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過去も未来も超える花

連載シリーズ 物語の“花”を生ける 【プロローグ】はこちらから

第9回 『時をかける少女』(筒井康隆)

数年前に花生けをはじめるまで、花が好きだとか、植物に興味があるだとか思ったことがあまりなかった。

小学生のとき、夏休みに朝顔やひまわり、糸瓜(へちま)を育てて観察日記をつけるという課題があった。なぜか毎年、芽すら出たことがなく、観察日記がつけられなくて、田舎で植物を育てていた祖父に泣きついた。

高校生になると、母が正月の花を私に生けさせようとしたが、母がああでもないこうでもないと口を出してきて、好きなように生けさせてくれないことが嫌だった。学校の華道部では花の先生が指示するとおりに生けなければならないときいて、絶対に入りたくないと思ったくらいだ。(“道”がつくものは、まず先達の型を真似るところからはじまるというのを、ずいぶん後になって知った。)

でも一方で、ポプリやアロマテラピーなど香りに対する興味が、花や植物へと導いてくれたように思う。

双子の姉妹が出てくる漫画で、姉は琴を弾き、妹はポプリをつくるというストーリーに影響されて、友人と一緒にポプリをつくろうとした。今でこそポプリは小瓶や小箱につめたドライフラワーで、部屋のおしゃれなアイテム、インテリアの一部だが、アロマテラピーもまだそれほど知られていなかったあの時代、どちらかといえば、香りを楽しむものだった。香りのする花の花びらや葉、皮を乾燥させて、シナモンやナツメグ、ロリエといったスパイスを合わせた、植物の香りの小宇宙といった感じのものだった。

当時、ポプリの材料を買えるのが隣町の大きなデパートだけで、友人といつかいってみたいねと話しをしていたところ、あるとき、友人のお母さんが連れていってくれることになった。ためていたお年玉や小遣いを全部持って、喜び勇んで出かけた。

初めて入ったそのお店には、なんとも不思議な香りが漂っていた。これがポプリの香りなんだ・・・ポプリづくりに憧れながらもポプリを持っている人が身近にいなかったので、どんな香りなのかまったく知らなかった。それまでに体験した香り、母の香水やお化粧品の香りといったものとはまったく違うものだった。

その漫画や「ポプリの作り方」といった少女向けの入門書に出てくるラベンダーやローズマリー、クローブなどさまざまな植物を乾燥させた材料がところせましと棚に並べられていた。お店に行ったらあれも買いたい、これも買いたいと思っていたものをどんどんカゴに入れていった。子どもの金銭の感覚でいくと決して安いものではなかったこともあり、それを全部買おうとしたら、友人のお母さんにそんなに買って大丈夫?と心配されてしまった。

しかし家に帰ってさっそくポプリをつくったのかというと、そうではなくて、せっかく買った材料の封を切るのがもったいなくて、そのままとっておきたい気持ちになった。大人になった今でも材料を買って満足してしまうことがよくあるのだけれど、そんなところだったのだろう。

それから1〜2年して、自分の部屋を整理していると、きれいに包装された箱から袋詰めにされたポプリの材料がいくつも出てきた。袋の隙間から漏れ出た香りをかぐと、夢中になって読んだ漫画や、友人と一緒に言ったお店のことが思い出された。

あのとき買った材料、まだこんなにあったのね・・・。そうだこれで匂い袋をつくろう。

漫画に出てきた双子の姉妹の姉(琴を弾く方)が、妹からもらったポプリの匂い袋を制服のポケットに忍ばせていたところ、すれちがった憧れの先輩から「あれ?花の香りは、きみ?」と声をかけられて交際に発展することを思い出した。

匂い袋は恋の予感・・・そんな下心に突き動かされて、母に小花柄の小さい布切れをもらって小袋をつくり、ラベンダーとオレンジの皮を乾燥させたものを少し砕いて入れた。摘んできたばかりの生花やむいたばかりの生の皮のフレッシュさはないけれど、長い年月をかけて最後に残ったほんのりとした香りが秋の終わりのようで、気持ちが落ち着いた。

袋の入り口を糸でしばり、紫色の細いリボンをかけて出来上がり。その年流行っていた映画『時をかける少女』のテーマソングを口ずさみながら、塾用のカバンにキーホルダーのようにしてくくりつけた。

* * *

本屋で文庫版の小説『時をかける少女』(筒井康隆 角川文庫)を見かけた。細田守監督のアニメ映画の主人公が表紙になっていた。

『時をかける少女』というと私たちの世代は、原田知世さんがヒロインを演じた大林宣彦監督の映画を思い出す。表紙のアニメ映画の主人公は、原田知世さんの雰囲気とは全然ちがうけれど、夏の制服姿の短い髪で空に駆け上がっていく姿が、躍動的で清々しく、まさに現代版の『時をかける少女』だった。

そういえばこのストーリーって、知っているようで知らない。映画も観たような、観ないような・・・

なんとなく惹かれるところがあって、読んでみることにした。

芳山和子と深町一夫、朝倉五朗の3人は、土曜日の放課後、理科室の掃除をしていた。最後の片付けをひとり引き受けた和子は、実験室で物音がするのを不審に思ってドアを開けると、ガチャーンとガラスの割れる音がして、人影が飛び出す気配がした。実験室にはかすかな甘い香りが漂っていることに気がつき、どこか記憶にあるなつかしいものであることを感じているうちに、気を失って倒れてしまう。

意識をとりもどし、香りがラベンダーであることに気がつく。それから数日後、和子は大きな地震や近所の火事に見舞われ、その翌日の朝には、登校途中に自動車事故に巻き込まれる。ところが何事もなかったかのようにベッドで朝を迎えていたので、事故は夢だったのかと思って登校すると、一夫も五朗も昨夜に地震や火事などなかったという。

また数学の授業でも、昨日やった問題がまた出題されている。昨日とったはずのノートには何も書かれていない。今日は19日だと思っていたのに18日だといわれ、1日逆戻りしていることに気がつく。

ひどく混乱した和子は一夫や担任の理科の福島先生に相談してみると、ラベンダーの香りをかいだときに、テレポーテーション(身体移動)とタイムリープ(時間跳躍)の能力を得たのではないかといわれ・・・。

ラベンダーという花

やっとストーリーを思い出した。でもこれを読むまで、和子のテレポーテーション(身体移動)とタイムリープ(時間跳躍)にラベンダーの香りが関係していたことは、すっかり記憶から抜け落ちていた。おそらく映画を観た人も小説を読んだ人も、ラベンダーのことなんて覚えていないのではないか。

実験室とラベンダーという組み合わせを読んだときに思い出したのが、近代アロマテラピーの父ともいわれるルネ・モーリス・ガットフォセという調合師が、調合の実験中の事故で大火傷を負ってしまい、手元にあったラベンダーの精油を塗ると、すぐに治ったというエピソードだ。

それまで香水の香料として使われていたラベンダーの精油(香り成分を凝縮したもの)に、心身の不調やケガを改善させる薬理効果があることに気がつき、興味をもっていたガットフォセは、身をもってその効果を体験したというもので、アロマテラピーを学んだ人にとってはお馴染みの話しだ。

もちろん『時をかける少女』に出てくるのは花の香りであって、アロマテラピーの精油でもないし、その薬理効果でもないが、ラベンダーという植物の香りが持つ力に注目したことは、通じ合うのではないか。

花や香水だけでなく、衣食住などの香りや匂いをめぐる作品は古今東西、枚挙にいとまがないけれど、日本の古典文学では花の香りといえば梅や橘であり、ラベンダーという、日本人にとっては比較的新しい花が使われていることに興味を覚えた。

この小説が初めて発表されたのが1965年。当時ラベンダーの香りには、舶来品の香水なども含めてどのようなものものがあり、どのようなものとして受けとめられているのかを調べてみたが、ゼロではないものの、これといったものを見つけることはできなかった。

戦後、ラベンダーは北海道の富良野地域の一帯で香料用(精油)として栽培されていて、一大産業となっていた。国際的にも評価の高い品質を誇り、1970年には過去最高の生産量を記録した。しかし海外で安価につくられた化学合成の香料におされて、1973年には大きな取引先の香料会社から取引を停止されたことで、多くの農家が別の花や野菜への転換を余儀なくされ、廃業に追い込まれた農家もあったという。(※)

1965年当時は、北海道産のラベンダーの精油の生産量が右肩上りだったこと、同時に海外からの安価な化学合成の香料がはいってきて、さまざまな日用雑貨がつくられ出回っていたと考えてみると、現代ほどではないにしても、馴染みのある香りだったのではないかと思われる。

ラベンダーと一口にいってもさまざまな種類があり、生産地や季節によって香りも違う。私がアロマテラピーでよく使う精油は主にフランス産のものなのだが、野性味を熟成させたような濃厚さがある。一方、北海道産はすっきりとした爽やかな若々しい香りなのだ。

北海道のラベンダー産業は、その後、あることをきっかけに観光地化した。その中心的な存在となっている有名なファームがあり、アロマテラピーを学びはじめたころ、訪れたことがあった。ラベンダー色のソフトクリームと精油の購入を楽しみにしていた。

ファームに到着すると我先にとバスを降りて、花を蒸留する機械などを見学したあと、売店に駆け込んだ。そこで精油の香りをかぐと、それまでにかいだどの精油よりもずっと軽やかで、青々しさを残しながらも雑味がなくすっきりとしていた。産地が違うだけでこんなにも違うんだ・・・。

『時をかける少女』の和子は、実験室で香りをかいだとき、次のように感じている。

「なんのにおいかしら?」
 それは、すばらしいかおりだった。和子はそのにおいがなんなのか、ぼんやりと記憶しているように思った。−−−なんだったかしら?このにおいをわたしは知っている。−−−甘く、なつかしいかおり・・・。いつか、どこかで、わたしはこのにおいを・・・。

『時をかける少女』 (筒井康隆 角川文庫 12ページ)

ラベンダーの香り成分にはさまざまな薬理効果がある。鎮静、鎮痛効果は代表的なもので、特に酢酸リナリルという成分は興奮や緊張を鎮め、脳内ホルモンのセロトニンの分泌を促し、心身をリラックスさせる。

和子が「すばらしいかおり」「甘く、なつかしいかおり」と感じているのは、ラベンダーの香りのそのような成分によるものと思われるが、ここではまだ何の香りとは特定していない。

倒れた後、一緒に掃除をしていたクラスメートの一夫と五朗に医務室へと運ばれて、そこで目を覚ましたとき、香りがラベンダーであることに気がつく。母親の香水と同じような香りだったことに思い当たるが、それ以上にもっと大事な思い出があるような気もしていた。

和子は自分の時間の感覚がおかしなことになっていることに不安を感じて、一夫の家を訪れる。この家の庭には温室があり、ラベンダーの花が咲いている。以前、遊びにきたとき、一夫の父親がラベンダーについて教えてくれたことを思い出し、実験室でかいだ香りが、ここのラベンダーと同じであるような気がして、思い出があると感じたのは、この家のことだったのかと思う。

ここにきて、和子の名字が「芳山」という香りにちなんだものであることに、はっとする。

ちなみに、ある香りをかいで特定の記憶や思い出がよみがえってくることを「プルースト現象(効果)」と呼ぶことがある。フランスの作家マルセル・プルーストによって書かれた『失われた時を求めて』で、主人公がマドレーヌを紅茶にひたすとその香りで幼少時代を思い出す場面にちなんでいるという。

これをアロマテラピーで習ったことでかなりおおざっぱに説明すると、鼻や口でとらえた香り物質が電気信号に変換され、大脳辺縁系と呼ばれる記憶や感情にかかわる場所に運ばれる。

大脳辺縁系は動物としての本能(敵の認識、食べ物を探し可食の判断、生殖など)を司る場所であり、生存にかかわる記憶にダイレクトに通じることで、思考する(理屈よりも)前に、あぶない!食べられそう!安心できそう!といった感情を引き起こす。

つまり、香りをかいで過去を思い出すというのは、本来、危険を回避し、生命を維持するための情報を引き出すことでもあった。

過去、現在、未来、どこにいてもふたりをつなぐ花

和子が一夫の家で一夫と五朗に自分の身に起きたことを話しても、ふたりは信じなかった。しかし和子が話した通りのことが次々と起きたことで、やっと信じる気になり、3人は担任の理科の先生のところへ相談にいく。

すると、ラベンダーの香りをかいだときに、テレポーテーション(身体移動)とタイムリープ(時間跳躍)の力を得たのではないか、自動車事故に巻き込まれた瞬間、一日前にもどったことを考えると、それと同じ状況をつくりだせば、実験室で倒れた日にもどれる可能性があるといわれる。

下校途中、先生の計らいでタイムリープを体得した和子は一日前さらに一日前ともどり、とうとう実験室で倒れた土曜日の放課後にまで戻ってくる。そこで待っていたのは、一夫だった。

一夫は1ヶ月前に2660年の未来からやってきた少年で、テレポーテーションとタイムリープを組み合わせる研究をしているという。研究で完成させた薬品を飲んで過去にいく実験をしていたところ、薬品を持たずにきてしまったため、自分の時代に戻ることができず、この実験室でつくっていた。テレポーテーションとタイムリープを組み合わせるにはラベンダーが有効で、植物好きでラベンダーを育てていた深町夫婦の子供になりすまし、人々の記憶を変えてこの学校に通っていた。

和子は一夫に関する記憶や思い出が本物ではなく、一夫の念力によって作り出されたものであること、薬品が完成して一夫が自分の時代に戻ろうとしていることにショックを受ける。一方で一夫が和子に好意を寄せていることを知って、戸惑う。でも一夫は未来に戻ることを選び、和子たちに残っている一夫に関する記憶をすべて消し去っていった。

ようやくラベンダーの秘密が明かされる。ラベンダーは、一夫がテレポーテーションとタイムリープを組み合わせるための“触媒”だと分かるのだが、ここで一つの疑問が湧いてくる。和子がラベンダーの香りをかいで最初に感じた「甘く、なつかしいかおり」は、母親の香水よりも「大切な思い出」につながるはずなのに、その思い出については何も語られていない。

一方一夫は、和子に自分の思いを打ち明けたとき、「実際に交際した時間よりも長く、ずっと前からきみを知っているような気がするんだ」と言っている。和子が感じた「なつかし」さと一夫の「ずっと前からきみを知っているような」気持ちは、一致するのではないか。

つまり、ふたりはこれよりも前にすでに出会っていることを、暗示しているようにも思えるのだ。

一夫は別れ際に、和子からまた会いにこの時代にきてくれるかと聞かれて、「きっと、会いにくるよ。でも、その時はもう、深町一夫としてじゃなく、きみにとっては、新しい、まったくの別の人間として・・・」(111ページ)と言う。

一夫はラベンダーを使った薬品で、何度もテレポーテーションとタイムリープの実験を繰り返しているのではないか。これよりも前に一夫としてではなく、別の誰かとして和子と出会った。その記憶が和子にはないが、ラベンダーの香りをかぐとその記憶の断片が掘り起こされ、「甘く、なつかし」く「大切な思い出」と感じられたのではないか。そしてその香りは、和子のそう遠くない未来での再会へと導く。

和子は「深町」という表札の家の前を通っても何も思い出すことはないけれど、その家からか運ばれてくるラベンダーの香りをかぐたびに思う。

 −−いつかだれかすばらしい人物が、わたしの前に現れるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ・・・。
 どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でもきっと会えるのだ。そのすばらしい人に・・・いつか・・・どこかで・・・。

同上(115ページ)

ラベンダーは、どんな時代であってもふたりを結びつけ、互いを認識しあうための縁(よすが)なのだ。いつか北海道でかいだ、青々しさの残る爽やかなラベンダーの香りが思い出された。

時間と記憶をとじこめる花

ふたりの交流はたった1ヶ月のできごとではなく、和子の過去・現在・未来にわたるできごとだということに目をつけたのが、原田知世さん主演の映画を手かげた大林宣彦監督だ。

今回、あらためて大林監督の映画をアマゾンプライムで観てみると、原作となった小説はSF色が強い。一夫が未来の2660年を語るところは、現在のテクノロジー社会そのもので、予言のようでもあり、空恐ろしくなる。一方、大林監督の映画はどちらかというと、植物をなかだちとした時間と記憶をめぐる詩情豊かな文学作品のような味わいがあり、そのちがいが興味深い。

たとえば、和子たちの担任の先生は、映画では理科の先生ではなく、国語の先生。一日前にタイムリープした和子が同じ問題を再度解くシーンは、数学ではなく国語の授業。そしてその問題は、漢文でおなじみの「少年易老学難成、一寸光陰不可軽、・・・」(少年老ひ易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず)で、時間の流れのはやさを説いたものだ。

映画の和子がよく口ずさむのが「桃栗三年、柿八年・・・」をもとにした童歌で(大林監督作曲!)、植物の中に流れる悠久の時間がテーマになっている。何より一夫が未来からやってきた理由が、未来ではテクノロジーの行き過ぎで植物が絶滅してしまったため、この時代まで探しにやってきたというのだ。

小説ほどタイムリープやテレポーテーションへのこだわりはなく、また未来2660年の生活は語られない。映画はあくまでも植物をつうじた時間と記憶の物語なのだ。

映画の見どころの一つは何といっても、小説にはない和子と一夫と五朗の関係だ。和子は身の回りで起きたことに不安をおぼえて、一夫に相談していくうちに、一夫に惹かれていく。でも五朗はひそかに和子へ想いを寄せている。

ところが、和子はもっとも大切にしていた一夫との幼い頃の思い出が、実は五朗との思い出だったことに気づく。さらに不安を覚えた和子は、深町家の温室にあるラベンダーの香りを自ら吸い込み、山へ植物を探しにでかけた一夫のもとへ行こうとする。

テレポーテーションがうまくいき一夫に会えるものの、タイムリープの渦に飲み込まれて、自らの過去を遡ることになる。しかしそこには、和子の知る一夫の姿はなかった。

実験室で倒れた土曜日の放課後になんとかタイムリープしてきた和子は、ある決意をして実験室を訪れる・・・

それから数年後、和子は一夫の記憶はないながらもその余韻の中で生きている。一夫は和子たちの時代の何かを変えることなかったけれど、和子の思い出(過去の記憶)を書き換えたばかりに、和子と五朗にありえたはずの未来が変わってしまった切ないラスト。それに呼応するかのような、あのテーマソング。植物と時間と記憶にまつわる大林監督ならではの“しかけ”に、胸がしめつけられた。

* * *

ラベンダーとオレンジの皮でつくったポプリの匂い袋をカバンにつけて塾に行く。憧れのあの子は、この香りに気づいてくれるかしら?と淡い期待をいだいていたところ、ある日、その子から呼び止められた。漫画のような展開になるかしらと胸が高鳴る。

「おまえ、そのカバンから変なにおいがするぞ。押し入れから出してきた母親の着物のようなにおいだ」

・・・変なにおいって・・・押し入れ・・・お母さんの着物って・・・

頭の中が真っ白になり、立ち去っていくその子の後ろ姿が霞んだ。それでもありったけの気力をふりしぼって、

この香りのよさがわからない人なんて、こっちからお断りだ・・・あっかんべーっだ・・・




※ 北海道のラベンダー産業の歴史については、以下を参考とした。



なお、本noteに記載したアロマテラピーに関する知見・情報は、公益社団法人 日本アロマ環境協会認定の、筆者が以前通っていたスクールで使用しているテキストを参考とした。また筆者は同法人認定のアロマセラピスト有資格者である。

花や植物の香り成分の心身への影響については、以下の本が最新の知見をもとに分かりやすく書かれていて、読み物としても面白いので、本noteを読んで興味を持たれたかたは、ぜひ手にとっていただきたい。



第8回 小町の復讐をかたどる花 『小町の芍薬』(岡本かの子)

第10回 それでも太陽をみつめつづけた花 映画 『ひまわり』(監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 主演:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ)


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