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『つらい事からは逃げても良いのか?』迷っている方へ。

□つらい事から逃げても良い場合とつらくとも向かって行った方が良い場合がある



これを書いたら身も蓋もないですが、一概につらい事から逃げても良い!とも逃げるな!とも言えません。

それは個々によっての考え方、価値観、能力、健康状態、置かれている状況が違い、一人一人見ずに、ここで一様にこうしよう!と断言出来ないからです。しかし

この記事を読むぐらい、つらい事から逃げても良いのか?迷っているような方は真面目な人だと推測します。

というのも私のような適当な人間であれば、つらいから逃げるか?どうかで迷わない、悩まないからです。

シンプルに自分の手に負えないほど厳しいと主観的に感じれば、体裁気にせず放り投げて全力で逃げますし

乗り越えた先に自分の欲求を満たす何かが待ち受けているのが分かれば限界までやります。そして限界が来れば止めます、逃げます。

でもそんなにシンプルに考えて行動する人ばかりでないのも重々承知しているので、どの基準で逃げるか?進むか?を判断するかというと

具体的なコストと報酬が見合うものだと心底思えるか?どうかだと考えます。

タイム、エネルギー、肉体的、金銭的コストに得れるものの総量が見合うものであれば逃げずに闘った方が良いです。

ただただツライだけでなんの生産性も無く、自分にとって吸収できるものが無い、消耗するだけのことならやらない方が良いです。

ただ後者のようにただただツラく何の役にも立たないと思った経験も、数年後に役に立つことも往々にしてあるので、全く吸収することのない現象というのは少ないと思うのですが

ただ自身の心身の健康状態が著しく悪い場合は、どんな利益があり、良い経験だったとしても逃げるべきです。

健康な人にとっては栄養になるものでも、病気の時は消化不良を起こしてしまうように、周りが勧めてこようが、勿体ないと言われようが、無理な時は無理でそこは諦めて療養する。

生きてればチャンスはありますし、健康ならばチャンスも作れます。

コストがあまりに釣り合わない時や、自身の健康状態が悪い時は逃げる。

逃げない方が自分にとっての得が多いなら向かって行くという判断基準で良いのではないでしょうか。



◇どんなに不利益を被ろうが、得たいモノがある場合はつらくとも逃げない方がいい




客観的に考えて見ればつらく、損のが多いが、自分としてはどうしても得たいモノがある場合は、上の判断基準と矛盾しているようですが、、大体のことは損だろうが逃げずに向かった方が良いです。

他人に大きな害が及ぶ、法律に触れる、即命にかかわる危険なことでなければ、後々後悔の余地を残さないよう挑戦した方が良い理由について、例えば

格闘家や冒険家などを見れば分かるように、格闘家は殴られてケガするリスクがあるのにバイトなどをして、生計を立てながら日々を幸せに暮らしているいい歳したオッサンもいますし

冒険家は誰に頼まれた訳でもなく、無名なら道路工事などのバイトをして資金を貯めてわざわざ、危険の伴う北極横断や南米スラム街などを旅するオッサンもいる

客観的に見れば、同世代の平均年収も稼げない、安定も安全もない不利益のが多いことでも、人生は自分がどう思うか?の主観のが大切で、自分が損している部分があるのは重々承知の上で

本当に欲しい得るモノがその先にあるのならば向かって行った方が絶対に良いです。

そのように追いかけれるモノがあること自体が大きな幸せであり、人間どんなに楽なことでも自己コントロール感無く、強いられてやることはつらく感じます。

でも自分が好きでやってることはつらくとも充実感に変わったり、つらいことが全て吹き飛ぶ喜びの瞬間があったりします。

どの道つらいと感じることにぶつかるのであれば、自分の納得した道でつらい思いし、闘った方が断然楽しいです。



◆つらい事から逃げても良いの一番のデメリット




つらい事から逃げな過ぎも良くないですが、逃げすぎることで起こりうるデメリットもかなり宜しくありません。

私も経験があるのですが、逃げまくると逃げることへのハードルがドンドン下がって行ってしまうというのがあります。

それは逃げることを多く乱用して来た人ほど、逃げたことによる不利益や不快感に良い意味でも悪い意味でも慣れてしまっているが故に、逃げることへの恐怖や羞恥心が薄れてしまっているというのが原因としてあり

例えば、学生時代にテスト勉強を怠けてしまい、悪い点数をとってしまったとしても、その恐怖や恥ずかしさと授業が分からない不便さを

複数回経験し慣れてしまうと、勉強をしないことで起こり得る不利益への恐怖値が下がり、勉強をサボる選択肢を取りやすくなって行く

逆に逃げた経験が少ない人ほど、逃げることで生じる不利益に慣れていないのと、自分の選んだやるべきことを逃げずにやり切ったことでの成功体験も多く脳に記憶されており、物事を完結させるのにポジティブな印象を持っています。

そして逃げ癖がつくことに対して不安を抱き、逃げることに慎重だったりもします。

逃げる基準が明確であり、かつ一定のラインを越え不利になった時に態勢を立て直す為に逃げるのならまだしも、嫌なことから手当たり次第に逃げて行くと『どうせ自分なんて…』『努力しても無駄』という

自分に言い訳ばかりをする負け犬根性が染みついてしまい、それが故に挑戦や継続的な努力を怠るようになり、充実感がないので目の前の快楽に振り回され、怠惰になって行き、将来の選択肢の幅が狭まり

SNSなどで他人と自分を比較しては、勝手に自信を喪失するという負のスパイラルに陥りやすく、そうなってしまうと途端に人生がつまらなくなります。

なので逃げることは大事でありますが、過ぎたるは猶及ばざるが如しで、何事も塩梅が大事であります。

何でもかんでも真正面からぶつかり逃げな過ぎも砕け散りますし、逃げすぎも返って人生を不利にしてしまう。

どうしても我慢ならないことがあるのであれば自身を分析し、限界を知り、逃げる明確な基準を設けることを推奨します。


▢でも大なり小なり人は嫌な状態から逃げている


逃げすぎは良くないと書きながらも、人間大なり小なり自分の嫌な状態から逃げているという事実があります。

まず死ぬことから逃げてます。

わざわざ戦地の最前線に赴いて、命に関わる危険なことを好き好んでやる変態は少ないと想いますし、ホームレスや生活保護を受ける状態になることも普通に働いている人間であれば避けようとするはずです。

ちなみに避けるのも、ある状態にならないようにして回避して行くという意味で、逃げの一種だとカウントしているのですが、そこは人によって見解が違うかも知れません。

ただ、凄く嫌な状態にならないように、それよりも嫌じゃないものを頑張って理想の状態に近づくと言うことで

働くのはあまり好きじゃないけど、ホームレスになるよりもマシだから働くように、自分にとっての最悪にならないように誰しも少しは嫌な所を通って行く必要があり

好きなことをして生きているように見える人でも、最初から好きなことを出来る状態ではなかったかも知れません。最悪にならないよう、それよりもマシな嫌なことから逃げずに闘って得た戦果として

今好きなことをして暮らすという状態になっているのだと、要は

大本の嫌なことから逃げる為に他の小さな嫌なことから逃げずに闘い、少しずつ自分の能力や環境を変え、嫌なことをなるべくしないで済む状態に自分を持って行った人の今だけを切り取って見ると

恵まれて幸せに見えたりもします。

しかし、その実はその人の過去の闘いの積み重ねで成り立っている現実なのだと、もちろん人によって環境や運も差異があると想いますが

何も闘わずに、逃げ続けた先に本当の自由はないです。

誰でも大なり小なり嫌なことから逃げていますが、賢者ほど逃げない方が良い事柄を深く理解しており、愚者ほど感情に惑わされ、逃げるべき状態から逃げれず、闘うべき所で逃げます

という所で今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆

またね!('ω')ノ






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