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1年半越しの新婚旅行が延期になった後の話
日曜日、朝からインターホンが鳴った。
ドアホンを見るとエントランスではなく玄関からのチャイムだ。訪問者は火災報知設備の点検の作業員さんだった。
「ああ、今日だったか」
告知されていた点検日がこの日だったということに初めて気が付いた。事前に配布されたA4サイズの書面を律儀にキッチンのよく見える場所に吊るしたのは私だった。
手際よく検査を終え、作業員さんはほんの3分ほどで次のお宅へと向かった。時
今度こそ猫を飼いたい
入社2年目の終わり頃だったと思う。初めての一人暮らしを始めた。
最近、何がいつのことだったかという記憶が曖昧になって自分の記憶力の悪さに少し悲しくなるけれど、インフルエンザの予防接種をしていないことを当時の上司に鬼のように怒られた後の話だったことは確かなので、多分それくらい。(体調不良の原因がインフルエンザではなくて肝炎だったことがわかり、初めての入院を経験したのも同じ頃)
当時の勤務地は実家
初めて知ったドラマの楽しみ方
以前より、ドラマをよく見るようになった。
結婚して時間管理をちゃんとするようになり、放送時間までに帰宅できているからというのも理由の1つだけれど、そもそも今まで以上にドラマを見るのが楽しい。
それは、笑ったり(※『ルパンの娘』)泣いたり(※『ノーサイドゲーム』)怖がったり(※『あなたの番です』)という感情を隣にいる旦那さんと共有し、共感し合う時間そのものを楽しんでいるからだと思う。
もともと単独
「髪切った?」と言葉にする自分でいたい
休みの日。予約した美容院で髪を切ってもらう。それが初めての場所であればやっぱり少し落ち着かないし、もしも慣れ親しんだ場所であれば、きっと美容院に行くこと自体が楽しみでご褒美のような気持ちになるのは一定数の女性陣には共感してもらえると思う。
こんなことを書くということはつまり、先日髪を切りました。
もともとずぼらで長い間カラーもしていなかったので、半年くらいほったらかしというのも珍しくない人生だ
引っ越しと、最初が肝心ということ
先月引っ越しをした。
荷物もほぼ片付き、ようやく家らしい環境になり心が落ち着く。
これまで何度か引っ越しを経験してきたけれど、1人分の荷物と2人分の荷物では驚くほど負担が違った。(多趣味な旦那さんの荷物の量を再認識し呆然とした)
そんな中、引っ越しして早々の一週間、彼はほぼ不在だった。
〈旦那の動き〉
水曜日 引っ越し
木曜日 名古屋出張→飲み会
金曜日 滋賀(名古屋ま行くからついでに、という
譲りたくなかったことを妥協したら
仕事用の靴を買った。
買い物は嫌いじゃないけれど、靴に関しては理想のフォルムが自分の中にあって、これというものを見つけるのにいつも時間がかかってしまう。
だから大体は、ようやく気に入ったものを手に入れるとそればかりを履いて最終的には履きつぶして駄目にしてしまうのだ。
複数の靴を履き回せばそれぞれが長持ちするのはわかっているけれど、『理想のフォルム』とはそう頻繁に出会えないため、結局探すのに疲れて
ちょっと苦手なセリフ
会話の中で、「自分は〇〇なタイプだから」「自分は〇〇な性格だから」と頻繁に口にする人がいる。そういうセリフが、ちょっと苦手だ。その後に続く言葉にはだいたい相槌を打つことしかできない。
自分を主語にして何かの理由を述べたりすることはとても当たり前のことだと思う。それまで生きてきた経験や、その時に育まれた感情をもとに自分の考えが生まれるのだからそれは全然気にしない。(私も自己主張強めですし)
だけ
呪いの言葉だと思っていたけれど
三人兄妹の真ん中であり長女として育った。どちらかというとマイペースな兄と妹の間で、小さい頃からなんでも大人の真似をしたがりちゃきちゃきと動き回る子供だった私は「しっかりしてるね」と大人たちから言われ続けてきた。当時、私にとってそれは最大の褒め言葉だった。
幼少期
頼まれてもいないのに2歳下の妹の髪の毛を洗ってあげたり、保育園のプールで潜ることができない友達に「こうしたらいいねん」と得意げに教え
恥ずかしいなんて思わなければよかったな
小学生の頃、確か4年生くらいまでピアノを習っていた。
やりたいと言い出したのは私だったけれど格別な憧れがあったわけではなく「周りがやっているから自分もやりたい」という、なんとも頼りない子供らしい理由だった。
結果的に「辞めたい」と母に申し出た後「もうちょっと頑張れ」という祖父の言葉に負け、そこから渋々1年続けた。無事に辞められた時は開放感に満ち溢れていた。
私はピアノが好きになれなかった。
しがみつくのは愛してるから
ただの名前の話。
結婚して名字が変わった。誰にでも起こりうる普通な出来事。
旦那さんの名字は少し珍しくて、一発で読める人はほとんどいない。シンプルで平凡な名字で生きてきた私にとって、そんな名前になることは少し刺激的な出来事だった。最初の頃は自分で書いた新しい自分の名字と名前を、まるで他人の名前ように眺めていた。28年間一緒に生きてきた自分の名前が変わったのだ。
画数が少なくて書くのが楽だった
絶望しても心が折れなかった理由 #社会人1年目の私へ
住宅の営業という仕事を選んだ2013年の春。
志は多分誰よりも高かった。なぜこの仕事を選んだのか、いつ誰に尋ねられても明確な答えがあったし、自分なりの信念のようなものも持っていた。大変な仕事だと言われるこの仕事がなぜ大変なのか、たくさんの声を聞きながら、それでも自分ならできるはずだと、自分への可能性に期待しかしていなかったように思う。少し長い新入社員研修中、同期に口癖のように「頑張ろう」と声を掛