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映画『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』をみる。

煽て上げるだけが「ドキュメンタリー映画」ではない。

例えば「プロフェッショナル 仕事の流儀」で描かれた庵野秀明は果たして、本来の庵野秀明の姿だったのだろうか。何かそれらしい筋書きあるいはパブリックイメージの元で、ある種「予定調和」的側面を多分に含むドキュメンタリーだったのではないか。関係者へのインタビューを重ねれば重ねるほど、架空の庵野秀明「像」をますます肥大させてしまってはいなかったか。

ボウイ本人への直接インタビューと、観客に向けられたマイクの音声のみを頼りに編み上げられた135分間はあまりに抽象的で、終始哲学的。あるいはコラージュ的と表現した方が適切かもわからない。少なくとも『Blackstar』を契機に彼の世界へのめり込んだ「初見さん」には到底おすすめできない。正直、訳がわからなくなると思います。彼の本質的魅力はそこにあって。

時系列もバラバラ。バイオグラフィは既にご存知ですよね、ディスコグラフィには一通り目を通してから劇場へお越しですよね。冒頭のライブシーンでギター弾いてたの、あれジェフ・ベックでしたけどまさかご存知ないなんてことは。やに喧嘩腰、だがそこが良い。主宰はまんまと物販の大行列へと吸い込まれ、人生初となるDolby Atmos鑑賞を彼に捧げてきました。

映画『COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック』でもみせた監督ブレッド・モーゲンの独創的な映像美が寸分の狂いなくピタりとハマった印象。インタビュー記事が掲載されているミュージック・マガジン4月号は是非一度ファンならお手に取って下さい。135分という短い時間ではとても彼の半生を説明し切れない、それでもなんとか「表現」し観客に「体験」として届けたい。

自身もまた心臓の病で生死の淵を彷徨い、また愛娘の誕生日はボウイと同日だったことも鑑賞後、大きな余韻を生みました。彼をもってしても描き切れなかった00年代以降のボウイ像にすら思い馳せるこれまでにない映像体験、劇場でこそ触れられる世界観がそこにはあって。その立役者は言わずもがな音楽監督トニー・ヴィスコンティの存在、まさしくDolby Atmosの真骨頂。

YouTubeに転がっている「過去」のボウイを、当時の姿そのままに音楽表現として新たにファンに指し示すこと。古き良き時代を懐かしむのではなく、今あるべき姿として映し出す。陳腐な響きかもわかりませんが確実にボウイは今も生き続け観衆に語り掛け続けている。あくまで抽象的に、哲学的に。「Hello Space Boy」が劇場にこだました瞬間の鳥肌は、一生忘れられない。

上映後グッズコーナーには黒星に身を包んだ紳士淑女が長蛇の列を成した。彼の死から7年。未だに現実を受け止め切れずにいるファンの多くはエンドロールで彼が優しく温かく投げ掛けた「Good bye」の一言を忘れられずに、一分一秒でも長く彼と時間を過ごしたい、どうか本当に嘘であって欲しい。そんな願いにも似た感情だったように見受けられました。

「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」ヨハネによる福音書11章25節以下はこう語ります。もっともボウイは遺言書で、自分の体はバリ島に移送し仏教の儀式に則り火葬して欲しい、そう口にしていたようですからキリスト教の教えも虚しく響くだけ。最期までミステリアスに自分軸を貫いた名手です。


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