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2024年 3月17日の日記
今日ほんとに何もしてない。何もしてないときこそ日記が捗るぜ。オラオラ。
寝起きはやや健康的なんだけども、それにしてもよくない思考のどっぱまり、陰気のガーターに一直線に突き進んでしまった。
吠えてぇな。カラオケ行きてぇと思ったよ。でもこういう時に行くカラオケって大抵うまかないのよね。「ワイは何の曲もまともに歌えんのか・・・」って、自分の高い期待値の落差から勝手に絶望するだけの一人カラオケになり
2024年2月27日の日記
この頃、四回生の春。就職先は決まったがかと言ってぬか喜びもできない。そんなに時期に差し掛かっている。
どうにも大学の同回生をみると、就職が決まってから以降はバイトで日銭をほどほどに稼ぎつつ日々のサイクルを獲得し、資格の勉強を片手間にあとは遊び惚けるのが通例らしい。仕事は始まってから覚えるということだそうだ。
自分の業種の場合、これが通用しない。画力は日々の積み重ねだし、学校によっては卒業
青い米を作るぞ 二月二日の日記
今日は昨日五時半に寝たため十一時に起きた。膝の痛みは引いている。まさかディズニー行って膝をいわすとは思わなかった。老いなのか・・・
これが?
気を取り直して大泉学園駅まで行き、(通りがかったブックオフで『新世界より』を買った)ハードオフへ向かった。道中は原宿さんとマッハ・キショ松の哲学堂を聞いていた。面白い。
ハードオフへ向かうバスが行先を自己申告するタイプだったのでややギクシャクした。
膝小僧 こんこんと鳴る土踏まず 後ろは熱く前冷たい
自作の短歌書いてやがる…
しかもタイトルに。
笹井宏之さんの短歌が好きだ。意図していなかった言葉の取り合わせ、その余白が感情の秘孔をついてくる感覚がある。
芸術の意義は概ね言語による一元的伝達とは別のコミュニケーションのアプローチを模索することにあると思うのだけれど、その点で現代短歌とかは実感が得やすい対象なのかなぁ、と思ったりする。
言葉による直接の意味ではなくて、あまり関連がないような
こんこんと、倦まず弛まず
久々に大学の友人と会ってきた。
春休みに入って以降合っていないので直接会うのは二か月ぶりだった。
そもそも大学でも講義が同じ時しか顔を合わせることのない間柄(ヨッ友と言うほど遠慮がちな関係でもない)なので、「久々」そのものがあまり珍しくなかった。
いつも通り、久しぶりだった。
集合駅近くの海鮮居酒屋で食事にしゃれ込んだ、私を含めた三人とも酒の席の常識には疎いZ世代丸出しムーブなので、次にど
しっぺいからのどんまなり
コロナにかかった。とうとうかかった。
自体は12月11日、ちゃっかりのどの痛みに寒気と咳に痰という風邪の症状オンパレードを展開し、自室でさみしく布団にくるまっていた。翌日の12日に近所の発熱外来にて検査を受け、サクッと陽性の結果が手元に戻ってきたのだ。
それから数日は怠い身体と詰まった鼻の煩わしさと、各種医療機関が如何に若人に冷たいかを痛感させられ続けるだけの日々である。
まず検査を
散文 日記 メモの処理
・現代では人間の持つ有害性をなるべく漂白しようとするのが一応の動きとして存在するが、もう少し「なぜ私たちはそう思うのか、誰かに危害を加えたり、見下したりしたいのか」をもっと具体的に見つめる必要があると思う。 安直なスローガンで教化された道徳観は、新たな差別の萌芽になり得る。
・最近アマプラの
「この動画は再生できません。」を観た。
生々しい質感の会話を得意とするかが屋の2人が、物語の「解説パート
コード 内省 薄氷 コミュ障
・実家の母が下宿先に来た。都内で昔ながらの友人に会うためらしく、宿泊先として利用した次第だ。
私と母はかなり会話をする方だ、むしろ他の家族と比較したら会話しすぎる部類かもしれない。ある種自分のしょうもない長話を聞いてくれることに甘えているのかもしれない。兎角、よく話した。
よく話したのだが、では自分の内心が詳らかに相手に伝わったとは思えなかった。あくまで、「母に伝わるコードを選択して発信し