memento mori その8 資料編 2 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
閑話休題
宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もあるというお話。
経緯
私の人生は幸せだったと言い切って他界されたというお話の続編。
大人の絵本ブームの火付け役といわれるヨシタケシンスケさんの長編作品「メメンとモリ」との出会い。
その1は、その作品とラテン語の「いつか死が訪れることを忘れるな」という言葉の件が引っかかったというお話と、そもそもこのラテン語をnoteでの作品を通じて教えてくださったmemento Mori(モリ)さんのお話、おニ人の力強い生き方、個性に脱帽したというお話。
その2は、奇しくもその翌日に身近な人がコロナウイルスに感染して、既往症を悪化させて他界。しかも実は昨年末にも上述の既往症がコロナウイルスで悪化という全く同じパターンでのコロナ禍が身近で起こっていて、同じことが繰り返されていることを悔しく思ったというお話。
その3は、私の人生は幸せだったと言い切って他界された方に生前充分そう言える人生のお手伝いができたというお話。
その4は、そのパートナーの方が静かな心でその運命の日を迎えられたというお話でした。
その5は、そのパートナーの方が喪主でのキリスト教式の儀式での偶然のお話でした。
その6は 閑話として
そもそもイエスキリストは宇宙からあるいは未来の地球人が時空を遡って来たのでは
と感じたというお話でした。
その7は資料編です。
キリスト教式の儀式の一例です。
今回は資料編の続きです。
極々身内のみの小さな儀式。宗教というソリューションを採用したことによる全体的な明るい雰囲気を写真で味わって頂ければと思います。
祭壇はそのソリューションたる宗教、詰まりキリスト教の扱いがお祝いなのでとても明るくデザインされます。
基本はお花でした。
このお花は全て捨てること無く利用されます。最後は参加者の方々にブーケとして配布されました。
衛生的な処置を待つ間の会食は和やかな雰囲気の中で…
小一時間程度の歓談です。
宗教というソリューションを通じてmemento moriを意識して暮らしている成果として、この様な日が来ることもも想定内。従ってとても穏やかにこの日を迎えています。
正に、
宗教という古典的なソリューションが今でも有効な場合もある
という典型。
和やかな顔はプライバシーの問題でお伝えできませんが会食は和やかな雰囲気でした。手前右側が牧師さん、左側が喪主。故人のパートナーの方です。
小一時間で頂くには充分過ぎる会食のメニュー。内容も今風です。お肉も気にせず頂きます。
勿論お魚(鰻)も頂きます。
宗教という古典的なソリューションが活きてそれに素直に則り心の始末が着くという感覚でしょうか。そもそもの主題である
memento mori
をスマートにやり過ごす1つのソリューション形式ですかねぇ。
イスラエルに駐在して感じた素朴なキリスト教感。
それが例えば欧州に広がり2000年熟成されたお作法の1つのリファレンスとなってmemento moriをスマートにやり過ごす1つのソリューション形式にまで発展して、人類の一部の人を救っている…
ということでご参考になればと幸い、と思います。
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