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22歳の私が過ごした、韓国での夏

大学4年生の夏休み、私は1ヶ月間を韓国という国で過ごした。

そのころは、今とは違ったいわゆる「韓流ブーム」というのがあり、見事にハマった私は韓国映画から始まり、俳優、アーティスト、食べ物、美容・・・あらゆるものが好きになり、遂には大学で、履修する必要のない韓国語の授業をとり、何よりも熱心に勉強した。

就職先も決まり、もう今しかない、と思った私は、韓国の大学で開催されているサマースクールに参加することにした。何度か旅行では行ったことがあった国ではあったけれど、1ヶ月という期間を異国で過ごすということ自体が初めてで、ものすごくドキドキしていたことを覚えている。

何の偏見も、何の思い込みもない、まっさらな状態で過ごした韓国での日々は、本当に素晴らしいものだった。

現地の大学生たちが、空港まで迎えに来てくれた。いわゆる「留学生向けボランティア」というようなものだろうか。寮の使い方、インターネットの接続方法、コンビニの場所。全部教えてくれた。

本当に、ほとんど毎日のように、授業後はどこかへ遊びに連れて行ってくれた。スイーツを食べに行ったり、お洋服やコスメを買いに行ったりした。眠らない夜の街を歩き、雨の日にはチヂミを食べマッコリで乾杯するんだよ、と教えてくれた。有名なデートスポットにも連れて行ってくれた。少し韓国語が上達すると、赤ちゃんが立った!とでも言わんばかりに、褒めてくれた。

とてもよくしてくれた現地の学生の子たちはみんな、勉強熱心で、恋愛熱心でもあった。日本よりも激しい受験戦争に立ち向かい、英語能力が大学の卒業要件に指定されているからか、とても綺麗な英語を流暢に喋っていた。そして、みんなとても熱い恋愛をしていた。カカオトーク(LINEのようなもの)では秒単位でやり取りをし(しかも、「好きだよ」「私も」みたいなサイコーなやつをエンドレス)、でも勉強もし、そして私の前で冷麺をすすっているのだから、どれだけエネルギーを持っているのだろうか、と感心した。

ある日、たまたまサッカーの日韓試合が行われることを知り、お世話してくれていた韓国の学生たちと一緒に、スポーツバーで観戦することになった。お酒も入り、それぞれがそれぞれの国を応援しつつも、和やかに楽しく観戦をした。

試合も終わりかけの頃、私がトイレに行こうと席を立ち、女子トイレに入った瞬間、おそらく同じ店内で試合を観ていたであろう女性から、ものすごい剣幕で暴言を吐かれた。いや、韓国語をそこまで聞き取れないから、何を言っているかはわからなかったけれど、語気が強かったからそれなりの暴言だったのだろうとは推測した。

様子がおかしいことに気づいた韓国人の友人がトイレに来て、同じくらい強い語気で、女性に何かを言い返した。何度かラリーが繰り返された後、女性は出て行った。私は、何もわからず、呆然と立ちすくみ、友人に韓国語で「ありがとう」とだけ言った。

その女性がどんなことを言っていたのか、わからない。わからないけれど、何にも推測できないのかと言われれば、そうでもない。でも、本当のことはわからないから、ここには書かない。

なんせ、私たちは、今を生きている。私に何かを言ってきた女性に対して、怒りや悲しみは、全くと言っていいほど感じなかった。ただただ、わからなかっただけだ。言葉ができたら、と強く思った。話を聞きたかった。何を思ったのか、どうしてそのような感情を覚えたのか、何を言いたかったのか、知りたかった。できれば、話し合いもしたかった。

私が生きている時代は今であることに変わりはなくて、私を最高にあたたかく迎え、本当の友人として日々を過ごしてくれた韓国のみんなを嫌いになったり、恨むことなんて、絶対にない。それくらい、人生の中でも光り輝く1ヶ月だった。それをくれたのは、韓国に住む彼女たちだったから。あの夏のことは、私の人生の中で、絶対に消えることはない。

エンタメ文化も、美味しい料理も、コスメも、全部大好きだ。せっかくのこの気持ちをなくすことは、絶対にしない。

どうか、まっさらな気持ちで人を想うことを、大切にできますように。
自分の目で見て、耳で聞き、心で感じることを、信じきれますように。
自分の言葉で話す力を、持てますように。

時々見返すあの夏の写真たちは、そんなことを思わせてくれる。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。