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【短編】『ベイエリア・トライアングル』(完結編)

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ベイエリア・トライアングル(完結編)


 ウェーブオルガンに向かう途中、急に滴がフロントガラスを叩きつけた。ぼくは傘を持ってきていなかったがこの量の雨であれば問題ないと思った。海岸に到着する頃には雨は小降りではなくなっていた。ウェーブオルガンに続く細い道にあともう少しで波が到達しようとしていた。誰もいない道を揺れる小型ボートを横目に一人駆け抜けた。ウェーブオルガンにたどり着くと、波しぶきがぼくを襲った。着替えたばかりの服は海水ですぶ濡れになった。海の向こうには薄っすらとアルカトラズ島が映っていた。ぼくは地図上に浮かんだあのダビデの星の秘密がここに隠されているはずだと思いながら必死にそのありかを探した。ウェーブオルガンに何か暗号を隠すとしたらどこであろうか。そもそもそれは暗号なのだろうかと思っている矢先に、今にも波が自分を海に引きずり込もうと勢いづいていた。突然ぼくは巨大なパイプに違和感を覚えた。たしかこのパイプからは波の動きと岩を利用してハーモニーを奏でるという説明があった。ぼくは再びパイプに耳を近づけた。グガガガゴゴゴゴ、グガガガゴゴゴゴ、グガガガゴゴゴゴ。思えば、このパイプからは波が打つと同時に奇妙な音が一定間隔で流れてきていた。そしてその音には特徴があった。どこか楽器の役割を果たすように、わずかに音色を奏でていたのである。他のパイプからはまた別の音色が一定間隔で流れた。もしかするとこれは暗号の一種ではないかという考えが咄嗟に浮かんだのだ。ぼくはその場で音楽による暗号を端末状で調べた。すると、調和アルファベットという単語が出た。調和アルファベットとは、フィリップ・シックネスという著述家が18世紀に考案した音楽のメロディの中にメッセージを隠すという暗号記法であった。ぼくはここに来て、学生時代に友人とジャズバンドを組んだ頃のことを思い出した。すぐにバンドは解散したが、短い期間でなかなか良いセッションができたと自負している。なんせ唯一ぼくが友人に勝ることができたのが楽器の演奏だったのだ。ぼくは絶対音感を持っていっただけに、感覚でピアノを演奏し、さらにはトランペットさえも吹くことができた。仕方なくトランペットの役目は友人に譲り、友人も負けじとそれを吹いた。ぼくは調和アルファベットの表をじっくり観察し、全てのパイプから聞こえる音色をもとに文字を順に並べた。

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このアルファベットが何を指しているのか全くわからなかった。文字を並べ替えてもみたが、母音と子音がうまく組み合わさらなかった。そもそも暗号記法自体が間違っているのではないかと思ったが、音以外に暗号らしきものはなかった。すると徐々に水位が上がったせいか、波が岩を強く打ち付けた。そろそろ戻らなければならないと思い、咄嗟にウェーブオルガンのパイプや岩の彫刻、銘板などを写真に残した。

 ぼくは近くの新たにオープンされたであろうモダンな喫茶店に入り、ホットコーヒーを頼んで席についた。コーヒーを飲む前に、すぐに写真を見返した。やはり岩にはこれといって暗号らしき文字や記号は彫られてはいなかった。ふと銘板に書いてあるウェーブオルガンという名前、そして作成された背景が書かれていた。ぼくは文章を読み進めながら、その下に何やらアルファベットではない文字が綴られていることに気がついた。

〜שארית ישראל קופורציה〜

昨今、電子端末の性能も上がってきたこともあり、簡単にその文字を読み取ることができた。検索欄にそのまま貼り付けをするとページが変わったとともに表示される文字が急に右詰めになった。どうやらヘブライ文字のようだった。翻訳するとこのように書かれていた。

〜イスラエルの残党の協力のもと〜

即座にイスラエルの残党、そしてサンフランシスコというキーワードを並べて検索した。すると、市内にあるシェリス・イスラエル会衆というユダヤ教の寺院がヒットした。よく見ると、シェリス・イスラエルの名前の横に先ほどの「イスラエルの残党」というヘブライ文字が書かれているのである。ウェーブオルガンの制作に協力した団体がシェリス・イスラエルということだった。地図上で検索すると、寺院はフィルモア通り沿いにあり現在地から2キロもしないところにあった。気づくとコーヒーはすでにぬるくなっていた。ぼくは店を出てその寺院まで歩くことにした。

 近くまで来ると、以前訪れたテンプル・エマニュエルと同様にドーム状の建物が存在感を際立たせており、すぐに寺院だとわかった。外観も内観もゴシック様式でできており、中には風情のある空間が広がっていた。ぼくはここに何かウェーブオルガンに関する資料、あわよくばダビデの星に関する資料が保管してあるのではないかと思い、手当たり次第許可なく部屋を開けては隅々まで目を走らせた。とある部屋に入ると所々にユダヤ系の記事や勲章などが飾られており、寺院とは打って変わって歴史館のように感じられた。その奥にはもう一つ扉があったが、どうやら鍵が閉まっており中に入ることはできなかった。しばらく礼拝する場を彷徨いていると、どこから現れたのか老人が柱の陰からぼくを見つめているのである。すぐに聖職者だとわかった。ぼくは一層のこと彼にあのダビデの星のことを聞いてしまおうかと思ったが、変質者と思われかねないと思い、実行に移さなかった。彼は柱から現れ今にも倒れるのではないかという声で呟いた。

「君、何をさっきから探しているんだね」

ぼくは何も答えず、そのまま質問を無視して寺院を立ち去ろうとした。すると、再び老人は呟いた。

「もしかしてこの星のことかね?」

老人は礼拝する場所に飾られた金属でできたダビデの星を指さした。

「おじいさん。ぼくが探しているのはもっと大きなものです」

ぼくはまさかこの老人が街に隠されたダビデの星のことを知っているはずがないと思い冗談まじりに言ってやった。すると老人は考え込むような顔つきになり、急に閉じかけていた目を大きく開けぼくを睨みつけた。

「君、もしやそれはこの街に匹敵する大きさかね?」

ぼくは耳を疑った。老人はダビデの星の秘密のことを知っているようだった。ぼくはその場で自らこの数日に間で探し当てたものを全て老人に話した。

「ぼくはこの街の秘密を知ってしまったんです。あなたはそれを知ってると?」

すると老人はゆっくりと床に視線を移すとぼそりと答えた。

「ああ、知っている」

ぼくは一瞬にして体が硬直した感覚を覚えた。

「これは秘密結社かなんかですか?」

老人はぼくの言葉を聞いて高笑いしたと同時にひどくむせ返った。

「これはただの歴史だよ」

「じゃあなぜわざわざここまで明細にダビデの星を街に印付たんですか?」

「まあ待て。順を追って話してやろう。しばし長話にはなるかと」

「すべて教えてください」

 老人はそのままぼくを歴史館の奥へと案内した。そこには、サンフランシスコベイエリアの地図が大きく壁に貼られており、ぼくが突き止めた場所の各地点にピンが差し込まれ紐で結ばれていた。その他にも、地図上にはダビデの星がいくつか張り巡らされていた。すると老人は淡々と語り始めた。

「19世紀中頃、ゴールドラッシュとともに多くのユダヤ教改革派の民がドイツのバイエルンからこの地に集まってきた。ユダヤ人の中には他のアメリカ人とともに炭鉱を掘る者も一部いたが、多くは乾物の商業を生業とした。彼らは徐々にサンフランシスコという街に影響を及ぼすようになり、ついには商業帝国を築いた。こうしてサンフランシスコはゴールドラッシュを経て金の国と言われるようになったのだ。しかし1906年4月に襲った大地震によってサンフランシスコの町は廃墟と化した。その復興の糧となったのがサンフランシスコ万国博覧会の開催だ。ここに来てもなおユダヤ教改革派は陰ながら才を発揮しリーダーシップをとることで万博の開催を実現したのだ。しかし第一次世界大戦が勃発した。サンフランシスコ内では直接的な被害は受けなかったものの、ヨーロッパにいる多くのユダヤ教改革派の人々はナチスのホロコーストに直面した。しばし皮肉なことだが、歴史的にも悪として認知されているアーリア人であるナチスと、ユダヤの民は相反するように見えて本質的には共通する部分もあった。それは民族的優位性だ。ユダヤ教はこれまでの歴史を振り返って何度も迫害を受けてきた。だからこそ自分たちの優位性を持たざるを得なかった。世界各国でユダヤ教のシオニズムという思想が広まったのもそれがきっかけであろう。同様にサンフランシスコでもユダヤ教改革派が優位性を持とうとした。しかし改革派は全体主義的なシオニズムにおける優位性よりも、地域に根ざした一宗派としてのアイデンティティの形成を試みたのだ。だからこそ、彼らは街の発展にさらに従事した。この地図に描かれているダビデの星こそ、そのなによりの証拠にはなりはしないか?」

ぼくはこの街に隠されたダビデの星が陰謀などではなく、ただの歴史でしかないという事実に何も言葉が出なかった。結局のところぼくはこの答えから何も得ることはなかった。だが、ようやく友人の残したトライアングルというメッセージの謎を解き明かすことができ、自分の役目を終えたことに対する安堵とともに、どこからか込み上げてくる達成感をひしひしと感じ取った。ぼくはふとこれを誰かに話したいと思った。

 ホテルに戻ると、ここ数日の疲労が体という体に一気に押し寄せ、わずかに残った気力で靴を脱ぐとそのままベッドの上で寝入ってしまった。もう友人の夢を見ることはなかった。目が覚めると、ちょうど夜の6時になったばかりだった。テレビをつけてから用を足し、歯を磨いた。ぼくは心身ともに休暇を満喫するごくありふれた男に様変わりしていた。テレビでは6時のニュースが流れていた。しばらくの間鏡の中に映る自分を眺めていると少し老けたような気もした。すると先日の友人の殺害事件のニュースが流れた。ぼくはすぐに寝室に戻りテレビに釘付けになった。そこには友人の顔とともに殺害犯の顔写真が出ていた。

「先日逮捕された強盗殺人犯の裁判が明日行われる予定です。過去にいくつも強盗を重ねていることもあり、おそらくは実刑判決に至る予想です。また新たな展開があり次第状況をお伝えします。次のニュースです。ツインピークスに描かれたLGBTQを応援するピンクのトライアングルが明日をもって撤去作業に入ります。この運動は・・・」

ぼくはテレビの電源を消してホテルを出た。すぐ目の前のユニオンスクエアの広場を歩きながらサンフランシスコの涼しい空気に鼻を啜らせた。


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