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脱学校的人間(新編集版)〈61〉

 ハンナ・アレントは、「労働の活動力から人間の社会性が生まれるが、それは人間の社会的な平等によるものではなく、むしろ『同一性(セイムネス)』に依存している」(※1)というようなことを言っている。そしてそのような、「労働の社会的活動力が依存する、人間の同一性」とは何かというと、要するに「全ての人間が社会的な生産活動力として同一に機能すること、あるいはその機能としての同一性」だと言えるだろう。
 社会的人間が従事することとなる、現実の労働環境である工場や会社などといった社会的な組織体というものは、「さまざまな技能と職業の、目的ある結合から生まれるものではなく、基本的にその組織体には、『全て同一の個体』が集合するものとされることから生じる、ある共同性」(※2)にもとづいて構築されているものと考えられる。転じて言えば、そのような社会的組織体構築の前提として「全ての人間が同一であること」が要求されているわけである。

 アレントによれば、たとえば公的あるいは社会的に要請されている「平等」というものはどれも、「必ず互いに等しくはない者の間で形成されることになる平等を言うであり、そのように互いに等しくないからこそ、これらの人々はある点で、あるいはまた何か特定の目的のために、『平等化される』必要がある」という(※3)。ここで「ある点において、または特定の目的のために」というように指摘されているのは重要なことである。逆に言えば、「それ以外の点においては」ことさらに平等である必要はないし、ましてや「同一である必要」もない、というわけだ。
 一方で、一つの生産環境に集められた労働の活動力、すなわち一般的労働力の現勢的な具現体である個々の労働者たちは、「個体としては基本的に全て同一である」ということを、集合させられたその最初の時点から要求されている。なぜそれが「要求されているのか?」と言えば、それは彼らには「最初から目的が設定されている」からであり、「その目的のために集合させられている」ばかりでなく、「その目的ただ一点のために存在させられている」とさえ言えるからである。
 まず彼ら個々の労働者は、一般的な労働力が現実の生産手段として具現化されたところの、現実的な労働の活動力である。その力を、自身が意図する特定の目的のために、独占的に使用することができる者すなわち産業資本の、その独占的に有している富をさらに増大させることを唯一の目的とした、具体的な生産活動の生産手段として実際に独占的に使用されることとなる。その個別の生産過程において、しかしその過程のどこにおいてでも「同一あるいは同程度に機能する生産力」であるように要求された上で、その使用者の下に集約された労働力すなわち労働者たる諸個人は、ゆえに基本的には全て同一に機能しうる個体であることを前提として集合させられている、というわけである。
 ただしここで注意しておきたいのは、労働の活動力として集合させられた彼ら労働者諸個人は、「そもそもそれ以前から互いに同一であったから、そこに集合させられることになった」というよりも、むしろ「そこに集合させられることによって、そこではじめて互いに同一化されることとなった」のだ、というようにも考えられるところである。そしてここでは、本来はフェイズの異なるはずの、「そもそも等しくない者同士の集合」としての社会的な平等が、そのような労働力の「集合のさせ方」について、ある意味一つのアリバイとして機能することにもなっていると考えられる。
 彼ら労働者諸個人は、それまではそれぞれバラバラで自由な個人であったわけなのだが、しかし労働の活動力として具体的に自らを機能させるべく、「その特定の目的のために、自ら進んで」一つの生産過程の下に集合し、「その機能としての統一性という点において、自ら進んで」互いに同一化しているのだ、というように、ここではその労働力の集合と同一化があたかも不可避であったかのような弁明あるいは方便として、本来は筋の違うはずの「平等」という概念が便利に持ち出されてきている、というわけである。
 また、この「平等という、等しくない者同士の集合」というあり方は、後には各々の「労働力としての価値」として、個々の労働者にはね返ってくるものとなる。
 「生産手段として同一に機能すること」という、一つの「平等な基準」の下に集合させられた労働者たちは、最終的には「そもそも等しくない者同士」の間において生じていた「個々のちょっとの違い」に応じて、それぞれの「商品としての労働力」の価値=価格に、彼らからしてみれば「筋違いな理由」を根拠にして、自分としては身に覚えのない差額をつけられる、ということになる。そしてその根拠というのは結局、彼らが「それなりに平等に扱われていた」という事実の下に置かれているわけだから、そこで彼ら労働者諸個人は、ある意味弱みを握られてしまっているようなものでもある。ゆえに彼らとしてもその処遇に対しては、そうそう一方的に文句をつけてきはしないだろうと踏んだ上で、彼らの力の使用者側も安んじてこの挙に及んでいるわけだ。「お前たちは最初からそれを承知の上で、それに同意してここに集まってきたのだろう?」と言われてしまえば、いっさいの話はそれで終わってしまう。それはその通りだというのは、やはりそれなりに確かなことではあるのだから。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「人間の条件」
※2 アレント「人間の条件」
※3 アレント「人間の条件」


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