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師茂樹 『最澄と徳一 仏教 史上最大の対決』 : 不可知についての 〈論理〉の使命

書評:師茂樹『最澄と徳一 仏教史上最大の対決』(岩波新書)

本書は、日本天台宗の開祖・伝教大師最澄と、法相宗の僧・徳一のあいだで闘われた、いわゆる「三一権実諍論」を分析した研究書だが、内容紹介のきわめて難しい本だ。

少なくとも、本書のタイトルからは、その内容は窺い知りようがない。たぶん、内容をそのまま表現したタイトルでは、読者が敬遠するだろうと、一見取っ付きやすそうな、ドラマティックなタイトルにしたものと思われる。
したがって、私も本書の最終盤にいたるまでは、本書が何を書きたい本なのかが掴みきれなかった。とにかく、そうとうマニアックな本だということはよくわかったのだが、最後で「まさか、こんなところに着地しようとは」と驚かされたのである。

さて、前口上はこれくらいにして、本書が描こうとしたものを、最初に端的に示しておこう。
それは「人間が、完全には知り得ないものを探求しようとした場合、その過程において、論理はどこまで重視されるべきか」といったようなことだ。
つまり、これは「宗教書」と言うよりも、「宗教に材を採った、人間にとって、論理とは何か」を語った「メタ論理哲学」の書だと言えるだろう。

したがって本書は、「最澄と徳一」の対決について、「どっちの仏教理解が正しいのか」とか「こんなにドラマティックな論戦だったのだ」といったことを書いた本ではない。

「最澄と徳一」それぞれの「論の展開」を、その「時代背景」や「立場」などの絡み合いから読み解いた上で、どうして両名の「論じ方」が、このように違い、その結果として「結論」には至りようもないものになってしまったのか、ということを跡付けているのである。

本書では、「法論」の作法として「因明」というものが紹介される。要は、「まったく立場を異にした者どおしが、論理的に議論するための、ルールに則した議論法」とでもいったものだ。
そもそも、双方が「説明不能な確信」だけをぶつけ合うだけなら、それは議論にはなり得ない。だから、どこまでを「議論における前提的な共通認識」とするかを、あらかじめ「ルール」として決めておくことで、双方の立場の「論理的な優劣勝敗」を明らかにすることのできる方法論、ということである。
そして、「法論」を行う者は、「因明」を議論の前提(ルール)として受け入れており、決して、双方が「自分の理屈で押し通す」といったような、昨今では当たり前の、単純な「水掛け論」ではなかった、ということだ。

だが、以上に紹介したのは、「因明」の「原則的理解」であって、現実は、そう単純ではないし、そう上手くもいかない。なぜなら、そこで共有されるべき「ルール」自体の「解釈」が、しばしば異なり、個々のルールの軽重が、その信仰的立場によって変わらざるを得ないからである。

こうした「最澄と徳一」の立場の違いを、私の理解し得た範囲で、ごく大ざっぱに紹介しよう。

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最澄は、仏法を「鎮護国家」のためにあるものと考えていた。要は、人々が幸せに生きていくために必要なものとして、実用的なもの、と考えていたのである。
だからこそ、当時の日本の仏教は、いろんな宗派(六宗派)が並び立って、国家によって保護されていた。国家は経済的に各宗派(寺院)を保護し、各宗派はその法力において「国家」を守る。今の感覚で言えば「御用宗教」のように思えるが、当時としては、これは当たり前のことで、国家の安寧は、人々の生活の安寧であり、その安寧を守るために、国家は「先進的な(霊的)テクノロジー」としての「仏教」を、多くの学僧を派遣するなどして、わざわざ異国(先進国)から「輸入」したのである。

そもそも、天台宗の最澄が、なぜ密教まで学んだのか。それ以外の、他宗の経文も学び、さらにそれを講じていたのか?
最澄がすべての経文を学ぼうとしたのは、無論「釈迦の数ある教え(経文)の中で、どれが最も優れたものかを知るため」であって、その結果として彼は天台宗を立宗したわけだが、その最澄が、なぜ立宗後に、他のすべての教えを捨てなかったのか。例えば、のちの日蓮のように「法華経以外を説くことは、国家に仇なす謗法である」といった具合に、他宗の存在を全否定しなかったのか。
それは、最澄にとっての仏法は、そこに優劣浅深はあるにせよ、結果としては、すべての教えは「鎮護国家」のためにあり、最終的に目指すところは同じもの、だと認識されていたからだ。したがって、理論的な議論は必要ではあるけれども、「内輪喧嘩」をするのは、「国家鎮護」という大目的を見失った、本末転倒の誤りであり、「謗法」だと考えられていたのである。

もちろん、著者も言うとおりで、議論は必要である。

『究極の真理に至る道程には、言葉で解決すべき無数の問題が横たわっている。仏道を歩む者は、最後には言葉を捨てるとしても、それまでは言葉を使って正確に教理を理解し、言葉を使って高僧と問答し、言葉を使って誰かを説得しなければならない。』(帯背面)

『最後には言葉を捨てるとしても』とは、どういう意味か。
それは『究極の真理』は、「言葉」には収まりきらないものだから、言葉の限界までくれば、言葉を捨てて、別の方法で『究極の真理』を追わざるを得ない、ということである。
つまり、最終的には「言葉」は『究極の真理』には到達できない。しかし、その手前までは「言葉=言葉による論理性」を捨ててはいけない。安易な「体験主義的神秘主義(=外道)」に走ってはならない、ということだ。

しかしこれは、どんな宗教でも問題になるところであり、要は「言葉」の限界、「論理」の限界を、どこに見定めるのか、という難問である。

例えば、キリスト教においては、カトリックは「体験」重視であり、プロテスタントは「理性」重視だと言われる。言い換えれば、カトリックは「理性」軽視であり、プロテスタントは「体験」軽視だとも言えよう。そして、どっちにも理屈はある。
カトリックからすれば「神を、その被造物でしかない人間が、理解しようとすること自体が、本末転倒であり、不遜である。重要なのは、信じることだ」ということなのだが、プロテスタントに言わせれば「神は人間に知性をお与えになった。ならば私たちは、神から授かった能力を最大限に発揮した上で、最後は神のみ手に全てを委ねるべきである」ということになろう。

つまり、「言葉(理性)によっては、究極の真理には達し得ない」という共通理解があり、しかし「言葉の限界までは、言葉を尽くさなくてはならない」という共通了解があったとしても、では「言葉の限界を、どこに見るか」によって、その態度や立場は、おのずと変わらざるを得ないのだ。
カトリックのような「体験重視主義」なら、早々に「言葉」を捨てるだろうし、プロテスタントならしつこく「言葉」にこだわり続けるだろう。その結果、カトリックはプロテスタントを「悪しき言葉への執着(近代理性主義=人間主義)」だと非難し、プロテスタントはカトリックを「非理性的で権威主義的な盲信」だと非難することになるのである。

つまり、徳一に比べると、最澄の立場はカトリックに近い。要は「仏法においては何が重要なのか」という問題意識であり、それを見失った「議論のための議論」は、「瑣末主義」の「迷妄」なのである。だから、最澄は、中国仏教の主流的伝統に矛盾しない、バランスのとれた仏教理解をしようとする。ところが、徳一はそうではない。

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徳一の立場は「原理主義的論理主義」である。要は「何が正しいのかを、論理的に(言葉の整合性において)突き詰めたい」のである。たとえ、その態度が「謗法」であり、地獄に落ちることになろうともだ。知りたいことは知りたいという「求道心」。それだけなのである。

『ここに述べた様々な疑問は、おそらくは謗法の業となり、無間地獄に堕ちる報いを招くことになるかもしれない。ただ、疑問を決し、知恵と理解を増やし、ひたすら信じることに帰し、もっぱらその教えを学ぶことを欲しているだけである。(『真言宗未決文』)』(P217)

これは、最澄とのやりとりに関してのものではなく、空海の真言密教に対して批判的な疑問を投げかけた際の、徳一の思いである。

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このように、私たち自身、最澄の考え方も理解できれば、徳一の気持ちもよくわかる。だから論争は「どっちの理論が正しいのか」といった問題(三一権実諍論)ではなく、言って見れば、両者の「実存的差異」の問題であったと理解できるのではないだろうか。

しかし、だからと言って「根本的に立場の異なる者どおしの議論は、無意味である」などという安直な考え方を、両者は共に認めはしないだろう。「究極の真理」とは「言葉」では達し得ないものだとしても、しかしだからこそ、人間はその与えられた能力を最大限に尽くさなければならない、というのは、両者に共通する立場であったからだ。

そして、これは、何も「仏教」にかぎった話ではない。
私たちは、生きていく中で、必ずいつも「何が正しいのか」「何が真理なのか」を問いながら、その都度、精一杯の選択をして生きている。そうした具体的な選択にあたっては、ギリギリまで「真理」を問い求める時間的な余裕などなく、一種の断念や「暗闇への跳躍」が必要ではあったとしても、それでも「真理に達せられないのなら、なんでも良い」ということにはならない。「神が存在しないなら、すべては許される」(イワン・カラマーゾフの言葉)ということにはならないのだ。

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このように、本書で描かれたのは、人間の生における「真理探究」の究極の姿であり、その「誠実さ」のあり方だったのだと言えよう。二人の議論は、決して、単なる「党派対抗的教理問答」などではなかったのだ。

世界の「究極の真理」に向かって、違った立場からそれぞれに腕をのばした男たちの、その実存をかけた対決だったのである。

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(2021年11月8日)

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