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年金制度は40数年後を目途に生活保護制度を補充する制度に移行すべき
・2012年9月10日、ブログに公開した文章を、タイトル・内容を一部修正した上で転載しています
年金制度については、年金財源(年金保険料)をどのように徴収するか、年金の支給額をどうすべきかの2点を考える必要がある。
現在は、年金保険料を税金とは別に徴収し、保険料を一定年数払った人のみが、払った期間と払った保険料の額に応じて年金を受け取る制度になっている。
だが、こうした年金制度は経済成長
「護憲派」は唯一の勝機を逃してしまった、というお話
○2015年5月9日、ブログに公開した文章の転載
○安倍政権のもとで集団的自衛権の行使をめぐってあれこれあった頃のものです
○一部、削除したところがあります
安倍晋三が、憲法を改正することなく集団的自衛権の行使を既成事実化しようとすることによって、「護憲派」は実質的に敗北してしまっただろう。
「護憲派」に唯一の勝機があったとしたら、それは「集団的自衛権の行使」に賛成する国民より反対する国民の方が
言葉についての雑考・その3「大東亜戦争・太平洋戦争」
5ちゃんねるをみていたら、X(旧ツイッター)上で「大東亜戦争」という言葉の使用をめぐってレスバトルらしきやりとりがあったとあった。
「大東亜戦争・太平洋戦争」の呼称をめぐっては、自分も10年以上前、ブログに記事を載せたことがあったので、noteにも再録しておく。
「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の呼称をめぐって
・ブログに2010年8月31日公開した文章の転載
日本が1940年代に連合国と行
ラッシャー木村が好きだった
・ブログに2011年7月11日公開した文章の転載
小学生の頃、一時期国際プロレスにはまったことがある。場末という言葉が似合う、そこはかとなく漂う哀愁感、洗練されているとはいえないが、強烈なレスラーたちの個性に痺れたものだった。当時はグレート草津とマイティー井上が好きだった。
中学生の頃、全日本プロレスと国際プロレスとの対抗戦(交流戦?)があり、かつて国際プロレスのファンだった者としては、エース
男の価値は収入によってきまる?
・ブログに2010年11月22日公開した文章の転載
男の価値は収入の大小によって決まる、と考えている人は多くいるだろう。
「人間の価値を収入の多さで決めるべきでない」と考えている人も、内面では前述した価値観に縛られている場合が多い。
男性であるならば、自分より収入の多い人間に劣等感を感じ、自分より収入の少ない人間に優越感をもつだろう。
女性の場合は、収入の少ない男性を価値の低い人間と無意識的にみ
女性の方が背の高いカップル
・ブログに2010年11月9日公開した文章の転載
異性間のカップル・夫婦の場合、男性の方が背が高いのが普通の形であり、女性の方が背の高いカップル・夫婦に対しての偏見、好奇の目は根強くある。
昔に比べれば、女性の方が背の高いカップル・夫婦に対しての偏見は薄れてきてはいるが、それでもまだ多くの人がカップル・夫婦は男性の方が背が高いのが普通だといった価値観に縛られているといえる。
この価値観は、「男
恋愛・結婚の不平等に関して
・ブログに2010年4月23日公開した文章の転載
「もてる・もてない」、「交際相手がいる・いない」、「結婚相手がいる・いない」、恋愛や結婚に関して不平等さを感じている人はかなりいるのかもしれない。
経済的不平等は、思想・理論のレベルでは政治の力によって解決することが可能かもしれない。だが、恋愛・結婚に関する不平等は、思想・理論のレベルでも解決することは困難だろう。
恋愛の自由、結婚の自由と
エンターテイメントをめぐる言論
・ブログに2010年12月13日公開した文章の転載
柄谷行人のインタビューや対談をいくつか読んでみたが、エンターテイメント(娯楽作品)は評価していないだけでなく、興味も関心もないらしい。
「批評空間」の共同編集委員だった浅田彰は、思想や芸術に造詣が深いだけではなく、エンターテイメントにも一通り目配せしていた。
この違いは、個人的な趣味・嗜好、価値観の違いにすぎないのかもしれないが、世代的(時
「文芸誌」における需要と供給のバランス
・ブログに2010年11月8日公開した文章の転載
以下の文章は元々は90年代半ばに書いていたものなので、現時点では内容がかなり古くなっています。
”「文芸誌」は二重の意味で需要と供給のバランスが悪いだろう。
1つめは、読者の数(需要)と出版社・編集部側の売りたい数(供給)の関係で、需要の方が少なすぎるというバランスの悪さ。
(90年代中頃には、文芸誌の売上とその雑誌が募集している新人賞
芥川賞・直木賞をみていると、NHK紅白歌合戦・レコード大賞をおもいだす
・ブログに2010年7月19日公開した文章の転載
1970年代まで(あるいは70年代前半頃まで)、日本の歌手の多くはNHK紅白歌合戦に出場すること、レコード大賞を受賞することに大きな価値や意義をみいだし、また名誉としていた。
が、80年代にはいり、当時ニューミュージックと呼ばれていた音楽がレコード売上の主流をしめるようになると、NHK紅白歌合戦への出場を辞退する歌手・ミュージシャンも少しずつあ
「御上の威光にみんなひれ伏せ」言葉についての雑考・その2「看護婦・スチュワーデス」
・ブログに2011年8月8日公開した文章の転載
00年代の前半だったか、テレビや雑誌から看護婦・スチュワーデスという言葉が消え、看護師・キャビンアテンダントという言葉が使われはじめて違和感を覚えたことがあった。
面白かったのは、普段フェミニズムに対して批判的だった保守系・右派系のメディアも、政府・行政機関が看護婦・スチュワーデスという呼称をやめて看護師・客室乗務員という言葉を使用しだしたら、命
言葉についての雑考・その1「シナ(支那)」
・ブログに2011年8月7日公開した文章の転載
シナ(支那)という言葉は呉智英などが言っていたように、元々は国や地域を表す言葉であり、侮蔑語・差別語ではないだろう。
だが、おそらくは戦時中(もしかしたらそれより前の時代から)少なからぬ日本人が差別的・侮蔑的な意味を込めて使っていて、そのために戦後は差別語・侮蔑語とみなされるようになったのだろう。
実際、シナ(支那)という言葉を侮蔑語・差別語とし
アメリカ人が銃を手放さない理由
○ブログに2010年7月7日公開した文章の転載
冒頭のラジオ放送は、2010年6月頃のものです
TBSラジオDigでパーソナリティの神保哲生が、アメリカで銃の所持規制が受け入れられない理由を話していた(6月後半か6月末の放送だったと思う)。
そこでは、革命権、市民の抵抗権の観点から理由を説明していた。
政府が権力を不当に行使した場合には、市民は革命をおこして現行の政府を倒し、より良い政府
個人の行った違法行為に対して、所属する組織が謝罪をするのっておかしくない
・ブログに2011年3月9日公開した文章の転載
京都大学の携帯を使ったカンニング事件で、容疑者が通っていた予備校が謝罪会見をしていたが......。
この件に限らず、なにか事件がおきたとき、犯人(あるいは容疑者)が所属している組織(会社など)がしばしば謝罪会見をおこなうけれど......。
業務上行った違法行為にたいして、所属する組織が謝罪をするのは理解できるが、プライベートでおこした違法行