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ユダヤ人の方々の教育 イスラエル 海外旅行·海外出張の小ネタ 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 イスラエルに駐在事務所を準備していた1990年代後半の頃の話です。我々の駐在事務所開設とビジネス開発でお世話になっていました。当時日本イスラエル商工会議所の副会頭をその商社さんが努められていました。

【教育の視察団に同行】
 日本からイスラエルの教育についての視察団(Delegation)が来られて、現地の日本大使館や大手総合商社の方がその対応をなさっていました。

 私自身もその商社さんの紹介で日本大使館主催の月例会に参加させて頂いていました。

 当時はアラブボイコットの関係で、油井管やパイプライン用の大経管などの販売や施工·エンジニアリングを主力ビジネスの一つとしていた鉄鋼会社がイスラエルに進出することは有り得無い環境でした。ですから電子デバイス部門とは言え初の鉄鋼会社としての駐在事務所ということで歓待して頂いて居りました。
 
 そんな背景でその視察団にも同行させて頂くことになりました。国際会議に併せての視察団だったこともあり、私達の部門の事務所開設を後方支援していた鉄鋼会社のロンドン駐在事務所の所長も同行されていました。

 それ程の視察団なので20名程度の大視察団となっていました。ですからイスラエル政府側の対応も厚いものでした。

【エデュテイメント】
 当時最先端であったエデュテイメント(エデュケーション(教育)とエンターテインメントの融合·止揚)の紹介が一つの目玉でした。わざわざエルサレムまで行ってエルサレムの地下に眠る歴史を題材にした事例紹介等をするほどの力の入れようでした。

 その後日本国内でもエデュテイメントに関する動きが進みました。

 現在もステルスでエンターテインメントの要素を取り込んだエンターテインメントとして普及しています。

【テルアビブ大学】
 お決まりのテルアビブ大学訪問も有りました。最先端技術開発を産官学連携で進めているという事例でした。米国の次の規模をもつインテルの拠点との連携なども紹介されました。歴史的に国防に真剣にならざるを得ないお国柄なので、軍事開発との連携についても表面的とは言え取り上げられていた事が印象に残っています。

 JGBTsの走りの紹介として戦争状態にあるパレスチナの女性の方が教授として活躍されているという紹介もありました。キャンパスは男女比率も同等で自由で開放的、まるで家族で駐在した時に良く遊びに行ったスタンフォード大学に居る感覚でした。

【職業教育】
 ごく普通の公立小学校に行き毎週ある近隣の大人が交替で担当する職業紹介のプログラムにも同席させて頂きました。ごく普通のお父様がその日だけは我々の為に英語で職業紹介をなさっていました。簡単な実習も用意され、自然に学校生活の後の進路(イグジット)を意識しながら日々学習を進めるというイスラエルの初等教育の特徴が良く理解できました。

 このように優秀な人材を世界に排出しているイスラエルの方々の教育の仕組みの一端を短時間に学ぶ良い機会でした。

蛇足
 エルサレムでの昼食時の事でした。大人数だったのでレストランの席が一箇所にまとめられず適当に別れての食事となりました。たまたま、私よりも少し年上の政府系機関の女性と二人の席になりました。
 公立小学校の授業参観の話題に関する雑談の中で、その方がある有名私立小学校に通っていた頃先生と相性が合わず、今で言うパワーハラスメントを受けていた話をして下さいました。落ちは、即、親の反対を押し切って転校させて貰ったとの事でした。子供ながらしにてされたその決断力にはとても驚かされました。視察団の中でも的を得た質問を積極的にされてとても輝いていたことが印象に残っています。

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