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アバターWOWが日本だけ1位をとれない理由を深掘りする【歴史と文化】(アバター2:ウェイ・オブ・ウォーター)

なぜ日本だけ『アバターWOW』が1位にならなかったのかという分析記事を読んだ。筆者の栗原健也氏はマーケティングに造詣が深いようで、マーケティングの視点から深く考察された良記事だったが、私には一点不満に感じることがあった。

あまりにもマーケティングに寄りすぎなのである。

確かにマーケティング戦略で、より効果的にリーチを取ることは重要である。映画は面白かったから観に行くものではなくて、面白そうだから観に行くものである。実績よりも期待が重要な娯楽である。

しかし、それならば「送り手側のマーケティングだけで映画のヒットが決まるのか」といえば強く疑問である。たとえマーケティングが悪手だったとしても、最初に観に行った観客が作品の質の高さを正しく理解できれば、自然とSNSのクチコミなどから波及していくのではないか。むしろ今の時代では広告が飽和して、映画の事前の宣伝なんて弱小企業でも上手くできるようになってしまったので、身近な人の声の重要度が高まっているのではないか。

これは失礼にあたるかもしれないが、少し意地悪な表現を取るならば、栗原氏はマーケティングに詳しくなるあまり、マーケティングを過信しているようにさえ私には見える。

もっと観客側の審美眼と拡散力を信頼しても良いのではないか。

また栗原氏は「アバターには映像体験の他に語られる要素がなかった」とも指摘しているが、それは海外では事情が異なるのかという検証も考察も無い。これでは片手落ちであるし、百歩譲ってその指摘が正しかったとして、何故そのような状況が生じたかまで踏み込んでこそだろう。

また近年の映画では、大ヒットするためにはリピーターの存在が重要なのも常識になっている。日本で大ヒットしているアニメ作品は時期を変えて入場特典などで集客しているケースもある。アバターWOWでは、一度リーチできた観客をなぜ繋ぎ止められなかったのかという観点が栗原氏の投稿には欠落していると思われる。

結論を述べよう。

日本だけ『アバターWOW』が十分にヒットしなかった原因は、アバターの物語を理解できる素養(文化的背景)がない日本の独特なカルチャーと歴史にこそあると私は考えている。

本稿ではそれについて順番に考察していく。

▼なぜ世界ではアバターの物語が評価されるのか?

これにはアバターという作品の本質を理解する必要がある。

アバターの最大のテーマは「異文化コミュニケーション」である。

ナヴィは黒人のメタファーだ。

肌の色が自分達とは違う。大きな目、広い鼻、厚い唇、長い手足、優れた運動能力。全てアメリカ白人層が黒人に対して抱いていたイメージである。

Get Out (Universal, 2017)
ジョーダン・ピール監督の『ゲット・アウト』は
これを「屈折した憧れ」として描いてて面白かった。

『アバター』は地球人=白人と、ナヴィ=黒人の、交流と衝突の話なのだ。

そもそも世界の多くの国は何百年も人種差別を経験してきた。

それらの差別は今も生活習慣に色濃く残っている。

アバターは米国の映画なので、米国の歴史を基準に考えるとわかりやすい。

アメリカでは特に1960年代以降の長年の努力の積み重ねもあり、建前上は平等になった。しかし「アイツのお爺さんのお爺さんはオレ達のご先祖さまに酷いことをしたんだ」という史実は皆知っているし、現実問題として「自分達が有色人種だから自分達は良い仕事に就けず豊かな暮らしができないのだ」と思い込んでいる黒人貧困層や先住民は結構多い。まあ一つ残酷なことを申し上げると、貧困って生活習慣と教育の結果で大きく決まるものだから、社会学的には親から遺伝する傾向が強いのよ。だからBLM運動のような名目で破壊活動を伴う非道理なデモが起きたりする。

https://en.wikipedia.org/wiki/George_Floyd_protests

一方で法律では名目上は平等が保障されたことになっており、これに反するものは強く非難される傾向がある。有色人種を差別的に描くとメッセージの方向性に問わず批判されてしまう実情もあり、マスリーチを前提とした作品ではそうした直接的で過激な表現は避ける傾向がある。作品全体では「黒人差別はいけません」という文脈だったのに黒人が虐待されているシーンだけ切り抜かれて「この映画は黒人差別を擁護してる」とか非難されて万が一バズったりしたら、映画スタジオは堪ったものではない。

だからこそ、大手スタジオになるほど過剰に有色人種に配慮した演出を入れる。主人公の上司が黒人だったり、有色人種が正義の味方や救世主のような立場で登場したり、強い女性が活躍したり、いわゆる「ポリコレ表現」が増えることになる。このようなポリコレ自体は悪いことではないが、やりすぎるとリアリティを失ってしまう部分は正直ある。(そもそも理想主義者が描く「理想的な社会」だから現実とはかけ離れていくのよね)

しかしキャメロンはこのポリコレのお花畑に守られていない、ゴリゴリのハードボイルドな人種の衝突を描きたかった。だからこそ、およそ地球人には見えないブルーの肌の異星人をでっち上げたのだ。

Avatar (20th Century Fox, 2009)

このような背景があるため「そもそも肌が青い宇宙人に感情移入なんて出来るかよw」と鬼の首とったようにドヤ顔してるツイッタラーや自称映画批評家は全員スタート地点から迷子になっていることになる。ネグロイドやモンゴロイドが使いものにならないからナヴィロイド(新たな肌の色の人種)をキャメロンは作ったのよ。そういうのを「映画の地平線」と言うのだよ。恥ずかしいね。

地球人がおよそ自分達と同種には見えない「人間のような形をした何か」に直面する様子は、ちょうど「白人社会で黒人がまだ人間だと認められていなかった時代の振る舞い」や「白人社会がアメリカ先住民を野獣だと認識していたから好き勝手に大陸を侵略した過去」を炙り出していて、その歴史的な厚みが心の深いところでネガティブな感情に響く。白人はご先祖さまの罪を思い出し、有色人種は自分達が抱く怒りや恨みを思い出すのである。

しかしながら視界にはハイクオリティすぎる未曾有の迫力映像を見せられてポジティブな快感を得ることで、言葉にできない善悪入り乱れたものすごく大きな感情のうねりをアメリカ人は体験する。だからこそ、彼らはアバターに深い感動を覚えるのだ。

1866年の人種差別を促進するポスター
https://en.wikipedia.org/wiki/Racism

そして現在までに経済発展を遂げている世界中の国々が、程度の差こそあれ、このような異文化衝突や他国への侵略の加害者または被害者になる経験をしているので、キャメロンが青色のナヴィに仕込んだカラクリが同じように響く。

しかし、日本人には通用しない。

なぜか。

▼なぜ日本ではアバターの本質が理解されないのか?

これには「学校で教えない日本の歴史」を知っておく必要がある。

学校ではあまり教えないが、日本は古代に建国されて以来、近代まで欧州の列強国や東アジアの大国に一度たりとも侵略や植民地化を許さず、そのうえ現在に至るまで王家の血を継承し続けている「神に守られし奇跡の島国」なのである。

これがどのくらい奇跡的なことか。例えば、すぐ隣のシナChina地域では50年も続かずに幾つもの国々が栄枯盛衰や民族紛争やクーデターや人民虐殺や王家断絶を何度も何度も何度も繰り返してきた傍で、日本は実に2,000年以上という世界にも類を見ないほど長い歴史と伝統と王の血筋(皇室)を残すことに成功している、と言えば凄さが伝わるだろうか。皇室の発祥起源は天照大神の子孫であると『古事記』『日本書紀』という日本国の公式文書に明記されており、つまり「日本の王家」は正真正銘の神様だと国が正式に認めていて、それが有史以前(人類が文字を使い始める前)から続いているのだ。

神武天皇東征之図(紀元前660年2月11日とされている出来事)

海外のあらゆる国に国づくりの神話があるが、その血筋が現代まで続いている事例は皆無である。数千年の歴史のどこかで他国や新興国に滅ぼされているからだ。昔は残酷だったので敗北した王家は文字通り、殺されて、血筋を絶たれる。日本はこれを知恵で回避し続けてきた。これが世界ではニッポンがユニークでめちゃ格好良い理由であり、中央アジアやアフリカの国々からめちゃ尊敬される理由であり、チャイナやコリアから嫉妬される理由でもある。

特にキリスト教圏のヨーロッパ諸国に支配搾取されてきた国々は、キリストが生まれる数百年前から続いている日本皇室に最大限の敬意を払う傾向が強い。また日本に訪れる外国人がよく「日本の歴史は深い」と語るときに、彼らの多くは「キリスト教より昔からある」という意味で語っている。この意味を理解している日本人がどのくらい居るのか疑問である。日本政府はアニメやサブカルを「クールジャパン」などと囃し立てているが、本来は「ダブルミレニアムエンペラー」こと皇室をこそクールジャパンとして誇るべきだろう。

しかも昭和20年に原爆を落とされて世界大戦での降伏を余儀なくされた時にも、日本皇室を廃止しようとした米国GHQ(戦勝国が統治するときに敗戦国の王家を廃止するのは近代までは普通の発想)と巧みに交渉して、新しい憲法で天皇を「象徴」という良くも悪くも意味不明な名目に挿げ替えることで、皇室を残すことに成功した(意味不明だから別に殺さなくても良いという結論にアメリカの面子を潰さず持っていける;原爆投下という非人道的な手段に出たので早期に戦後協議を収束させたかったアメリカ側の思惑も利用した)わけで。もう当時の日本の内閣や外交官がどれだけ優秀でやり手だったのかという話になるのである。

 誤解されたくないので断っておくと、私の主張はいわゆる選民思想ではない。私は日本人のDNAが優れているから世界で最も続いている国家を実現できたのだとは思っていない。
 日本国が2,000年も一つの国体と王家(皇室)を続けてこられたのは、日本列島の地理的特徴や気候条件が、そこに住む人々が「国や王家を平和に維持する方針」に沿って動いた方が有利になるため、そういう決断をする人達が政治的に勝つ確率が高くなり、そういう歴史を積み重ねながら国民が百世代以上(20年*100世代=2,000年)に渡って文化風習として学習し守り続けてきたから、結果的に現代まで続けて来られたからである。逆に、砂漠の真ん中で日本のようなユートピア国家を存続させるのは至難の技だ(国土や気候がその土地の人々の性質を形作るという話は詳しくは和辻哲郎の『風土』を参照されたい)。つまり言い方を変えると日本列島は「運が良かった」要素も大いにあるだろう。
 ただし世間には「運も実力のうち」という言葉があるし、「継続は力なり」という言葉もある。日本国民が与えられた環境をうまく使って、文化風習を守りながら、その文化風習に見合う存在になろうと努力し続けてきたことは、十分に誇れると私は考えている。
 要するに、パートナーや家族や地元を大事にする(誇りに思う)というモットーなら共感してもらえる人は多いと思うが、そういう発想を国レベルまで広げても良いよね、ということが言いたいだけである。

2,000年以上も続いてきて、ここまで大きな国力に成長して、世界を真っ二つに分ける大戦争の主要メンバーになって負けて、それでいて王の血筋を存続してる国なんて日本の他に一つも無いのよ。(アフリカのジャングル奥地を探せばひっそりと続く小さな王国はあるかもしれんけどw)

Black Panther (Marvel, 2018)

ただし、こうなると日本は「世界に誇る歴史と伝統を持っている」のと引き換えに、異なる民族が攻めてきて土地を全て奪われるとか、男を全員殺されるとか、女を全員奪われてセックス奴隷や子供製造マシンにされるとか、自分達の子供を全員殺されるとか、肌の色が違う人達に奴隷で使われるとか、寺社仏閣を焼いて全然見たことないタイプの神殿が建設されるとか、全員キリスト教にされるとか、母国語を捨てて「共用語」を押し付けられるとか、母国語を使うのが見つかったら警察にムチで打たれるとか、学校教育が全教科英語になるとか、ある日突然通貨が変わるとか、そういうシビアな侵略行為を経験してないから、日本は「本当の意味で、侵略を知らない国と文化と民族」になった。

仲良く接することだけがコミュニケーションではない。

この世にはネガティブなコミュニケーション戦略もある。

敵対して衝突して優劣が決まるのが国家間のリアルなコミュニケーションである。

日本人は広義の「異文化コミュニケーション」の経験に乏しい民族なのよ。

だから、アバターの物語なんて響く方がマイノリティなのよ、日本人には。

一つ前の章で説明した、差別と侵略の経験知がないんだから、共感できる方が異常ってもんよ。

(もちろん自分から熱心に勉強してる少数派の国民は除くけど)

(映画ファンにはリベラル派が多いから無関心な人が多そう)

まあこの国がずっと平和でいられたことの小さな代償よね。そんな残酷な現実なんて知らない方がハッピーなんだから。そのぶん豊かで優しい国に暮らすことができてるんだから。日本はマジ優秀だったご先祖様のトップ政治家たちに感謝々々ですよ。

人間は相手の考えや言い分を理解できないときに「相手がバカなせいだ」と考える癖がある。「まったく何をバカなことを言っとるんだ君は」と。すまんがそれってお互い様なのだ。養老孟司はこれを『バカの壁』と呼んだ。学校の先生がよくバカにされるのも殆どはこのロジックで起きている。自分が理解できないのを自分のせいにするのは辛いので、相手がバカだということにしてしまった方がココロが楽だからだ。

よって娯楽映画アバターに対しても、日本では「理解できない→あの映画はバカだから」という風潮が共感され支持されやすくなるのである。

なお、これはアバター1と2の両方において言えることである。

▼本当に日本だけで叩かれているのか?

じゃあ、アバターは世界では絶賛一色なのに日本のみバカにされている。

…って、そんなことはない。(苦笑)

実は日本人が想像している以上に世界でもアバターは叩かれている。

しかし、ここでも背景には政治と歴史が絡んでいる。

日本とアメリカではアバターをバカにする原因が大きく異なる。

アメリカでは要するに、アバターは根本的には「他国への侵略」を描いた物語なので、この作品自体がアメリカ開拓史への批判になっていて「こんなものが許せるか」「映画として認められない」とガチで怒りを覚える人も米国には多いのだ。

しかもキャメロンは青色人間を使ってポリコレ監視網もすり抜けながら、アメリカの負の歴史をズバリ的確に突いてくるから、図星で余計に怒る。

だから「あんな物はデタラメのバカ映画だ!」と言いがかりを付けているのである。ここでも「バカの壁」が発動している。

だって真面目に議論したら、侵略があったと認めざるを得ないもん。アメリカという国と人々は悪い奴らということになってしまう。それをカナダ人の映画監督が言ってるんだぜ。そりゃあムカつく人もたくさん出てくるでしょう。(苦笑)

下図は2010年のアカデミー賞授賞式の直前くらいに作られたミームだが、1コマ目で輝かしい業績が多数ある一方で、2コマ目いまだに「アバターは駄作だ」と声を上げて抵抗する人達がいる様子を表している。

もう思想の左右、人権活動家、芸術家、他の映画ファン、有象無象の連中が寄ってたかって入り乱れて壮絶な口論を繰り広げているのが実情で。しかし、事実として全世界で25億ドルを売り上げているということは、それだけエンタメ作品としてクオリティが高いことの証でもある。これがアバターを冷静に俯瞰した時に見える景色だ。

日本:分からない⇒叩く

アメリカ:分かってる⇒まともに論じると自分が不利⇒叩く

この違いは大きい。

▼日本のメディアにはフィルターが掛かっている

本稿で私が述べてきたアバターの真髄にある人種差別問題に正面から向き合った批評は、日本の大手メディアでは殆ど見かけない。

アバターは映像がすごい!…とだけ褒め称えて、他は何も言わない。

お気楽なものだねえ。

テレビの出演者は勿論、自由に発言できるはずのSNSインフルエンサーまで、そんな調子に乗せられて「物語はカラッポ」とかドヤ顔で言ってしまう。

「なんか子育てに手を焼いてるスケールの小さな話」などと、バカにしつつ矮小化する。

そして大衆もその雰囲気に流される。

無理もない。昭和20年に太平洋戦争で負けて以来、二度とアメリカの脅威にならぬように日本は帝国主義や歴史認識を改めさせられてしまったからだ。敗戦国になるとは、そういうことである。

これについては、ちょっと説明を書いておこう。

長くなりすぎるのであまり詳しくは書かないが、20世紀初頭に日本が周辺地域を植民地化したのは、日本が何もしなければ東南アジアや清国Chinaと同じように欧州列強に占領されてしまう危機だったからという側面もある。当時の清国は欧州列強ヨーロッパと日本によって分割統治されていたが、日本から見れば清国本土が全てヨーロッパの手に堕ちれば、次は台湾・沖縄・九州から攻めてくるのは時間の問題だった。それを防ぐために先手必勝で台湾に接する清国の海岸線を押さえたのだ。清国だけに任せていたら日本自身が危なかった。これが100年前の常識であり、100年前のリアルな国際政治である。

https://chitonitose.com/wh/wh_lessons85.html

今では悪名高き1910年の韓国併合でさえも、朝鮮半島を治めていた李氏朝鮮(大韓帝国)が、ロシアからの脅威に対抗するために自分たちから日本の保護国に入ることを望んだという経緯がある。なんせ清国は北の領土をどんどんロシアに奪われていたのに、日本は1904年の日露戦争で勝利したので。李氏朝鮮は昔からずっと十八番だった「勝ち馬に乗る」を実行したまでだ。なお元内閣総理大臣で当時の韓国統監だった伊藤博文は李氏朝鮮への技術支援と保護こそ賛成すれども、併合には反対していた。もともと荒廃した山岳地帯で学校さえ無かった朝鮮半島を豊かにすれば、それだけで李氏朝鮮がロシアからの侵攻を防いでくれるという構想だった。日本とロシアの直接対決ではなくて、緩衝国を置くという戦略的な目論みもあっただろう。現在の大韓民国や北朝鮮が使っている交通インフラや学校などの多くはこの時期に日本が整備したものである。戦後ニッポンはこうした戦時下でのレジームやポリシーを考慮せず全て頭ごなしに否定する向きがある。だから是々非々でフェアに考えたことがある人がどんどん減っている。

日本人の思想の弱体化はアメリカにとっても好都合だが、実はチャイナにとっても好都合である。なぜならもし将来、世界の秩序が大きく変わるときが来れば、日本を占領できるチャンスが広がるからだ。

なぜかチャイナ政府と名前を同じにしている日本共産党は、日教組という組織を使って義務教育で日本の伝統や価値などをクールに教えないように徹底する。日本の国体維持に鑑みれば本来は社会・歴史・倫理・道徳・国語などの科目で先人の偉業はポジティブに教えるべきだが、逆に「愛国心は悪いものである」と洗脳する。

今やチャイナとコリアの出身者が幹部クラスに多く入っている日本の大手新聞社と主要テレビ局は専ら日本を批判する論調の報道が増える。安倍晋三が暗殺された直後でさえ新聞テレビなど大手メディアは安倍叩きに躍起なマスゴミしぐさだった。

日本共産党や立憲民主党のような極左政党があるから見えにくいが、与党の自由民主党にも親中派のチャイナ贔屓の政治家が相当数入り込んでいる。中国で太陽光パネルビジネスを家族が経営している河野太郎や、何かと親中的な言動を繰り返す林芳正外務大臣などが代表的である。韓国産アプリのLINEや中国産アプリのTikTokを政府広報が利用するなど、機密情報まで流していないか心配になる施策も多い。

民間レベルでも、チャイナの企業や個人資産家が、貴重な水資源である日本の山林や箱根などの風光明媚な観光地の土地をどんどん購入しても、日本政府はほとんど手を打たない。チャイナは国家ぐるみで日本領土を奪いにきているかもしれないのに。諸外国では外国資本に土地を自由に購入させないように法律で規制しているのが常識なのに。これこそニッポンが侵略を知らない国だからこその弱点である。

このように教育とメディアと政治を左傾化させることで、日本への「21世紀型の新たなる形での侵略」はすでに着実に進んでいるとも見なせる。右派の人達は現実主義で考える人が多いので「そういう可能性がある;過去の人類の歴史にはそのような手法で侵略された国が多数あるから気をつけましょう」と注意喚起している。

左派は「人間は平等だから争いなどしない」という理想主義に立脚している(建前であり方便でしかないように見える人や国も多いのだが)ので、人種差別や民族問題などは臭い物に蓋をしてマトモに論じることをしない。それもそのはずで、マトモに論じれば、この日本国が何十年にわたり仕込んできた壮大な左傾化に気づいてしまう人が増えるからである。実際に、新聞やテレビなどのオールドメディアから離れている若者には右傾化している人が増えているという。私に言わせれば現時点で日本社会はかなり左寄りなのだから少し右に振り返すのは健全だと思える。

できることなら日本国民の大衆にはこのまま何も気づかずに、脳内お花畑で居てほしいと左派トップの連中の多くは願っている。何度でも書くが、もし次に世界の秩序が大きく変わるときに、チャイナが日本を支配できるチャンスが広がるからだ。だからこそ「右派の思想は危険で暴力的」「ネトウヨ」などというレッテル貼りをして、議論より先に嫌悪感を醸成する取り組みに余念がない。昨今の日本メディアは安倍晋三やドナルド・トランプなど保守的な言動を行う政治家を執拗に叩く。

アメリカ、ジャパン、チャイナが同じテーブルに着いてる凄さが分かりますか。
アメリカとロシアが、ミサイルじゃなくて酒を交わしてる。これが平和やで。

そしてカルチャーはこうした社会基盤の上に形成されるものなので、当然のように左傾化する。少なくともエンタメ業界のメインストリームは表面上は左派一色と言っても過言ではない。読者の皆様はもう察していると思うが、20年くらい前から韓国ドラマやK-POPが日本でフィーチャーされる機会が増えたのも、こうした潮流があるからである。

ちなみに左右のバランスが取れているアメリカでも映画業界は反トランプ色がかなり強いので、メジャー級の映画は実は思想に偏りがある。女性差別を描いてアメリカ映画協会で高く評価された『シーセッド』は、物語に直接関係ないトランプ批判をねじ込んでいた。MCUだってトランプの化身のようなトニー・スタークは毎回トラブルメイカーで最後は死んでしまう一方で、オバマのように振る舞うスティーブ・ロジャースは愛する女性と幸せに暮らしましたとさメデタシ、だからね。エンドゲームの最後はバイデンみたいな容姿のお爺ちゃんになったし。

『シーセッド』は権威あるアメリカ映画協会の「2022年の10本」に選抜。
https://www.afi.com/award/afi-awards-2022/

思想の左右をどちらも見つめられる視点がなければ、民族問題や人種差別はとてもじゃないが理解できるものではない。世界の多くの先進国がアバターに感動しているのに、日本だけがピンと来ないのには、ここに大きな差があるからである。アメリカの社会問題もキリスト教の功罪も見えなければ、映画の深い部分にあるメッセージは分からず終いだ。

そして、人間は「分からない=つまらない」と感じる生き物である。

逆に言えば、日本人であっても、こうした歴史の壮大なパワーゲームを真剣に考えたことがある人ならば、日本メディアのフィルターを通してでは殆ど説明される機会のない、アバターの演出にディテールとして仕込まれた仕掛けに気がついて、ドラマの深さを読み取ることもできる。

君は分かる側の人間になりたいか。

分からないまま楽しく生きていられれば、それで満足か。

▼まとめ

Avatar: The Way of Water (20th Century Studios, 2022)

アバターWOWが日本で1位を取れなかったのは宣伝が悪かっただけではなくて、そもそも日本人のバックグラウンドでは物語の本質に共感するのが難しいという話をここまで書いてきた。

海外の国々は過去に少なくとも一度は他民族を侵略したり侵略された歴史があるから、この映画の比喩やドラマの深いところまで見える人が多いのだろう。 日本は有史以来ずっと国体を存続してきた国だから、読み取れてる人はごく少数だと思う。

いちおう補足しておくと、別にそこまで深く理解しなくてもアバターWOWは十分楽しめる映画である。映像の凄さとかメカの格好良さとか家族愛とか。例示させていただいた栗原氏の記事では「革新的な映像」はもうすでにコモディティ化(日用品化)したので効果が薄いと分析されていたが、アバターWOWの映像技術は設備の整った劇場で観覧すれば2022年時点では他のあらゆる映画を凌駕するハイクオリティである。

だが、それだけでは公開から僅か1ヶ月で20億ドルも興行収入を上げて、世界歴代4位になるほど熱心なリピーターやレコメンダーが大量発生することの説明がつかない。そこにあるのは日本の教育・メディア・社会が放棄してきた歴史に対する誠実な姿勢だ。要するに戦後日本が推し進めてきたプロパガンダに綺麗に乗っかっているから、日本人は気づかないのである。

誤解のないように述べておくと、本当のことが知りたければメディアのプロパガンダを信じてはいけないだけで、日本に住んでいる以上、日本で横溢しているプロパガンダに乗っかって踊っていても、別に何も知らない幸福な人として楽しく生きることはできる。映画『マトリックス』で出てきた仮想世界に繋がれている人達と同じだ。

The Matrix (Warner Brothers, 1999)

ただ、そういうぬるま湯に浸かり続けていても本当の幸せとは呼べないと(私は)思うし、何が起きても変じゃない実在の世界情勢を見るに、気がついたら日本や日本人が手遅れになってしまうのが怖くて、こうして左右両論を是々非々で判断する意識を文章に起こしている。私は極右も極左も嫌いだが、今の日本が左に寄りすぎていることは間違いないし、それは危険なことだと思う。

あと、そういう深みまで分かると、海外のエンタメ作品って本当に面白くなるよ!

了。

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