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フッ軽→衝動的
初対面の人と話せる→距離感バグ
【仮説】自分の優先度が低いと人に不寛容になる?
私はバスに乗る機会が多い。それも、病院や公共施設を通る便に。
いかに私が困難を抱えていようと、座りたくても座れない!ということは往々にしてある。席が空いていたとしてもどんどん「譲るべき人」が載ってくるので座りづらい。そのような状態が毎日続くとどうしてもイライラしてしまう。
高齢者。身障者。ヘルプマーク。手帳。これに該当する人ばかりで訳が分からないのだ。私だってしんどい。あの人もきっとしんどい。そん
なんとも思わないことをなんとも思わないままに留めるって大事かも 人の声に惑わされて何か思おうとしなくていい
noteって大体が日記だから、そこに答えや学びを求めると失敗するんですよね。私は、ですが。
その他ネット上のコンテンツも同じで、どんなに素晴らしくても本の方がいいなあと思ったり。まず本になっていることがすごい。校正も通っていて。(通った上でこれ?というものもたまにあるけど)
不快の快/苦しいは気持ちいい
誰かを批判する意図はないし、全て内省だけど他の方も思い当たる部分があるんじゃないかな?とは思う。
最近思うこと。苦しいは気持ちいい。
これは、苦しさを免罪符にして愉快になっていいという意味ではない。文字通りというか、苦しさには一種気持ちよさが伴うと私は思う。
私が気持ちよさを感じるのは、
疲れているのに歩き続けている時
愚痴をバーッと吐いている時
ずっとスマホをいじっている時 など。
やめ
「診断済ADHDです」ってなんだよ
昨今、発達障害ブームが巻き起こっている。
「○○かも……」とか「たぶんそうだと思います」に苛立つのはわかるが、「診断済」ってなんだ?と私は思う。
診断書を出す時に"都合上"書くのならわかる。しかし、
--(ここから先には私見が含まれています)--
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ただ病院に行って、多少検査なんかもしたりするんだろうが、「あなたはADHDです」なんて言い切る医者がいたらそれはヤブだろう、と思う
「在宅ワーク」とタグのついた求人に問い合せたところ「行っておりません」とのことでした
よく頭に浮かぶコント
最悪のパロディ
「先生が言うにはな、うちは双極性障害かもしらんねん」「なんや大変やないか」
「そんでもな、そうとも限らんらしいのよ」「ほう」
「双極性障害とは限らんけど、双極性があるらしいねん」「それの何が違うの。『双極性がある障害』で双極性障害とちゃうんかいな。ほな双極性障害で決まりやないか」
「ちゃうらしいねん」「何が違うねん」
「症状はめちゃくちゃ似てる」「ほな双極性障害でええやないか。
えっと、(もっと楽しいことを書いたら?と脳内の誰かに言われた)、たのしい気持ちのときはSNSやりたくないかも
「ボディソープを付けるだけで体が綺麗になるわけがなかろう」と思っている話
毎度毎度同じことについて考えている。
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私は綺麗とか、汚いということがよく分からない。
食べ物の匂いが変だとか服にゴミがついているということなら分かるが、お皿が綺麗に洗えているかということについてはかなり自信が無い。あと体が清潔かどうか。
清潔について、昔は体を洗えば綺麗になるということが理解出来なかった。(本当のことを言うと今も)
幼い頃、親と風呂に入っていたころ。
父親はタオルでゴ
集中しすぎというよりは自分の中の「区切り」までその場を離れられない。
こだわりもあるけど、一度離れると集中力がなかなか戻ってこないから一息にやってしまう方がいい。そして2時間3時間経つ。
ってそれは過集中やないかい。
いつかの寛解を夢見て眠る
再編
高校生なんて、ほとんど"物心つき始めた"ぐらいだと思っている
その時からずっとこういうねじれた感情と一緒にいたから、何が普通なのか、何が正常な状態なのか分からない
人が憎いし、だけど、それを必死に隠している
頭の中でよく、もっと頑張れとか病気を受け入れて努力しろとか言われるのだが、時折知り合いの姿を借りてくるのがズルい
余計に人を憎む羽目になる
そして、他責思考の人はうつじゃないと誰か