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アルレッキーノ、タッチストーンそしてジョーカー 斜に構えるスタンスも私のパートナー その2.1 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 王道を歩むことが人生の軸です。その上で対極にある斜に構えるスタンスも恣意的に取ることは忘れません。

 そのスタンスの典型の1つである、道化師として芸術作品で扱われる役回り。

 その1では、

 良い年をして、最近になってこのnoteのプラットフォームの中のアルレッキーノさんの作品に触れる機会があり、正にnoteさんがご縁でアルレッキーノを意識するようになり、リファレンスとしてアルレッキーノ (Arlecchino)をこれから少しずつ勉強していこうと思っています。

というお話でした。

 今回は、そもそもシェイクスピアのタッチストーンやトランプのジョーカーというのがリファレンスとしての道化でしたので、アルレッキーノに次いでタッチストーンを。

 王道を歩むことを柱に構成されている私の頭の中の仮想パートナーとして、斜に構えるスタンスのリファレンスのロールモデル

 ロールモデルについてはこちらを参考になさってください。

厚生労働省
B-1 ロールモデルとは 2B ロールモデルの普及

として恣意的に置いているタッチストーン。

 シェイクスピアの作品の鑑賞は、劇場かテレビと決めていました。当時は、BBCの意欲作と並行して市井の劇団や高校の演劇部等でも作品が取り上げられることが多く、大学生になってからは教え子からまでも招待を受けて観劇する機会があり多くありました。
 その中で唯一「お気に召すまま」はタッチストーンを味わう意味で単行本も手にするのでした。その辺りの流れは…

 そもそもは、幼稚園からずっと背伸びしていた私が中学生になりたての頃、学生運動をしている大学生をニュースで見ては、

頭は良いけどやり方が違うだろう…

と思いつつ、その知的さには憧れていた頃好きだったNHKの市民大学で小田島雄志さんがシェイクスピアの最新の解釈を展開されていたことから始まります。

 以下、学生時代とは言え私の原点なのでそのまま有り体にご紹介しますね、

 背伸びしていた昭和の学生の心の中を覗き見…(笑)

知的さには憧れていた頃好きだったNHKの市民大学で
小田島雄志さんがシェイクスピアの最新の解釈を展開

これに心を奪われた

 また独特の声での喋り口、その風貌もインパクトがあり、小中高の教諭とは違うなぁと満足し、また感心したものでした。ある意味で学校の受験に向けた授業へのアンチテーゼとして。

 ある意味で中学校、高校をすっ飛ばして小学校から大学に行きたかったのです。受験勉強をくだらないと見下していました。

 有言実行で、2人の子どもたちを受験勉強の無い世界で育てたのも原点はここまで遡るのでした。(笑)

 王道を歩むことだけが頭に有った私の頭に、シェイクスピアの作品の解釈を通じて、異なった目線で物事を見ているタッチストーンの重要さを知ったのでした。タッチストーンのクレバーさは小気味良かった…

 勿論学生なりにですが、王道を歩むことは軸として不変、その上でタッチストーン的な見方を常に恣意的にしてみるという習慣が染み付きました。
 これは、当時生徒会活動にのめり込んでいた私にとって先輩の私とは全くの異なる

身近なことから一つ一つ

というキーワードの理解に大いに役立ちました。

 私が大学自治なんて言っていた学生運動の影響を受けて

自主性、積極性

というキーワードで選挙に臨んでいたのですが、真逆なアプローチに見えました。しかし小田島先生のお陰で素直に理解はできたのです。以前なら「身近なことから一つ一つ」という言葉は、私の心には入ってこなかったと思います。

 兎も角私の心の深い場所にシェイクスピアの作品は鎮座しました。

つづく

蛇足
 小田島先生に敬意を表しネタバレは避けています。今も活躍されていますので是非機会を得て本を手にとってみて頂ければ幸いです。






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