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政治家の裏金問題に潜む教育の大罪
幼少の頃、リクルート汚職事件のニュースが流れに流れていたときに、「お食事券」はめっちゃ悪いものなのだというかなり間違った学びを得た小島です。
さて、時は流れて今は令和5年12月19日。
巷では政治家の裏金問題が大きく取り沙汰されており、リクルート汚職事件以来の大事件だと大騒ぎ。
世間全体がここぞとばかりに総攻撃しているわけです。
大大大前提として、裏金自体は悪いことです。
ということで、以下、
僕の宿毛高校物語エピソード5.5【あと1点】
三代目の陰にかくれ、人数不足による合同チームなど数々の困難に見舞われた四代目チーム。
しかし、タレント的には面白い選手のあつまりでした。
一度やめて、舞い戻ってきた圧倒的カリスマの不良キャプテン。(※エピソード5参照)
利き腕(右手)を骨折した結果、左手で練習して両利きに生まれ変わったレフトエース。
全ての言語をポジティブに変えてしまう釣り吉のセッターときどきリベロ。
彼らとは高知県No.1
僕の宿毛高校物語 エピソード5番外編【もうひとりのキャプテン】
宿毛高校三代目チームが光とするならば、四代目チームは間違いなく陰でした。(※エピソード5【光と陰】参照)
少子化による中学校の部活動の団体競技の低迷に加え、そもそも男子バレー部が中学校にないという環境。県内でもチームが減っていくなか、宿毛高校はなんとか耐えてチームを存続させることができていたのは奇跡といってもいいかもしれません。それでも人数があと1人だけ足りませんでした。
そこで、四代目チーム
僕の宿毛高校物語エピソード5【光と陰】
今回は四代目キャプテンのお話。でも、少しだけ時間を巻き戻します。
光輝いた三代目チーム。中学校時代には各スポーツで高知県トップクラスの成績を残し、高校でのバレーボールでもその能力を遺憾無く発揮し、好成績を収めました。(※エピソード4参照)
その陰で四代目キャプテン、カイトはバレーボール部に入部してきます。彼はいわゆる不良というやつで、宿毛高校でも1番の不良になってやると息巻いて入学してきまし
僕の宿毛高校物語 エピソード4.5【反骨精神】
愛媛県をはじめ、多くのチームと練習試合をして力をつけてきた三代目チーム。練習試合の結果はほぼほぼ負けてばかりでしたが、選手たちはめげずに立ち向かい続けました。
そして、迎えた最後の県体(インターハイ予選)。
前年度、初勝利を目指して挑戦した結果、相手チームの棄権、裏エースの捻挫による欠場という悲運が重なり未勝利に終わった大会です。(※エピソード3参照)
集大成とも言えるこの大会での勝利は、三代
僕の宿毛高校物語 エピソード4【開拓】
最高の1勝(※エピソード3、3.5参照)をあげた宿毛高校三代目男子バレー部。
少しずつ力はついてきたものの、高知県内の近隣高校に練習試合の相手がいないという現実は変わっていません。
そこで、視点を変えてみることにしました。高知県にこだわるからダメなんじゃないか?実は宿毛高校は高知県の西の端にあり、愛媛県との県境に存在しています。なら、愛媛県に練習試合に行けばいいじゃないか。
当時男子バレー部
僕の宿毛高校物語エピソード3.5【最高の1勝】
1度も勝つことができなかった3年間。
しかし、宿毛高校男子バレー部最初の1勝はこのエピソード3の主役であるツヨシにプレゼントしたいという想いが僕の胸の奥にはありました。
実は、偶然にもその年から春高バレーの開催が1月に変更されており、3年生最後の大会が県体(インターハイ予選)ではなくなっていました。3年生は県体で引退する必要はなくなったのです。
しかしながら、3年生が11月に行われる春高予選ま
僕の宿毛高校物語エピソード3【たったひとりのキャプテン】
2年間、1度も勝つことができなかった初代宿毛高校男子バレー部は2年生5人、1年生1人で始まりました。今回はそのたった1人の1年生ツヨシのお話です。本人に後から聞いた話ですが、ツヨシは上級生と一緒に戦った最後の試合で引退をするつもりだったそうです。彼は続けて言います。練習が楽で、練習中に遊べると先輩に言われて楽しそうと思って入ったバレー部なのに、小島先生のせいで全然遊べなくなりました(笑)と。
そ
僕の宿毛高校物語エピソード2【彼らと過ごした2年間】
当時の宿毛高校男子バレーボール部の置かれていた状況について少し説明をしておきたいと思います。
まず、宿毛市は東京から公共交通機関で行くことができる市で最も遠いランキング全国第2位。
※全国1位はこの度赴任することになった清水
校区の中学校に男子バレー部は0
※全員素人
練習試合ができる高校まで車で2時間
※今は違います
ということで、当時僕は日本で1番境遇の悪いバレー部だと思っていました。
僕の宿毛高校物語 エピソード0【繋いだ襷】
僕の教員生活は高知県の東の端、室戸高校から始まりました。そこでバスケットボール部の指導に2年携わり、小津高校でもバスケットボールの指導に1年携わります。
翌年、宿毛工業高校で仕事をすることになり、当然バスケットボールを指導するつもりでいたのですが蓋を開けてみるとバレーボール部の顧問でした。
高校時代にバレーをやっていたので、2,3年バレーの指導を経験してからバスケットボールに戻ろうと思い僕のバ
僕の宿毛高校物語 エピソード1【終わりは始まり】
13年前のちょうど今頃、僕はある病院の喫煙室にいました。
大切な友人のお見舞いです。
彼はガンでした。
余命宣告までされていた彼は、
誰が見ても弱っていく身体で、弱いところを絶対に見せない強い人間でした。
そんな彼が
タバコをくわえながら
その日最期に僕に言った言葉は
「生きたい」
でした。
絶対泣いてはいけない。
こらえきらない涙を必死でこらえながら
僕は彼に
「大丈夫」
と言っ