記事一覧
連載小説 介護ごっこ(7)最終章
杖を握る手首に、ねんざのような痛みを感じていた。腰は砂袋を巻きつけたように重かった。引きずる足は、ほぼ意識から切り離されていた。二足歩行とは、なんて不安定な移動手段だろうと思う。
バスターミナルの一番乗り場には、〝さざんか公園行〟のバスが止まっていた。時刻表を見た。
「ばあちゃん、これに乗ったんやね」恵美が4時の列の32の数字を指して言った。「あれ、でもこれ、さざんか公園行〟じゃないよ」
3
連載小説 介護ごっこ(6)
「ばあちゃん、まだもどらないのよ」
母のしおれた声が耳に触れた。
「もう少し待ってみたら?」と恵美は言った。
「ちょっと遅すぎるわ。何かあったのかも……」
母は、起こりうる最悪の事態を推測して、自ら不安に陥っていくようなところがあった。
「ねえ、恵美ちゃん。今からその男の人のマンションに行ってみようと思うの」
時計を見ると4時半を回っている。もう少しでバイトが終わる。
「バイト終わったら、あ
連載小説 介護ごっこ(5)
次のフラダンスのレッスン日に、容子は朝から義母に付き添うことにした。その日も義母は、黄色いハイビスカスのムームー姿だった。目をつむりたくなるようなまぶしさの中に、花々のすき間からのぞいた葉の色が、影のように優しかった。
「ほれ、遠慮せんと、あたしの腕につかまり」
義母は腕を突き出した。拒んでばかりもよくないと思い、容子は腕に手をかけたけれど、体重をかけないように気をつけるのは、一人で歩くよりも
連載小説 介護ごっこ(4)
いつもの通り三人で夕食を済ませ、義母が自分の部屋に引っ込むと、恵美が妙な話を始めた。昼時に、義母が高齢の男性とマンションに入っていくところを見たと言う。
「中よさそうだったよ」
恵美がこちらの顔色をうかがうのが分かった。
「人違いでしょ」とは言ったものの、容子の胸中は穏やかではなかった。
「黄色の花柄のムームーよ。ばあちゃん以外いないよ」恵美がスマホを脇へ置いた。「彼氏だったりして」
「まさか
連載小説 介護ごっこ(3)
恵美が駅地下の駐輪場に自転車を止めて、バスターミナルで待っていると、祖母が乗ったバスが着いた。金髪の頭と黄色のムームーで、すぐに祖母だと分かる。一緒に歩くときは、恥ずかしくて、他人のふりをしたくなるが、遠めに捜す場合は、目印になってよい。
乗客が次々に降りてくる。そして祖母が降りてきた。ガラガラ抽選機から落ちてきた当たりの玉みたいだった。祖母は辺りをきょろきょろと見回してから、横断歩道のほうへ
連載小説 介護ごっこ(2)
「お母さん、そろそろ時間ですよ。行きましょうか」
容子は鏡をのぞきこんでいる義母に声をかけた。
「はいよ」
義母は白いバッグを斜めがけにして、スカートのすそをひるがえす。すたすたと歩く八十をとうに過ぎた義母の後ろ姿を見ていると、50そこそこで杖に頼る自分の体が恨めしくなる。白いエナメルのパンプスをはいた義母は、まだ靴もはいていない洋子の前で、ドンと玄関扉を閉めて外へ出てしまった。逆向きに脱いで
短編小説 恍惚のモナリザ
インターホンを押しても返事がない。私は妙な胸騒ぎを覚えた。先週ヘルパー仲間の福本さんが担当していたおじいちゃんの孤独死の第一発見者になったばかりだったのだ。
急いで預かっていた鍵でドアを開けて、玄関を上がった。多美子さんはダイニングの椅子に座っていた。丸まった背中にかくれて、頭は見えない。
「もう、多美子さんったら。びっくりするじゃないですか。返事がないんだもの」
「あら、ごめんなさい。これに
詩 眠れない真夜中に
眠れない真夜中に
見つけた
空っぽの物干しざお
水たまりの中の満月
自販機の明かり
光るプルトップ
雀のなきがら
埋めてあげたいけれど
ごめんねとつぶやいて
寝返りをうつと
掛けぶとんのきぬずれが
私を
嫌というほど尊大にする
身動きを止めて
息をひそめると
あるのは
自分の体の形の穴だけ
深い深い穴の底から
聞こえてくる
赤いビーズを連ねたような
救急車のサイレン
ずんずん近づいてくる
熱い
窒
エッセー 絵を描いてみたくて 一視覚障碍者の夢
トマス·マンの小説『魔の山』の中に、顧問官の医師が、目をつむって子豚の絵を上手に描いて見せる場面がある。まだレントゲン技術が十分でないころの結核療養所で、たくさんの患者を診てきた医師の透視眼のなせる業だと思う。
私には透視眼などないけれど、ちょっと真似してみたくなった。メモ帳に鉛筆で子豚を横から見た図を想像しながら、鉛筆を走らせた。まず丸を描いて、短いしっぽをぴょこんと一本、足はあとからちょん