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マヨネーズをつけられるということ
飽食の時代私が幼い頃は、まだ戦中・戦後世代の方がご健在で、よく「今は飽食の時代だ」と言われた。その真っ只中に生きる私には、その意味がよくわからなかったが、今はよくわかる。飽食とは、マヨネーズへの感謝を忘れることである。
インド出張ある年の春、私は仕事の都合でインドにいた。
空港から外に出て辺りを見回したとき、飛行機の中で観た『Mad Max 怒りのデスロード』とほぼ同じ世界観が広がっていたので
中島らも『永遠も半ばを過ぎて』
私は昨年一年間、ゴルフにはまっていた。ゴルフはとても不思議なスポーツである。十分に素振りをして、得心したところでボールに向かい、練習と同じようにスイングしてもクラブのヘッドがボールにうまく当たらないのである。これが野球ならば、ピッチャーの投げたボールにバットが当たらないのは理解ができる。動くボール、まして相手が意図を持って当てられないように投げたボールに正確にヒットさせることは誰が考えても難しい。
もっとみるデス・ゾーンと神々の山嶺
栗城史多という登山家がいた。冒険の共有と5大陸最高峰単独無酸素登頂を掲げ、精力的に自分の活動をアピールし、自身の登山の様子をネット配信する等して一時期注目を集めた。一般的な登山家のイメージ、つまりは寡黙で、世間とは隔絶した自分の世界を持ち、ただひたすら山と己の限界と向き合うという求道者然としたものとは一線を画す人物であった。
私が彼の存在を知ったのはおよそ10年ほど前、恐らく彼の絶頂期の頃であっ
コネティカットのひょこひょこおじさん
座右の銘世の中、一度見聞きしたら忘れられない言葉というものがある。私にとっては「コネティカットのひょこひょこおじさん」がそれに該当する。なぜコネティカットなのか、何がひょこひょこなのか、どういうおじさんなのか。全く意味が分からない。3つの単語の連なりからなるこの言葉は、中身のない大きな衝撃を私に与え、無駄に胸の奥に深く刻み込まれた。もう少し格言めいたものとこのような出会いを果たせば、座右の銘に据え
もっとみる卵をめぐる祖父の戦争
先日、「1917 命をかけた伝令」という映画を観てこの本を思い出した。両者は、若い2人の兵士が命をかけて戦場・危険地帯を駆け回るという設定が似ていた。
違う点もあった。「1917 命をかけた伝令」では第1次世界大戦中のフランスを舞台にイギリス軍人が主人公を務める。一方、「卵をめぐる祖父の戦争」では、第2次世界大戦中、独ソ戦でドイツ軍に包囲されたレニングラード周辺を舞台に、ロシア人兵士が主人公とな