見出し画像

自分らしく生きる為に、『他者に貢献する人生』を選んだ話。

今回、医療の業界で作業療法士として活躍されている『渡嘉敷 淳』さんに『あなたにしか話せない話』を聞かせて頂きました。

渡嘉敷さんにインタビューの依頼をした時、彼は『僕の人生なんか普通な人生すぎて、何も無いですよ』と何度も私に説きました。

しかし、私は渡嘉敷さんにインタビューが出来て良かったと思っています。

なぜなら、私がこのインタビュー企画を通して一番出会いたかった『本当に必要な仕事をしている労働者』だったからです。

コロナ禍の2020年に出版された『ブルシット・ジョブ -クソどうでもいい仕事の理論-』という名著があります。
この本はビジネスリーダー1万人が選ぶベストビジネス書に選ばれ、『本当の意味での労働とは何なのか?』を説いた本で一時話題となりました。

私は渡嘉敷さんのインタビューを通して、この「労働」について、改めて考える機会を与えられました。


人の悪口を聞いた事が無い家庭で育った。

お話は、渡嘉敷さんの基礎を作った幼少期の話から始めたいと思います。

渡嘉敷さんは、良い意味でも、悪い意味でも、従順な子供だったそうです。
親の言う事を素直に聞き、決してわがままを言わず、自分以外の他者の事を常に気にかけていました。
おねだりもしない。自分の意見も言わない子でした。

そんな渡嘉敷さんの父親は、大変おおらかで、誰に対しても悪口を言わない人でした。
家では仕事の愚痴も家族の不満も一度も聞いた事が無かったそうです。

父親は平和主義者で、他者と揉めるくらいなら自分の意見を譲歩してでも相手に合わせる性格でした。
そして、その父親の性格をかなり受け継いでいると、渡嘉敷さんは話してくれました。

母親は、お洒落をする事が大好きで、服にこだわりがありました。
また、母親は大変人懐っこい性格で、他者をもてなす事が大好きな人でした。
母親の社交的な性格のせいか、家にはいつも母親の友達が集まっていたそうです。

そんな『誰かに何かをしてあげる事が好き』だった母親の影響もあり、渡嘉敷さんも『人に何かをしてあげる事が好き』と話してくれました。


努力の初期衝動は、『他者のため』。

少年時代はサッカーが大好きで、小学校では地元の選抜チームにも選ばれるほどの腕前でした。
高校でも上級生の中に混じってスタメンでの出場を果たします。

しかし、そこで歯がゆい経験もします。
それは『自分の足が遅い』と言うコンプレックスが露呈した事でした。

サッカー部では、ディフェンスを任されていた渡嘉敷さんでしたが、対峙したフォワード選手にスピードで抜かれる事が多々あり人生で初めて『悔しさ』を覚えました。

実は、中学までは特に努力をせずとも、遊びの延長でそれなりにサッカーが上手に出来ていました。
しかし、高校からは、『努力しないと他者に貢献できない』と身をもって感じる事が増えました。

悔しさを覚えた渡嘉敷少年は、朝には誰よりも早く来て朝練をして、夜には誰よりも遅く居残り練習をして、コツコツと努力を積み重ねました。

渡嘉敷さんにとって努力のキッカケが、『自分の為』ではなく、『他者の為』である事。
『部活仲間のために貢献したい』という強い思いから生まれている事に、渡嘉敷さんらしさを感じました。


医療という場所に、『自分の存在価値』。

渡嘉敷さんの母親には、もともと小児麻痺があり、渡嘉敷さんが高校を卒業する頃には杖をつかなければ歩行が難しい状態でした。

母親が病院に通う頻度も多くなり、その経験から家族全体が医療の大切さを痛感していた時期に、渡嘉敷さんは『エッセンシャル・ワーカー』の道を志すことになります。

そして、今の職業である作業療法士を選んだのも、母親をサポートしてくれた当時の医療従事者の影響もあったと話してくれました。

『作業療法士』とは、医療の中でもリハビリテーションの分野における専門職の一つです。
病気や怪我で、日常生活・社会生活が困難になった方が復帰できるようリハビリを行う役割を持った職業で、体の運動機能や認知機能の改善だけでなく、精神面に困難がある方にも専門的なサポートを行います。

「他者のために貢献したい」と願う渡嘉敷さんにとって、作業療法士という職は、自分がこの世に生まれてきた責務とも感じる職種でした。


患者の役に立てていない現実が辛い。

渡嘉敷さんは就職後、様々な現実と向き合うことになります。
医療は決して甘くない現場であり、挫折を味わう事も増えていきます。

新人時代、自身の技術や、未熟な経験値では、患者の症状を改善する事が出来ない事例をいくつか経験します。
結果、『患者の役に立てていない』と感じる事があり、暗い気持ちになる事も多々あったそうです。

しかし、渡嘉敷さんは諦めることなく『患者の役に立つため』自ら勉強し、努力を重ねます。
それは高校生の部活で朝練と居残り練習を重ねた時と同じように「他者のために貢献したい」という気持ちが渡嘉敷さんを動かしました。


能力によって変わる『改善の幅』。

病気や怪我で脳を損傷すると、多くが麻痺の障害が残ってしまうそうです。
麻痺が残った結果、食事が自分で食べられない、トイレに行けないなど、一人での生活が難しいケースが多く発生するそうです。

そんな患者の社会復帰に向けて、様々なサポートをしていくのが作業療法士の仕事なのですが、作業療法士の中でも特に熟練した技術を持ったスペシャリストが施術すると、改善する幅が全く違う結果を生むそうです。

例えば、手の麻痺がある患者に対して、一般的な技術を持った作業療法士がリハビリすると、コップを掴むまでが改善の限界だったとした場合、作業療法士のスペシャリストが患者をリハビリすると、コップだけで無くお箸まで動かせるようになるといった事例が実際にあるそうです。


作業療法士として、患者の未来を明るくしたい。

作業療法士の技術レベルによって患者の回復する余地が異なる事を実感し、渡嘉敷さんはより一層『他者の貢献の為に』作業療法士としての学びを深めます。

具体的には、作業療法士の中でも超一流と言われるスペシャリストの所に教えを乞うために、渡嘉敷さんが住む神奈川から遠く離れた山梨まで毎週1回仕事後に通い、作業療法士としての技術向上に励みました。

他では治らなかった症状を的確に治療し、患者の人生をも変える施術を体験し、実際にその技術を伝承して頂けた事は『他者に貢献したい』という渡嘉敷さんの願いを叶えてくれる人生の師匠であり恩人とも言える存在ともなりました。


自分は、自分の人生を生きているのか?

こうして作業療法士のスペシャリストに技術を伝承して頂き、確実に出来る事が増えている事に『仕事のやりがい』を覚えながら、今も医療の現場で作業療法士として毎日患者と向き合っています。

ただ、正直、母親の影響で自身がファション好きだった事もありアパレル業界に憧れたり、大企業で華やかな仕事をして、キラキラした生活を送っている同級生などを見ると、自分もそういう人生を歩んでみたかったなと思う事もあったそうです。

そして『自分は、自分の人生を生きていないのでは無いか?』と悩んだ時期もあったそうです。

しかし、その気持ちは時間が緩和してくれ、今は『人は人、自分は自分』と割り切って、自分の職務を全うする事に集中していると話てくれました。


作業療法士は、患者の最後の砦。

お医者さんが、手術して治療しただけでは社会復帰できない。自分達(作業療法士)が何とかしてあげられないと、本来の意味での社会復帰はできない。
『そして、その自分達(作業療法士)の能力によって、患者さんのその後の人生が変わってしまう。
『だから、自分が担当した患者さんに最良のリハビリをしてあげたい。
『その為に、たくさん引き出しを持たなければいけない。Aがダメだった時にB、そしてC、と臨機応変に対応できるようにならなければいけない。自分たちが最後の砦。
渡嘉敷さんは、最後にそう強く自分の思いを話してくれました。

人のためにしている事が周り回って、自分のためになる。という話を聞いた事がありますが、渡嘉敷さんの人生はまさにその典型例なのかも知れません。

渡嘉敷さんがインタビュー前に何度も私に説いた『キラキラした人生』とは違うのかも知れません。
しかし、渡嘉敷さんの人生は、人の温もりを感じる『物語が生まれる人生』を歩んでいるように思えました。

編集後記
渡嘉敷さんのお話を読んであなたは何を考えましたか?

きっと、渡嘉敷さんはこれからも、医療の現場で人々の役に立ち、社会に貢献することを願い続けるでしょう。
そして、そのために努力を惜しまないでしょう。

渡嘉敷さんが大切にしているのは『自分と関わる人々が幸せになる』ことなのかも知れません。

そして、自分の力で何かを成し遂げることよりも、他者の笑顔を見ることが何よりもの生き甲斐だと渡嘉敷さんは感じているようにも思えました。

私は、渡嘉敷さんみたいな人物が、もっとスポットライトが当たる世の中を望みます。

様々な欲が渦巻くこの世の中で、私達は『他者をケアする』という心をもっと大切にしなければいけないのかもしれません。

最後に、渡嘉敷さんのような「エッセンシャルワーカー」に最大のリスペクトを送り、この文章が誰かの何かの役に立つ事を願っています。

コウヤ シンゴ


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?