆーことじゃねー」ということが多発して、関係はどんどん解消に近づきます。嫌ですね。

***

「そもそも、自分でお願いしたことについて、「そーゆーことじゃねー」とか、何やねん。
これ、自分で言うたことやんけ。言うことがコロコロ変わるやつ、信頼に値しねーんじゃ」


まあ、分かる。俺だってそう思う。
ですが、これにもいろいろとパターンがあります。

***

一つは、「本当に外形的な事情とは一切関係なく、相手の言ってることがコロコロ変わってる」場合。
困りますね。舌打ちの一つも出るし、付き合ってられないなら、付き合うのをやめてもよいところです。
それでも付き合うつもりなら、それもまあ心意気です。
相手を許せるのも、度量というやつで、大事な特質です。
頑張って下さい。限界にはならないようにしましょう。
ここは後の記事でさらに書きます)

***

もう一つは、「外形的な事情が変わって、相手の最初のお願いが、そのままだと相手の思ってたんと違う結果になりそうだ、というリスクが高まった」場合。
これは、あります。
相手が困った顔をしていたら、これが起きている可能性が高い。
必ず「何かあったのか」確認しましょう。


軽々しく確認出来る内容ではない、キツそうな事態も考えられます。
が、それは「ちゃんと聞く」覚悟を決めて、「ちゃんと聞く」と伝えて、聞きましょう。
その代わり、何を言われても、撥ね退けてはいけません。(「ウッ」とはなってもしょうがないですが…)
相手に喋りたいように喋りきってもらうことが目的で、それまでいかなる横槍もすべきではないので、そこは最後までキッチリ聞きましょう。

当たり前の話をしますが、全体像が見えるまで、不完全な情報でアドバイスするやつは、ふつう失敗します。
そらそうよ。不完全情報でこちらが相手の話を打ち切って、後で相手が言い切れてない情報を出した時に「話が違う!」とキレるようでは、そんなやつに相談する気になんかなれんわ。
傾聴、しましょう。バテない程度に。
(バテそうになったら「3-10分程度休憩」と宣言しましょう)

***

あとは、「自分がちゃんと相手の話を読み取れてない」場合です。

適切な反応をする、相槌を打つことで、相手の問題意識は解決されるし、スムーズに行く。
というか、それ以外をやると滞る
場合と、
「丁寧に話を洗い出して、手間を掛けて解決しないと滞る」
場合があります。

***

前者で、相槌を捨てて、相手の話を遮って、相手の問題意識を解決しない場合、問題は解決しません。

非常に重要なポイントですが、外形的な問題は、問題解決本質ではありません。
内面的な問題意識が伴うものが、その人の中で、問題として受け止められる。
問題意識伴わないなら、それはその人の中では問題ではない。
外から見たらヤバくても、本人は困ってない。
そこを無理矢理
「あなたは困らなくてはならない。そして私が解決してやる。帰依せよ」
と言う人、本人にしてみれば、いかがわしいマッチポンプ屋にしか見えないでしょう。
実際にそういうやつもいて、これはそういう、人を支配して何らかの安心を得る(そして相手は支配下に置かれて不平不満の塊になる)類いの不自由邪悪パターンなので、これは避けねばならない事態ですし、そういう嫌疑をかけられたら、そうでない身の証を立てねばならない訳です。
そこで、身の証を立ててないのに、やるんじゃあない。
(当然、色恋沙汰でこれをやると、だいぶリスキーです

***

後者なら、本人が問題意識を持っている、困っている、本物の問題がある訳です。
しかもその正体が、相手はともかく、自分には見えていない。
これでは自分のやる解法もふつう当てずっぽうのデタラメになる。
問題解決? まず不可能だ。

だから、分かるまで聞き返しましょう。
相手はうざがるかもしれませんが、相手がその問題で困っているのなら、これは解決しないと、消えない。そういう代物です。

よく聞くと、「事実上解決出来ないので、相手が耐えるか、頑張るしかない」時もあるが、じゃあ困った気持ちをなだめて辛くなくすること要請されてきます。

そして、もし自分が何とか出来るなら、ここは全身全霊を振り絞って、やりましょう。
ここで他人事みたいにほっとく人、目の前の相手の困り顔を、「どうでもいい」などと思ってやしまいか。ダメでしょ。

1_8_2. 逆に、恩義も感謝も返礼も結果的には踏み倒すようではいけない

逆に、感謝も、恩義も、謝辞も、返礼も、結果的には踏み倒してる人、います。

何でそれで良いと思っているのか?

してもらっているだけで、しかもこれで当たり前のような顔をしている。
これは事実上、「献身」の権力勾配を、交際に入ってからも、意識的にか無意識的にかは知らないが、呼吸のように繰り出している訳です。

付き合うまでは、受け入れるか拒むかする側は、そこは勝手にするがいい。まだ他人なんだから。
だが、受け入れて付き合ってからそれは、もうそういうフェーズじゃあないだろ。あまりに他人事に過ぎる。
ちゃんと相手と、人間関係と向き合いなきゃ、相手は舌打ちして、やがて去っていくことになるでしょう。
じゃあ何で受け入れた? 受け入れてないのと同じなのに、口先だけ受け入れて、実際には拒んでるんじゃあない。
そういう嘘、不誠実、だいぶ最悪度が高いし、メチャクチャ嫌われますよ。

人間が好きじゃない、興味がないなら、そう言いなさいな。
俺だってそうだよ。
だが、相手のことが自分にとって少し受け入れられそうで、そうして実際に付き合ってる時は、そこはちゃんとやろうとはしてるつもりだ。

それともそんなのがそもそもの間違いで、やってるやつはバカの典型だと言うのか?
そうですか…そうかもしれませんね…
じゃあ、せめて答えてくれ。
どうすれば間違いじゃないの?
そこの説明、して戴けない??
じゃあ誰が聞くと思うか???

1_8_3.返礼を受け取れないほど、人間不信に凝り固まっているのだとしても、「特にお前は信頼ならない」という態度を示すのはやめねばならない

返礼を受け取れないほど、人間不信に凝り固まっている人は、いる。
そういう人の、色恋沙汰というか、人間関係に対する態度は、
「人間関係や社会の沃野には、自分にない美徳がたくさんあって、素晴らしい」
というのと、
「自分が今正にそこにいる、ということが信じられない。
じゃあ今までの路地裏のような寒々しい人間関係や社会のあり方は何だったんだ。
自分は不当に干されていたのか?
干しておいて今更与えられたとしても、自分が干されていたし、こいつらが干していたことは、何らなかったことにはならないんだよな。
正直に言いなよ。根拠なく与えたものだろ。つまりは、いつかは根拠なく奪うのだろう。
そんな糠喜びを真に受けていたら、次に奪われた時に即死するだけなんだよな。
だから、そもそもそんな奪われるリスクをはらんだ人間関係や社会の沃野、最初から当てにしないし、要らなくないですか。
それ、毒饅頭だろ。
食った後で胃袋蹴飛ばされて吐くんだろ。
じゃあ食わないし、これなら胃袋を蹴飛ばされても吐かずにダメージが少ないままで済むんだよな」

というのの板挟みになっている。というか、後者が強い。

これは当たり前であって、
「与えられる余地がそもそもなかった」
か、
「与えられるが、その条件は明示しない。
与奪の権は自分の自由権であり、その有難さを思い知りながら、頼りないおこぼれを得たり、大損をこいたりしていて欲しいのだ」

という目に遭ってたら、そらまあそういう適応にもならあな。

***

だとしても、
「人間関係や社会は信頼ならない。特にお前」
という侮辱的な態度を示すのはやめねばならない。
ここは死守せねばならない。
なぜか?

1_8_4.あるものはある、ないものはない、わからないものはわからない。ここを誤魔化すと、現実にダンプカーで跳ね飛ばされてグチャグチャになって死ぬだけだ

妙なことを言いますが、
「筋が通らなくても、理解できなくても、受容できなくても、現にこれはあるし、現に機能しているものは、それでよしとしましょう」
というの、大事ですよ。
ていうか、実在するメリットなんだから、受け入れましょう。

自分が受け入れられないから、受け入れてこなかったら、立ち消えになった。消滅した。
状況が、対処不可能な人間関係や社会の不自然な厚遇から、お馴染みの対処可能な孤独な冷遇に置き換えられた。
俺の世界だ。俺の世界へようこそ」

そうなる人の気持ちはまあ分かる。
快楽苦痛より安心不安優先された場合のことを考えると、理解はそれほど難しくはない。
(たいてい、苦痛よりも不安の方が、死のおぞましさに近いはずだし、意思決定を駆動したり歪めたりする力も強いだろう)

***

が、じゃあ受け入れがたい人間関係や社会の不自然な厚遇が、外形的にも存在しなかった、なかったことにはならない。
当然、そこで自分が他人に無礼を働いたこと残る。
「それも受け入れられない」、じゃあ済まないんだよな。
これに関しては、紛れもなく自分がやらかしたことだからだ。

***

そんなことして、自分で傷付きに行って、うまく受け身を取るような真似をしても、そんな「傷を小さくすること」というか、要は「うまく失敗すること」「成功」と考えているのであれば、やらない方がいい。
確かに傷は小さいかもしれないが、何も得ていない。
じゃあ、その傷の回復の余地は絶対にない。
ついた傷は蓄積されていくだけだ。
蓄積された傷は、天寿より早く、やったやつの心を苦痛塗れにして殺すし、そうなったら命を絶つこと当然のごとく選択肢に上ってくる。
この傷は、「ある」ものだ。「なかったことにできない」。
そのままボロボロにしてると、死ぬぞ。グチャグチャになって。惨たらしく。


何なら、無礼を働かれた人が、明確な悪意を伴って、自分の傷を引き裂いて殺しに来る。
そういう動機が、あるかないかで言えば、かなり高確率で、「ある」話だろう。

1_8_5.試行錯誤はある程度は避けられない。だとしても、要は、疲弊しないようにすればいいのだ。だが、そこが一番の問題なんだよな

人間関係や社会による傷や、人間関係や社会に干されたことによる傷は、ほとんどの場合、人間関係や社会によって回復される。

それは当てにしてよい。
そういう回復の道は、現にお外にあって、自分ではないが、誰かはちゃんとそれを得られているのだから。何なら観測したこともあるだろう。
(というか、ぶっちゃけ
「何で誰かには与えられていて、自分には与えられておらぬ???」
くらいのことは思ったかもしれないが)

で、自分がそれをやるのだとしたら、ちゃんと相手を受け入れねばならない。人間関係も社会もやらねばならない。

「やらずして、なんかうまくいく」という話は、どこの世界でもふつうは成り立たない。
何度かやってから、うまくいったりいかなかったりして、そのうまくいったところだけを再現し、うまくいかなかったところとはしばらく距離を置く。
そうすれば、初手の段階では伸びる。
どこでもまず基本これだろう。
そこは、やるしかねー。

***

「やるしかない。
そうは言うがな。
未知の、信頼のないジャンルで、自分がマジでやっても、現実にはうまくいかなくて、そこで疲弊して、回復せず、大きな破滅がありうる。
破滅、当然だが、メチャクチャ嫌に決まっているのだが???」


そこはもちろんそうだし、ここがとてつもなく大きな壁であることは、俺にも良く分かる。
ここがピンと来てない人に、そいつにとっては他人であろう、この自分が何かに挑戦することについて、軽々しくとやかくガチャガチャ言われたくはないだろう。
これは、俺もそうだ。俺はピンと来てるというか、ずーっと苦しめられてきた側です。宜しくお願いします。

1_8_6.不安や恐怖は、睡眠回復で洪水のごとく押し流す、という手もあります(安定した回復のためには、やはり医者に行った方がいいですね)

これを解決する方法は、なんと
「苦手なことをやることと、生活のための時間以外は、全部睡眠(これも生活のための時間だが)に費やす」
ことです。

えげつねえ〜。みっともねえ〜。しかも地味〜。

しかし、これは人間関係以外でも広く通用する方法です。
昨日や今日出来なくても、回復したら、明日少しマシな出力と成果が出るかもしれないし、明後日はもっとうまくいくかもしれない。

明々後日は躁転して超出来た後でバテて全部吹き飛ぶかもしれないが、躁転してる時こそ、過剰な出力を睡眠で押し流し、少し収まったテンションでやりましょう。
(バカみたいなテンションでやらない。たいてい事故る)

不眠悪夢は、適正な医師の診察と処方の下での治療を受けつつ、やはりひたすら洪水のように睡眠で押し流す。
(これの目的は、生活がマシであるようにするためなのだから、本物のプロの指示には従ってください。餅は餅屋です。
そのプロが信頼ならないなら、別のプロの言うこと(セカンドオピニオン)を聞いてください)

「マジかよ」
と思うかもしれません。
そらそうだ。
えげつねえ〜。
みっともねえ〜。
しかも地味〜。
それにこれ、本当に明日明後日にはマシな出力と成果が出るのかよ?

出ます。

俺はこれを経験した身だし、何ならこの記事を書いていた昨日は特大鬱でダメダメだったが、今日はウォーッとやれてるから、ちゃんと「ある」話だ、ということはお伝えします。

1_8_7.「どうしても人(々)が信頼できない」というか、「本当に彼らが信頼できない人(々)だった」場合も、ある

ただし、騙すやつには鋭敏でなければなりません。
これは、時々、います。食い物にされる人は、常に求められ、探されている。食い物にする人に見つかったら、かなりリスキーだ。
(困ってる人に何てことしやがる。放っといてやれよ)
(だってそんな悪党がそんな配慮をしてくれると思うか?
したとしてもそれは、こちらを食い物にするための、上っ面のデタラメの前フリだぞ?)

この人は怪しいやつかもしれない。
という判断は、自分だけでは大変です。
たいていそういうやつらは、判断が鈍っている時に、隙を突いてやってくるのだし。
自分に加えて、(信じてはいないだろうが、ほんの少しでも信頼に値する)周囲に、分散して委ねた方がいいでしょうね。

もちろんそいつら全員が、場の都合や本人の勝手のために、自分を騙そうとしていることは、ないとは言えない。
が、そうでないこともかなりある。

騙そうとしているやつらの中では、騙そうとしていないやつは、明らかに態度が違うだろう。そこで見極めるべきだ。

完全に全員が自分を騙そうとしているのなら?
明らかにそいつらの言うことが、どんなに耳に心地よくても、観測される現実に合わないならば?
そりゃあ、観測される現実に合わせるしかない。

その問題に限っては、そいつらの逆を張ることが、残念ながら生存戦略であろう。

1_8_8.人間関係の軽量化に逃げたくなる人。それを分かってあげられる人、分かろうが付き合ってくれる酔狂な人

善意好意でしてもらったことを、金品等による報酬で「決済」することで、善意や好意は「済ませられて」、人間関係は壊れることがある。
というか、善意や好意で行動する人間信じられないから、善意や好意でしてもらったことを、金品等による報酬で「決済」することで、善意や好意を「済ませて」、人間関係を壊す人がいる。
特に、信じてない当の本人が、善意や好意で報われてこなかったし、そんなことの繰り返しで、報われること自体に強く警戒している場合は、ますますそうだ。

だが、ダメですよ。人間関係の構築を恐れるのは勝手だが、それではどこにも行けない、何も作れない。それでは幸せになれないし、適応もできない。
相手
「善意や好意で報われなかったし、そんなことの繰り返しで、報われること自体に強く警戒している」
だったら、
「そうだね。分かるよ。人間関係、面倒でおっかないよね」
と分かってあげて、退いてしまうこともある。
それはそれでいいんだが、それでは結局それぞれは困ったままなだけだ

「幸せにならなくてもいいし、適応出来なくてもいい」
じゃねーんだよ。
実際にはあちこちで、何かしらの形で、不平不満や不適応行動が滲み出てるじゃねーか。
そういうの、欺瞞だから、やめろ。惨めったらしく死ぬぞ。それを「善い」とはとても言えん。

そんなことしてるのに、人間が自分を救ってくれるか? 余程の酔狂の人だけでは?

2_3_5_4.何も信じていない人に、必要とされている「他人からの温かさ」を拒まれても、なおも届ける
今から信じられないほど面倒なことを言い出しますが、何も信じていない人は、他人からの温もりが、本当に有難いと分かっていながらも、それを受け取れません。
そりゃそうだ。その他人の温もり、信頼に値するか? 何で? 信頼の身の証を立ててからやれ。そう思っちゃうんですね。
もちろんそんなことはなくて、信頼とはたいてい、他人からの温もりや、他人が間違いなくこれをやるという確信の後で、ゆっくりと形成されていくものです。順序が逆なんですよ。
***
でも、それを、何も信じていない人に言って、「はいそうですか」とはならないでしょうね。
何も信じていない人は、そもそも温もりを継続的に受けていない。当然、温もりを継続的に送り続ける人が世界にいるとは信じられない。じゃあ、上の説明は何の意味もない。
そして、困ったことに、何も信じていない人は、温もりを継続的に送り続ける人のことを、当初はものすごく警戒する。
そりゃあそうでしょう。世界の人はふつうは温もりを継続的に送り続けたりはしない。
つまり、温もりを継続的に送り続ける人、端的に言って、世界から逸脱した異常者ですよ。残念ながら。
あなたは、目の前の異常者が、自分にとっては安全だと、どうして思い込める? 無理な話では?
そんな、自分が出来ないことを、例えばこの作品の稀男に、ずうずうしくも要求なんかできるわけないじゃないですか。
***
しかし…リースはやった。いろいろしがらみのあった稀男に、それでも指輪をどうしても渡そうとした。
「よく観察して必要であろうもの、この場合は人間関係の温もりを、本人の不信と拒絶をあえて超えて、本人が受け取るまで待つ」
これが、何も信じていない人、しかもそれでも人間関係の温もりの有難みはよく理解できている人への、最適解なのだと思います。
もちろん、これはものすごーく面倒な要求水準ですよ。ふつう、できない。そこまでやる謂れはないし、そういう相手でもないから。
でも、リースにとっては、稀男はそういう相手「だった」。
リースから稀男への、「自分は相手と関係がある」という、絆の感情があった。
***
そして、稀男は、それを、受け取った。
今まで逃げて回っていた人間関係を、他人の献身を受けて(そしておそらくは前回のオニオングにまつわる苦い経験や、ササヤンから聞いたピュアの人間関係に対する欲望の話をも受けて)、自分も受け入れたのだった。
「創造者=支配者だろうが何だろうが、少なくとも稀男には、お互いに必要とし合う関係は、要る」
稀男の中の心の住人たちのふざけた主張は、ここで克服されたのだった。

昔の俺、めんどっちいこと書いてるよなあ。
(なお、これらの画像で言うと、稀男はアルビノめいた黒服の男。
オニオングは、稀男への好意と侠気で冒険についてきてくれる、浅黒いグラサンのお姉さん。
リースは、過去に稀男といろいろあったが最終的に受け入れてあげた、太眉でまつ毛のカールしたお嬢さんのことです。
ササヤンとピュアはここでは出て来ないので説明を避けます)

1_8_9.彼らの示してくれた鍵まで、丁寧にお断りしちゃ、ダメですよ。気持ちは分かるが、惨いことをしてるよ

まあ、そんな訳で。

自分の気持ちだけで世界が動くわけではない。
そこは、見て、何なら考えて、対処しなければならない。
こんなことは百も承知だ。

人間関係の相手だって、自分の気持ちだけで動いてはくれない。
彼らの気持ちや都合や自由意志ってものがある。

そこは、見て、何なら考えて、対処しなければならない。
同じことだ。何一つ変わらない。


特に、自分はそうされないのが慣れっこだからもう忘れたかもしれないが(覚えているなら、覚えているまんまだが)、彼らは彼らの気持ちを受け止めてもらえないと、ガッカリしたり、ムカッときたりするものだ。
じゃあ、受け止めるのが「対処」だ。
そこは、やんなきゃならない。

だいぶ先の話になるが、人付き合い甘いもの期待するためには、そもそも信頼関係や、心を開くことが必要だ。
甘いものを期待したいのなら、信頼関係は結ばねばならないし、心も開かねばならない。
そして、これら自体、他の膨大なプロセスの成果だ。
お願い返礼もそうだし、
約束したり、約束を守ったり、
失敗したら謝ったり、許し許されたり、
お互いがお互いのためにしたり、
相手のしてくれたことに見合うように気を遣いだしたり、

そういうことの果ての信頼関係であり、
心の柔らかいところの開示であり、
そしてその上にこそ、安らぎ甘えもあるのだ。

つまり?
人間関係でいきなり甘いものがもたらされたらおかしい。
それはそう。
だが、それは、
「そんなことを人はしないし、そこまで人は甘くないから」
ではなく、
「そんなことをする状況下に人がいない時に求めて、当然ながらそんなモードになってないので、そんな気になれないから」
だ。


つまりは、そこさえちゃんとしていれば、迎え入れられて、甘いものはもたらされたかもしれないのだ。

***

翻って、
「うるせーぞこのブドウ。酸っぱいんだよ」
と踏みつける
の、そりゃあ扉は開かないよね。

鍵穴の話は常にあり、鍵の在処も、身を処して問えば、しばしば教えてもらえるのだ。
そこに鍵があるかどうか、そこにある鍵が全部か、間違った鍵がないかは分からない。もちろんこれは揉める元になる。
が、全部適正な鍵が示されていれば、これが一番部屋に入れてもらいやすい。
少なくとも教えてはくれているんだから、ちゃんと開ければ、歓迎される可能性も高い。


***

それを蹴破ったら、酷いことになるに決まっているのだ。

そうでなくとも、手前で疑って、示された鍵を受け取らなければ、やはり扉は開かない。
示されてるんだからさあ。その気持ちは丁重に受け取っておこうよ。丁重にお断りしたら、示した甲斐がないだろ。ガッカリするよ。
相手は、少なくとも、鍵を示す程度には歓迎してくれてるんだから、ちゃんとその気持ちに応じてあげようよ。丁寧に鍵を開けていこうよ。

相手が未だに信頼ならない。自分じゃあない何か、あるいは不正規行動のリスクにしか見えない。
それはしゃーないね。
でも、じゃあ、これが、「内的な迷いとは関係なく」「外形的に見たら適正な」「対処」だと思いますよ。
そのうち、信頼関係が出来てきたら、それが結果的には正解だった。ということは、外から見りゃあ分かる。中にいるうちは分からないだけで。

ということで、外から見た、現に起きている事態だけ見れば、やるべきことの選択肢はほとんどない。
即ち、繰り返すが、
「とにかくちゃんと真面目に応じる」。
これが原則正解なのだ。
人間関係の基本、大事な話です。
これで行きましょう。

***

今回描いたロードマップの「実際の両想いの恋愛関係」以降は、以下の通りです。

実際の両想いの恋愛関係
→お願いをする
→そのためにニーズや地雷のルールブックを編纂して開示して随時改訂する
→応答責任を持つ
→お願いを聞く
→感謝する
→恩義を感じる
→謝辞を表す
→返礼をする
→返礼を受け取る

(続く)


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