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マウンティング+絶交体験から実感した「課題の分離」の威力
先日、知人とオンライン飲み会をしたのだが、
途中でその人が唐突に私の言葉尻を捉えて説教を始めた。
そこで私は、
「この人は酒と自分に酔っている。しかもこの内容はマウンティングだ。他の方にも迷惑だろう。」
と判断し、「その話しはもう結構です。話題を変えましょう」と言ったところ、
「あなたとは分かり合えない!」と激昂され、ミーティングから強制退室
させられてしまった。
おまけにLINEグループか
「自由研究とは「愉しい頭の使い方」を知る手段では」
私がどうも学校での勉強に真剣に取り組めなかったのは、
「勉強=頭を使うこと=面倒くさく我慢を要すること」
という刷り込みがあったからではないか。
世間一般では、「頭を使う=面倒くさいこと」という認識が強く、
それが勉強を苦行に仕立て上げているように思える。
確かに、組織で働く際には、面倒くさい頭の使い方をすることが多いかもしれないし、面倒くささに慣れることは、忍耐力を養うことにも繋がるか
我慢よりも勇気にエネルギーを使いたい
「嫌なことを止めて恐いことをする」
この一文に出会って以降、同じ氣力を使うならば、我慢することよりも、勇気を出した方が自分にとっては遥かにお得だと思えるようになった。
深刻に生きている人の大半は、本来自分がやりたいことを諦め、嫌な事を我慢してやっているようにも見える。
嫌な事を我慢してやることは、時には必要なことかもしれないが、我慢する先には希望が必要だと思う。
同じ我慢するにしても、希望
「待つ時間」を再定義して愉快に生きる
前回書いた、「愉快に生きたければ、愉快に生きればいい」ということのチャレンジ報告。
隣町にある人気うどん店に食事に行ったが、混雑を避けて13時半に行っても超満員。
何とか席についたが、私より前に席に案内された人達の料理もまだ来ていないことから、「こりゃかなり待ちそうだ」と推察し、
そういう事もあろうかと想定して持ってきた本を読む。
この本は、図書館から借りたもので明日が返却期限なので、自分