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DV男の故郷、DV男の意外な家族友人

私は産後数ヶ月経った頃、赤ちゃんと一緒に夫の国へ引っ越した。
赤ちゃんを連れての飛行機、そしてこれから少しずつ始まる地獄へ一歩踏み出してしまったのだ。

あの時、あのまま実家に残っていたらどうなっていただろうか?
そうしていれば夫は諦めただろうか?
いや、諦めるはずがない。
きっと家族を巻き込み悲惨なことになっていたと思う。

そう思うのは私がまだ完全に洗脳が解けきっていないからかもしれない。

他人にこれを言うと、考えすぎだ。
あなたの夫は小心者だからそんな大それたことはできないから心配することはない。

きっとそれが他人から見た夫なのだろう。

赤ちゃんは機内でもぐっすり寝てくれて、私たちは無事夫の待つその国に到着した。

言葉もわからない国、文化も全く違う国。

何度か来たことはあり、印象の良い国ではあったけれど住むとなるとまた話は別だ。

覚悟も十分な準備もできないまま来てしまった。


この国にいるときはまだ私は夫に反論したり、自分の意見をちゃんと夫に言っていた。

それはここには、夫のことをよく知っていて、それでいて私の味方になってくれる人がいたからだ。

夫はその人を兄のように慕い、心からその人のことだけは尊敬しているようだった。

私はこの国で夫の家族や親族、友人や恩師に会うことになるが、びっくりすることに夫以外は皆いい人たちだった。
皆、堅い職業に就き、真っ当に人生を歩んでいるようだったし、私のことをとても温かく迎えてくれた。

夫も彼らとよく飲み、笑い、お互いの家族を紹介しあい、家族ぐるみでいろんな場所に出かけた。
船舶の設計士、弁護士、パイロット、会社の経営者など主に彼の高校の同級生は良い仕事に就いている人ばかりだったが、鼻にかける様子もなくとても素敵な人たちに見えた。

夫の親族は皆教育関係の仕事をしていた。
教育関係といっても、皆明るく、家族で集まるとみんなで飲んで笑い転げるような人たちだった。
日本語を専攻していたおばさんがいて、少し日本語を話せたり、若い世代は日本にとても興味があってカタコトの英語でやりとりしたり私にとって夫の家族はとても温かいものだった。

夫の周りはそのような人たちばかりで、若い人は大体英語が話せたので私とコミュニケーションをとることもできた。

逆に私の家族は自営業が多く、多忙でみんなで集まれる日など年に一度あるかないかの環境だった。
それが後に夫が怒る理由となるのだった。

夫の家族はお互いに助け合い、お互いのことをよく知っていてとてもいいことだと思うが、悪く言えばおせっかりで過保護とも言える。
私が育った環境とは違いすぎて、羨ましいところもあるがあんなに構われたら私はきついな。。と思うことも多々あった。

ただそれは夫の家族で、私たちを居心地良くしたい気持ちがすごくわかるから私も精一杯できることをしたし、語学も少しずつ覚え簡単なコミュニケーションは取れるようになった。

ただ一つ、夫は夫の両親と険悪だった。

婚約した時、夫は私に両親とは絶縁していると言っていたから知っていた。
その理由も聞いていた。
今となってはその理由が本当だったのか嘘だったのかはわからないが、私はそれでも結婚することは両親に報告しなければいけないと言った。
そして夫はその日両親に電話をした。

私は夫と両親の架け橋になれるのなら嬉しいと思っていた。

そんな温かい人たちに囲まれて育った夫がこんなふうだなんて、、きっと今の夫は外国での長い暮らしの中で孤独を感じておかしくなっていただけだ。
きっとこの人たちの中で暮らせばきっと元の夫に戻るはずだ。
私は、いやきっとDV被害者たちは皆こう思うのだ。

”元の優しい彼に戻るはずだ。”





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