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コーヒー日記㉔~リハビリにも『訂正する力』を~
今朝は焙煎に失敗したやや生焼けのコーヒーを飲む。
淹れ方次第では悪くない。
”多少生焼けのコーヒー豆での淹れ方次第で美味しくなる”
ぼくのコーヒー観が訂正された。
さて、最近は『訂正可能性の哲学』、『訂正する力』と読んできたので、そこでの気づきを備忘録として記録する。
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リハビリテーションとは、『リセット』することではない
リハビリテーション業界では、「リセット」という
真の「○○したい」を引き出す人生史
構築論的理学療法と人生史以前提案させていただいた、『構築論的理学療法』。
従来の理学療法と対比するうえで大きなポイントは、『人生史』である。
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『構築論的理学療法』の概観は以下の記事をご参照ください。
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では、理学療法の文脈において「人生史を語る」とは、どういう意義があるのか。
この記事では、わたし自身が自分の人生史を振り返ったときに感じたことを通し
『構築論的理学療法』の要点
前回、『構築論的理学療法という提案』という記事をアップしました。
様々な経験のうえに、宮坂道夫著『対話と承認のケア ナラティブが生み出す世界』を読んで、「これだ!!」と思い、その想いをそのまま書き殴ったものが上記の記事です(笑)
言い訳がましくプロトタイプとしましたが、読み返してみると冗長で分かりずらい(すいません)。
これから思考を整理して、アップロード版を投稿したいと思うのですが、まずは前
構築論的理学療法という提案【プロトタイプ】
はじめにこの記事は、1人のしがない理学療法士の、小さな思想体系である。
急性期や回復期、そして現在では生活期の分野で働くなかでの気づき。
研究活動を通して感じた違和感。
様々な人・本を通した感じたことをブリコラージュして、まとめてみたプロトタイプである。
プロトタイプであるから、随時更新していこうと思っている。
1章:構築論的理学療法とは何か構築論的理学療法とは何か。
これを述べる前に、そもそ
コーヒー日記⑯;しがない理学療法士のなんちゃってリハビリ哲学part③
1章:前回のおさらい前回は、『構築論的理学療法という提案』として、その概要を述べた。
ざっと説明すると、従来の理学療法は、『実在論的』であるとして(医療や世の中全体もその傾向はあると思う)、そこから『構築論的』な転換を提案してみた。
さて、理学療法士にとって、「身体機能」や「生活機能」に対するアプローチはいわば専門領域といえる。
でも、「人生史」と言われても、今一つピンとこないかもしれない。
コーヒー日記⑮;しがない理学療法士のなんちゃってリハビリ哲学part②
前回のおさらい前回、國分功一郎著 『中動態の世界』に記された、哲学者スピノザに関する一節から、なんちゃって哲学を試みた。
前回の内容を一言で述べれば、以下の一節を受けて、一般的にリハビリテーションは患者さん(利用者さん)活動能力を高める営みであるが、その最終目標を対象者の「喜び」とするならば、「思考能力」を高める工夫もリハビリテーション内で試みなくてはならないのではないか、ということだ。
さ
コーヒー日記⑭;しがない理学療法士のなんちゃってリハビリ哲学part①
思考と喜びリハビリテーションを行っていると、セラピストと患者さん(利用者さん)の関係は、「能動的ー受動的」になりやすい。
つまり、セラピストは能動的であり、「わたしが治療して、治す」という意識が強く、一方で患者さん(利用者さん)は、「リハビリしてもらう」という意識が強い。
この関係性を全面的に否定するつもりはない。
だけど先日、國分功一郎著 『中動態の世界』を読んでいて、はっとした。
この文