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八代嘉美・海猫沢めろん『死にたくないんですけど iPS細胞は死を克服できるのか』 : 日本人の〈ダメなところ〉=論理的不徹底と無難妥協主義

書評:八代嘉美・海猫沢めろん『死にたくないんですけど iPS細胞は死を克服できるのか』(ソフトバンク新書)

2013年に刊行された、SF作家が生物学者に教えを乞う「iPS細胞」入門で、わかりやすく基本的な知識の身につく、楽しい一冊である。

本書で、私が注目したのは、「生命倫理」の問題における「日本人特有のダメさ」である。

「生命科学」の分野においては、常に「生命倫理」の問題が重くのしかかってくるというのは、素人でも容易に察しのつくところだろう。
本書でも、卵子をもとにして作成される「ES細胞」が、ローマ法王庁(カトリック教会)や、キリスト教保守派の信者であるブッシュjr大統領からの批判にさらされたという事実が紹介されており、無宗教者の多い日本人読者としては、さもありなんと、素直に納得のできたのではないだろうか。

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(キリスト教信仰に基づく「妊娠中絶」反対派)

しかし、問題は、「ES細胞」や「iPS細胞」などの開発研究における「生命倫理」の問題に絡んで、自主規制が多いのは、意外にも、イギリスやアメリカといったキリスト教国ではなく、日本の方だという事実である。
一一なぜなのだろうか?

めろん  ローマ法王やアメリカのブッシュ前大統領がES細胞の研究に懸念を示していました、という件ですね。日本はキリスト教的な価値観が弱いので、どんどん研究が進められたということはないんですか?

八代  それが、実は逆なんですよ。ES細胞の研究規制については、日本は研究のみを目的とした受精卵の作成は禁止、患者対応ES細胞については条件が整えば可となっているのと比べて、イギリスはどちらも可能となっています。また、ブッシュ政権当時、「厳しい規制」と言われたアメリカだって、新しいES細胞を作る、という研究には公的な助成は与えられませんでしたが、すでに樹立されていた細胞については研究することができた。その上、新しいES細胞の樹立だって、国のお金でなければ問題ありませんでした。ようするに、私的な資金や州のお金を使えば制約は受けてなかったんです。

めろん  なんと! 日本の方が厳しいんですね。

八代  はい。日本は宗教的な背景がなく、生命倫理について議論する必要がなかったから、iPS細胞を発見することができた、なんて記事をみかけたことがあります。でも、この分析は現場の感覚でも実際の経緯から言っても、明確な間違いです。

めろん  なんでですか?

八代  ES細胞についての指針が作られた当時、実際は日本のさまざまな宗教関係者が呼ばれて審議会などでは話を聞かれていました。しかし、宗教的な場所で、科学の知見を取り込んだ明確な議論がなかったことから、極めて曖昧な意見に終始してしまった。つまり議論がないからこそ、厳しい規制に傾いてしまったのが日本の状況だったんです。宗教的な倫理観と、科学の知見を見つめるという姿勢があれば、どこまでが可能か、どういう方法なら大丈夫なのかをディスカッションする気運が生まれますよね。それならば話し合った結果、「ここまではいいことにしよう」というギリギリのところを設定することができる。
 でも、日本は国民全体として、宗教的な規範に「縛られる」傾向は弱いし、議論することも好まない。そうなってくると、臭い物に蓋をするではないですか。規制する側としては面倒事を避けようとして厳しく厳しく設定せざるを得なくなる。
めろん  なるほど。議論するにも、軸がなければ話が進みませんもんね。』(P148~150)

八代  精神の拠りどころとして宗教を尊重することは、欧米では普通のことです。もちろん強烈な無宗教主義者もいますけど、大抵の欧米の研究者は、ちゃんと教会にもいくし、宗教にも敬意をはらいつつ、(※ 科学研究の)実験をしています。確かに日本人の感覚からすると理解しづらいかもしれませんが、だからこそ生命倫理についてきちんと議論するというマインドがあるんだと思うんです。

めろん  なるほど。宗教があるからこそ深く考える、と。日本の場合はそういった土壌がないから、とにかく危険そうっていう空気が優先されてしまうということですね。』(P167、※は引用者補足)

ややもすると日本人は、キリスト教信者の欧米人を「非科学的なキリスト教徒」だといって馬鹿にするところがあるけれども、少なくとも「信念を持って、真剣に議論をして、筋を通す」という点は、キリスト教圏の欧米人には到底かなわない。
昔から言われるとおり、日本人を律したり支配したりするのは、「ロジック(論理=是非善悪=言葉)」ではなく「空気」だということだ。

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(タイトルの微妙な改訳・どこからが人間なのか?)

まったく情けない話だが、例えば、本書を酷評しているレビュアーだって、信仰的信念を持つ欧米人とは違って、著名人である著者を目の前にして、同じことを言えるほどの信念を持ってレビューを書いている人など、一人もいないだろう。なにしろ、平均的な日本人は、自身の中に神を持たないぶん、世俗的権威にはめっぽう弱いからである。

初出:2021年6月9日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年6月18日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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