辛いときこそ

職場が原因で病んでしまってから、好きなことまで負担になり、推しまでも推せなくなっていました。
会社を辞めてきてからようやく元気が戻ってきましたので、無職の特権であろう時間を使い、先月には遠くに住んでいる友人の元を訪れ、
先日は初めて推しのライブに参戦してきました。

行くか迷っていたときは
「無職なのにこんなことしていて良いのか」
「コロナ禍で家族からストップをかけられるのでは」
「そんなことより転職準備は?勉強は?」
「治るのを待つのは良いが、そのペースに社会は待ってくれないぞ」
という考えが巡りましたが…
それじゃあ今行かずにいつ行く?と考えたら、あとはもう早かったです(笑)

行くことを選択して行動した結果は…
久しぶりに時間という概念を忘れ、穏やかな気持ちになれましたし、

気持ちに余裕がなくなってしまっていたんだなあ。久しぶりにこの気分に戻ってくることができなあ。
久しぶりにこんなに、ゆっくりと落ち着いて喋ることができたなあ。

と思うことができ、病む前に出会っていた物事に触れることで、
病む前の元気だった頃の感覚を思い出すことができました。

ライブに行って帰ってきてから
ふと、降りてきました。

辛いときこそ光を探したくなりますが
無理矢理探そうとしても、
月が出ていない夜に、月を探してもそりゃあ見つからないですね。

渦中にいるときは必死なので、瞑想しようにも休もうにも自分の声を聞こうとしても、頭で考えることはできても、実践はできていませんでした。
だからこそ、辛いときほど、雑音を入れずに静かに自分と向き合うべきなんだなあ…ということを身を持って知りました。

病んでいた頃に色々な人の情報を見て混乱したり、
今までのエネルギーを無理矢理出そうとして、結果的に偽ポジティブに陥ったり、
推しの応援に投資せずに、占いにお金を使って今後良くなる可能性ばかりを気にしていた苦い思い出です(アゲ鑑定をされても意味がないのですがね。現状を変えるきっかけを作れるのは自分の行動のみですし…)

社会人になって仕事をして、時間に追われる生活をすると自分と向き合う時間が減ってしまう、余裕がなくなってしまうというのは
こういうことだったのか。と思います。

辛いときに無理矢理視野を広げようとして
真逆の考えの人に相談や意見を貰って、結果として自分の判断が遅れる結果に陥ったことがありましたが
人によってやり方は違うので、辛いときこそ泣く、辛いときこそ吐き出す、辛いときこそ明るい話、辛いときこそ趣味、辛いときこそ娯楽、辛いときこそリフレッシュ など、色々なタイプがありますね。

人に相談したり意見を求めるだけでもこれだけやり方が違う情報が入ってきますし、
人それぞれのものを無理矢理吸収しようとすると自分の軸がブレて混乱してしまうな…と思いました。

自分の意思で何かをしていく、続けていくためには自分の軸が必要
→自分の軸を持つためには取り入れるべきものとそうでないもの、やることとしないことを選んでいくことが必要
→決定していく、選択していくためのフィルターが必要
→その選択のためには、選択する基準が必要
→知識よりもまずは「自分がどういうものを選んでいく必要があるか」を知る。

今後の自分の戒めにも記録します。 

追記
病んでいた時期の状況をカウンセラーに話したところ
「色々吸収しようとして、学ぼうとして、本来なら食べないものを食べてお腹を壊しちゃったような状況だったのかもね」と言われ、
これだ!!と
とても腑に落ちました。

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