記事一覧
「祖父の戦争体験を語り継ぎたい!」パート②
戦後77年が経ちました。
戦争体験者、戦争の記憶がある人は、
徐々に少なくなり、必ずゼロになります。
戦争体験が失われていく。
そのことに、ずっと危機感を抱いていました。
なぜ戦争体験を語り継ぐのか?~きっかけ危機感と無力感
30代のわたしの祖父母世代は、戦争を体験した世代。
かつて同居していた祖父は兵士として中国の戦場を経験し、わたしにとっては戦争はそんなに遠くない存在でした。
が、
「平和を創るファシリテーター」になりました!
今日はNPO 法人ブリッジ・フォー・ピースの
「平和を創るファシリテーター」として記事を書きます。
これまでも度々、私の記事の中で登場していますが、
今やそれほど私の活動の原動力となっています。
こんな団体があるということだけでも知っていただけたら幸いです。
NPO 法人ブリッジ・フォー・ピースとは平和を創るファシリテーターとは上記のワークショップを運営するファシリテーターのことです。
コロナ
「どうしようもないこと」への意識を断ち切る
あけましておめでとうございます。
新年早々、ぼやきます。
誰かに向けた文章ではなく、とりとめもない文章で、ただただ気持ちを吐き出すための文章です。
でも、災い転じて福となりますように、前向きな決意をこめて。
年末から自分ではのっぴきならないことで(スピリチュアル的に考えれば五自分と因果関係があるんだろうけど)、ちょっとした不安がありました。
1月1日、能登半島で大きな地震がありました。
日本
想像もしていなかった未来を引き寄せる方法
これまで大小のブレイクスルーを経験してきました。
だけど、最近、これまで以上に大きい、
そして、その大きさから清々しさまで感じたブレイクスルーを体験しました。
ブレイクスルーの先には「想像もしていなかった未来」がありました。
その未来は、まさにわたしが手にしたかったもの。
*
最初はバンジージャンプのように「えいやぁ」という覚悟が必要だったけど、
いざ飛び降りてみたら、物事がスルスル進んで
関ヶ原で考える平和。
伯母が「関ケ原」に住んでおります。
歴史にまったく興味のない夫も「関ケ原くらいは知っているぞ!」と言うくらい、日本史上、最も有名な地名のひとつなのではないでしょうか?
義伯父が初夏に亡くなってしまい、お線香を上げに、
実に中学生以来、20年ぶり!?に、関ケ原の伯母宅にお邪魔しました。
(コロナ禍以前は、伯母が本家である私の実家にお盆あわせに来てくれていたため、伯母に会うこと自体は4年ぶり)
戦後78年目の夏、兵籍簿を取得してみませんか?
2023年で戦後78年。
戦後80年という節目まであと2年になりました。
私が戦争体験継承の活動や発信を始めた直接のきっかけは、
祖父と、祖父の弟の【兵籍簿】を取り寄せたことでした。
兵籍簿とは、旧日本軍軍人の召集から除隊までの履歴を記載した、公式な記録です。
旧陸軍は各都道府県庁に、旧海軍は厚生労働省に保管されています。
私が取得した兵籍簿には、祖父たちが派遣された中国大陸での移動経路、
小学1年生、ストリートチルドレンと出会う。【はじめての「寄付」体験記-後編】
小学1年生の長男。
フィリピンとつないでストリートチルドレンの生の声を聴くオンラインイベントに参加することになりました。
ここまでのお話はこの記事に▼▼▼
このオンラインイベントの話をした時は乗り気だった長男。
一過性のやる気かと思ったら、土曜日までちゃんと覚えていた!
8時半ごろから「まだ?」「早く、早く!」
・・・と言われましても(笑)
しっかり紙と鉛筆を用意して。(←書記はママ)
小学1年生、『SDGs』を考える。【はじめての「寄付」体験記-前編】
今週頭、長男との何気ない会話の中で『SDGs』という単語を発したので、
「SDGsって、どこで聞いたの!?!?」と聞くと、
なんかのテレビで聞いたらしい。
ぬふ、これはチャンス!とスイッチの入ってしまった母。
翌日、図書館でSDGsについての児童書を借りてきた。
どんな反応をするかと思ったら、
「お、ありがと!」と言って、早速ページをめくりはじめた長男。
おそらく小学生中高学年以上を対象にし
『無知の知』になぐさめられる私。
最近、おかげさまで、
地域行政への参画や、
市民活動への参加にお声掛けいただいたり、
自分事としては、
戦争体験を語り継ぐためのスキルアップとなる講座を受講させていただくことなどを通して、
これまで知らなかったことを「知る」機会が多くなりました。
そのたびに思うのが、
「知らないことが多すぎる」こと。
政治のこと、福祉のこと、教育のこと、過去のこと…
地域のこと、日本のこと、世界のこと…
失敗と他人の目を恐れる7歳の息子との会話。
卒園間近、保育園を仮病で休んだ長男が、無事小学生になりました。
4月から学童で過ごし、
入学式からも毎日、何事もなく登校しています。
小学校は「(保育園と比べて)きびしい。」と言っている長男ですが、
クラスの流れにはついていけているようです。
入学式後の3日間は、通常の授業ではなく、
学校探検や廊下の歩き方、教室の入り方、鉛筆の持ち方など…
基本的な学校生活の指導に充てられます。
3日目に
仮病で保育園を休んだ息子とすごす休日。
昨日、年長の長男が仮病を使って、保育園を休みました。
厳密に言うと、「休ませました」。
*****
朝起きたら「のどが痛い」。
朝ごはん食べても「まだ痛い」。
実は、先週にも一度、同じ「のどが痛い」という理由で保育園を休み、
卒園式も近いので、大事を取って休ませました。
結局、体調は悪化せず、翌日にはいつも通り保育園へ。
こんなことがあったため、
昨日も、直感で「仮病だ」ということが分かり
祖父の人生と戦争体験【ダイジェストver.】
私は岐阜県岐阜市に生まれ育ちました。
父、母、私、妹、祖父の5人家族。
父方の祖母は、父が高校生の時に病気で亡くなっています。
私が7歳のときに妹が生まれたので、それまでは一人っ子状態。
母が家事で忙しいときは、祖父が遊び相手になってくれていたのを記憶しています。
そんなじーちゃんから戦争の話を聞いたのは、
小学校で「祖父母の戦争体験を聞いてくる」という宿題が出たときと、
アメリカの戦争につい
【読書メモ】〈叱る〉依存がとまらない
とってもタメになる本を読んだのですが、
本はローリングストックならぬローリングブックしているので、
本を手放しても心に留めておきたい部分を、ババっと書き残しておくためのnoteです。
◇本書における「叱る」の定義
●叱ることは「他者を変えようとする手段」
権力の非対称性 権力の行使 = 状況を定義する権利
●「利他的処罰」=社会のために誰かを罰しようという発想にもとづく言葉
●「叱る」効果