- 運営しているクリエイター
記事一覧
2024年1月の暮らしの保健室は「こたつで保健室」です。
こんにちは!奄美大島で産婦人科、総合診療科をしていますことくです!
1月からは救急医として救命センターで働いております。
高校生の時に憧れだったDr.ヘリに乗って、奄美群島を飛び回っております。
空から見る奄美大島は本当に息を呑むほど美しいです。
自分が苦手としてきた急性期やICUなどの集中治療について勉強し直しております。
聴診器とエコーだけで診断して、リュックサックに入るだけの医療機
奄美大島で「お産がとれる家庭医」になるために産婦人科医をやめます
お知らせです。
約3年半産婦人科医として働かせていただきました。
4月からはもともとの目標だった「お産がとれる家庭医 rural GP obstetrician」になるために、このまま鹿児島県立大島病院での総合診療プログラムに進みます。
ただ、やり残した宿泊型の産後ケアや産婦人科オンラインの導入などのプロジェクトもあるため
これからも、奄美の周産期を裏方として支え続けたいと思います。
4
宇宙飛行士試験に落ちました〜究極のへき地医療は宇宙医療だ〜
こんにちは!奄美大島でお産がとれる家庭医(へき地総合診療医)を目指して修行中のことくと申します!
表題にある通り、ことくは宇宙飛行士試験に落ちました。
落ちるどころか、書類審査で箸にも棒にも引っ掛かりませんでした。
なんとなく最近気持ちの整理がついたため記事を書いておこうと思いました。
そもそも何で離島の産婦人科医が宇宙を目指すのか?
単純に宇宙が魅力的すぎるからです。
だって、このポ
かつての「とりあげ婆さん」から学ぶ「お産がとれる家庭医」への道〜離島に産声を戻すには〜
90歳の入院しているお婆ちゃんが赤ちゃんが生まれると「おや、赤ちゃんの声が聞こえるね。男の子かな?」といつも赤ちゃんの声に耳を澄ませていました。
看護師さんが「遠いのに、よく聞こえますね!?」と聞くと
「私もね、近所の子供とか、息子、親戚の子を取り上げてたのよ」
「あら、産婆さんだったんですか?」
「いんや、あの頃は産婆さんに払うお金もなかったから、地域のお産は地元の私たちみたいなのがとっ
僕たち産婦人科医や助産師は妊婦さんの代わりにこの10ヶ月というフルマラソンを走ることはできない。それでも。。
はてさて、ことくはいつの間にか30歳になりました。(11月11日はポッキーの日で、ことくの誕生日でもあります!ポッキーありがとうございます!←)
24歳で「Dr.コトーに俺はなる!」と東京を出て縁もゆかりもない鹿児島に来てから、いつの間にか6年が経過していました。
こちらは香港でルフィのコスプレをした時の写真です。懐かしい。10年前。。若い。。
「離島医療楽しい、離島医療楽しいよ、はあはあ」
離島で安心して妊婦さんが子供を産み育てていくために僕たちができることは~僕たちの島が始めた3つの新しい取り組み~
お久しぶりです!妊婦から、子供、お年寄りまでみれる「一家に一台置いときたくなる家庭医」を目指して鹿児島のとある離島で産婦人科をしています。コトクと申します!
最終投稿からいつの間にか4ヶ月が過ぎてしまいました。
というのも、同僚が異動になり、5月から自分が産科の責任者を任されるようになりました。
「この島の妊婦さんとお腹の中の赤ちゃんの命運を自分が背負っている」
という責任感で少し押しつぶ