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【熊野信仰をめぐる】熊野速玉大社と東北から巡礼にもきた権現川原
最初に訪れた新宮市の熊野速玉大社。
熊野速玉大社は、生命の根源である自然の働きを神格化した「熊野速玉大社を主祭神とし、神邑として中央にも知られた熊野川河口部に有史以前から鎮座してきました。
9世紀頃に神仏習合の影響を受け、熊野権現として信仰されるようになり、
熊野三社を巡拝する熊野詣が11世紀頃から盛んとなり日本の歴史、
文化に大きな影響を与えました。(世界遺産の碑より)
鳥居を抜けるとすぐ
【伝説】小野小町は熊野比丘尼だった?
大崎市古川にある「小野小町の墓」
小野小町の墓は複数ありますが、ここに「新田夜烏の里(にいだよがらすのさと)」という名前がありました。
訳すならば、「ヤタガラス」と言っているようなことでは?
「新田夜烏の里」の伝説「都での華やかな生活も年波には勝てず、晩年ふるさとの秋田に帰る途中、
ここ、新田夜烏の里に差しかかったころ、にわかに病に倒れてしまった。
草庵を結んで氷室の薬師に百日参りして病気平
【神社】武蔵国賀美郡から勧請の加美町宮崎の熊野神社の歴史
加美町は、宮城県の北西部に位置する大崎地方。
船形山、薬莱山などが加美町の象徴の山です。
奈良時代の『続日本紀』には賀美郡と記されてます。
その後、色麻郡を併せ、江戸時代に賀美郡から加美郡に改名しました。
ちょっと奥山にある熊野神社。
鳥居近くまで車でいけますが、途中、参道のような道があり、
昔はこの道から歩いていたようです。
ここのおくまんさまを知ったのは、御浜降りを昔行っており、60キロ
【新山観音堂】奥州三十三所観音霊場札所納札
先月、平泉へいき、その帰りに立ち寄った花泉町。
平泉の本拠地近くで観音霊場に関係する資料、名取老女伝説について記されている所です。
「奥州札所三観音霊場の始まりは、1123年(保安年間)頃とされています。その後、盛衰を経て、1761年(宝暦11年)、気仙沼・補陀寺の智膏和尚により再興されました。
そのうち花泉町内には、
十七番 老松・観音堂・十一面観音(大祥寺)
十八番 老松・六角堂・如意輪観
塩釜港から近い松島湾の離島で過ごす島時間。4つの島を巡る浦戸諸島をご紹介【朴島編】
浦戸諸島にある4つの有人島のなかで、一番小さな「朴島」。
マリンゲート塩釜から市営汽船に乗り1時間弱。
終点の島です。
人口:約20人
面積:0.15平方キロメートル
周囲:2.2km
ほとんどの観光客は、桂島や野々島で降ります。
釣りをされる方も多いです。
最後まで船に乗っている人は、数人でした。
船を待つ休憩所があり、Wi-fiも繋がります。
向かいに簡易トイレも設置されており、きれい
福島市茂庭の熊野神社【信夫佐藤氏兄弟の母:乙和御前】
福島市の飯坂温泉より西側に茂庭地区があり、信夫郡の領土を得た佐藤基治の妻、乙和の方を頼って名草の鈴木氏(藤白鈴木氏?)が建立した神社がある。
※茂庭は、伊達藩の家臣、鬼庭氏が領土を得ている。
(豊臣秀吉の命で名を茂庭に変えている)
熊野神社の由来紀州名草の村長鈴木塞庫翁が紀伊国熊野神社に最も深い家系をもつ飯坂大鳥城々主佐藤庄司基治の妻、佐藤継信の母乙和の方を頼って直接熊野から
この茂庭秋庭の地
【能】護法(ごおう)の名取ノ老女と世阿弥
先日、仙台在住の能楽師、山中迓晶(やまなかがしょう)さんと名取熊野勧請900年実行委員会とお会いする機会があり、『護法』についてこの本を紹介して下さいました。
かなり古い本ですが、謡曲の本で最後の方に『護法』がのっています。
『護法』により「名取」の「老女」が都で流布し、
熊野堂縁起は、この『護法』を基につくられたと言われています。
世阿弥が創作したものを音阿弥が演じた記録がありますが、
護
【信仰】閖上港の聖観音堂(三古寺)
先週、大崎市鹿島台へ行った時、
偶然通りかかった「三古寺」に参拝する流れになりました。
本殿の裏へ回ると、真新しい観音堂があり、
大きなキラキラした観音様が鎮座されていましたが、
天井の提灯には「閖上港」の名があったのです!
「富聖観音菩薩」
なぜ、宮城県北部の山側に閖上港からの奉納が?
住職に訊ねてみたが、詳細はよくわからないと。
近くに「富山」の名のつく山があり、そこにあった観音様を