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HALF MY LIFE 〜 僕の半生

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僕の半生を短く纏めました。2019.11.30 タイトルを「45歳無職男の半生」から「Half My Life 〜 僕の半生」に変更
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記事一覧

Half My Life 〜 僕の半生(9)

Half My Life 〜 僕の半生(9)

2010年11月、僕はある行きつけの居酒屋で一人の女性と出会って交際し始めた。

2011年2月、籍を入れて彼女と結婚した。

僕はアパートを引き払い、彼女はマンションを引き払って、新居となるマンションを借りて一緒に暮らし始めた。

彼女は僕より一回り近く年上で以前看護師をしていた。

2011年4月、簡単な結婚式を挙げた。

彼女が僕の生活の面倒を見てくれたのは、たまたま彼女にお金の余裕があった

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Half My Life 〜 僕の半生(8)

Half My Life 〜 僕の半生(8)

2008年2月、新宿で当時二十歳の女の子に声を掛けて約1年8か月付き合った。

彼女ははっきり言って不細工な女だった。
家庭の事情から家出せざるを得なくて、それほど稼げないにも関わらずいわゆる援助交際を仕方なくして生きていた。

僕が最初に東京でアパートを借りたのは上京してから約1年半経った時だったが、それはネットカフェやマクドナルドを仕方なく寝床にしていた彼女のためでもあった。

彼女と同棲する

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Half My Life 〜 僕の半生(7)

Half My Life 〜 僕の半生(7)

それまで東京へ来た事がなかった僕は、最初に新宿へ来た時は人の多さに圧倒された。
そんなに金がなかったので歌舞伎町のカプセルホテルに泊まりながら仕事を探した。
歌舞伎町を歩いている時、店の前に立っている男性に声を掛けられて、うちの店で働かないかと誘われた。
それが切っ掛けでそのセクキャバ店で働く事になった。
その店には、店の女の子の他にも男性スタッフをスカウトしてその人が一定期間働けば賞与を貰えると

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Half My Life 〜 僕の半生(6)

Half My Life 〜 僕の半生(6)

ホテルの仕事は広い宴会場で朝食バイキングやディナーバイキング、色々な会社や団体の宴会などでのウェーターが主な仕事だった。
長方形の形をした大宴会場は一定の間隔で自由にパーテーションで仕切ることができたので、色々な広さの部屋を作って宴会ができるようになっている。
しかし、裏では食器洗いやグラス拭きやゴミ出しなどの泥臭い仕事もしなければならなかった。

2007年7月上旬、函館でほとんど一目惚れで声を

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Half My Life 〜 僕の半生(5)

Half My Life 〜 僕の半生(5)

僕は強盗という罪で懲役3年執行猶予5年保護観察付きという判決を受けた。
相手はタクシーの運転手だったが、強盗という罪で執行猶予が付いたのは金額が少額なためであった。

しかし、拘置所を出てからも僕の閉塞感は続いた。

この頃、近所にある保護司の家に月に何度か通いながら新聞の営業の仕事をしていたが、上司と折り合いが合わずに辞めた。

当時の僕は一度前科が付いて経歴が汚れると、二度でも三度でも同じよう

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Half My Life 〜 僕の半生(4)

Half My Life 〜 僕の半生(4)

1995年春から僕は函館でアパートを借りて暮らし始めた。
パチンコ店の店員、レストランのウェーター、居酒屋の店員、高級キャバクラの雑用やホステスの使い走りなどの仕事をしながら音楽をやっていた。

僕が25歳の時、母親のがんが発覚した。

僕は仕事も音楽も上手くいかず、彼女もできず、精神的な問題や母親の心配も抱えていた事から閉塞感に包まれて、20代半ばから酒に溺れるようになっていた。

唯一、友達だ

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Half My Life 〜 僕の半生(3)

Half My Life 〜 僕の半生(3)

1994年1月、テレビを見ている時に突然、何の前触れもなく息が苦しくなって取りあえず外に出た。
粉雪が舞っていた夜の事だった。
僕は何故か交番に行き、警官に苦しいという事を訴えた。
この時、足に障害のある変な男が僕と警官に絡んできた。
札幌には僕の母親の姉が結婚して住んでいた。
警官に親戚の電話番号を聞かれたので教えると、しばらくしてその旦那さんが車で来た。
車に乗せられてその親戚の家まで行き、一

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Half My Life 〜 僕の半生(2)

Half My Life 〜 僕の半生(2)

僕は高校を中退してから約2年間、家に引き籠って音楽を聴きまくっていた。
ジャンルはいわゆるJ-POPと洋楽半々である。

この頃から僕は弟の僕に対する態度が冷たくなっている事に気付いていた。

僕は18歳の時に母親に入学金を払って貰って札幌の専門学校に入学すると同時に学生寮で生活した。
僕は2000年に母親が亡くなるまではっきり言って母親のすねをかじって生きていた。
僕が仕事やバイトが長続きしなか

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Half My Life 〜 僕の半生(1)

Half My Life 〜 僕の半生(1)

僕は1973年7月4日に生まれた。

幼稚園の時はいつもにこにこしていたらしく、そのまま「ニコニコ」というあだ名だった。

1978年に幼稚園に入園、80年に小学校、86年に中学校、89年に高校に入学し、その年に中退した。

つまり1980年代は僕にとって学生の時代だった。学生時代は僕の人生において平和な時代だった。

しかしながら、僕はその後の人生において自分や自分の身の回りに起こる運命的な出来

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