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(6) ある社会科教師の、ちっぽけな改革(2023.8改)

連休が終わる頃、ちょうど田植えが終わる。そしてモリの本業である、授業が再開する。授業と言ってもオンライン形式であり、モリは教科主任ではないので、学校への出勤は月に1度位だ。

ネット越しに生徒達の顔を一覧を見ていると、授業の反応が確認しづらい。 自宅での受講経験がモリ自身に無いので想像するしかないのだが、惰性で仕方なく受講しているのではないかと思う。授業を期待している生徒が何人いるのか?と他人行儀に考えてから、「それじゃあ、イカンだろう」と思い直す。        
期待していなかった授業が「面白かった」と思われる内容にしなければいけないと、アレコレ策を巡らす。   
生徒の学習意欲を掻き立てるキッカケとなるような授業を届けようと、からっぽの頭を振ってみたり絞ったりして、考える。

モリが担当する社会科は、授業がパターン化しやすくなると一般的に思われている。その代表格は歴史だろう。暗記が大半を占め、詰め込み型教科の代表のような捉え方がされている。

モリの学生時代の歴史の授業もそうだった。
教科書に記載されているのに、教師がひたすら板書して、生徒が必死にノートに書く。
「書き終わったかぁ?じゃあ、こっち半分は消すぞお」と言って黒板の半分を消す。
コピー機が世に出たので、もうあんな授業も無くなっただろうとモリが思っていたら、同僚の教師たちが未だにそんな授業をしているので、もの凄く驚いた。   
「おいおい、あれから何年経った?まるでおんなじ清書の時間。社会科じゃなくて国語の授業かよ」と頭を抱えていた。社会科教諭は全く進化していなかったのだ。
教師たちが学生時代に受けた授業を、何の疑いもせずに生徒に押し付ける。   
これで社会科好きの生徒を増やし、伸ばせると思ってるのだろうか?と考えると、限りなく「ありえない」と悟った。

「高校、大学の入試対象の教科になっているので、仕方なく暗記する」社会科はそんなポジションの教科になってしまっている、と憂いていた。

一方で、歴史好きな人、地図好きな人という方々が一定数居る。そんな知的な方々に、社会科という教科は支えられているのかもしれない。
何気に多数生息している歴女、地理女の存在が、男性社会科教諭の妄想を掻き立てている・・のかもしれない。       

・・話をやや戻すが、歴史も地理も、日中欧州の戦国武将や王族、道路地図や世界地図に人気が偏っているのが実態だと捉えている。一定の客層がいるので、視聴率も稼げるし、予算化して番組制作をするのだろう。
戦国武将の戦記物が大河ドラマとして視聴率を上げ、戦いに勝ち続ける武将が主人公に選ばれる。信長、秀吉、家康、謙信、信玄を主人公や題材とした創作小説・漫画も無限に創作され、生み出されている。

歴史小説の大家と呼ばれる作家たちの作品でも、戦記物が主流となっている。     
著名な武将が英傑としてチヤホヤ取り上げられる一方で、自領の民衆をどう統治していたのか、民衆の殿様の支持率はどの程度のものだったのか、民衆の視点で見ると殿様は紛う事なく英傑だったと言えるのか?と、政治家としての殿様の一面を描いた作品は「売れない、流行らない、極めて少数派」の3本立てとなる。     
仮に小説となっても読者ウケはしない。売れるためなら無難な戦記モノか、脱線フィクションモノばかりとなる。

現代人が戦国時代と現代を行き来したり、未来人が宇宙船ごと戦国時代にタイムスリップして、未来のテクノロジーを得た織田家が尾張の周辺で無双したりする。まぁ、気軽な読み物で面白いのだが・・。        

地理であれば、乾燥パンパだ、ツンドラ気候だと、やはり暗記を強いられるのだが、本来の地理とは、その地域には人口が何人いて、昔から現代までの人口数がどう増減したのか? 民衆がどんな職に就いて生計を立て、その土地で何を食べて生活しているのか、地域の食事や医療の状況から、平均寿命はどの位なのか、といった生徒がイメージ出来る内容なのだが、授業ではそこまで行なわれない。いちいち深掘りしていたら時間も掛かるし、教科書の範囲も終わらないからだ。

それでもモリは月に1度は、そんな授業を実践して生徒の考えるチカラを育てている。

社会科という教科が、実はヒトが生活する上で参考になる情報が盛り込まれた役立つ教科、魔法で言ったら生活魔法に当たるのだと知って欲しかった。(中1には分かって貰いやすい表現・・)

歴史と地理を正しく理解してもらい、暗記という最終手段にいきなり走るのではなく、事件や物事の結末が何故そうなったのか?時代背景や地理的な特性などの情報から、己の思慮・思考を磨き、一般的な知識の一つとして習得するには最良の教科なのだと分かって欲しかった。 

地上の社会を構成しているのは人間、大多数を占める民衆だ。しかしながら、社会科の授業では多数派の一般大衆が取り上げられるケースは極めて稀だ。例えば、江戸で幕府を構えて、江戸が世界一の人口都市となった。それ故に家康が先見の明がある人物で「偉い、凄い」と囃される傾向にある。

しかし現代に転ずると、東京の一極集中問題の原因を作った人物になる。「お前が湿地帯にこんな街を干拓して、城を建てたからだ。東京ゼロメートル地帯って知ってっか?お前がいい加減な工事すっからだよ。海より低いんだぞ、地震来たらどーすんだ?あぁ?責任は取ればいいものではないだと?なんだよ、その言い種は!税金じゃなくてテメエの金で払いやがれ!それが責任の取り方ってもんだ。分かったか!」

勿論、家康だけが悪いのではなく、明治政府が東京を首都と定めて、天皇を連れて来てしまったのも痛かった。天皇行幸前の江戸城明け渡しの際の江戸は酷かった。江戸の人口は半分以下の50万人に減り、官軍の薩長軍が追い剥ぎ強盗強姦の主犯となり、江戸の街をマッドマックス化状態に落とし入れた。この恫喝を繰り返しながら「無血開城」を言い張った。
西郷と勝海舟の成果と誇張されているが、薩長軍は江戸の街と民衆を制圧対象として蹂躙した事実は、教科書から一切省かれている。

家康の直系ではないとはいえ、慶喜が薩長のバックにいた英国の影に必要以上に怯えて敗退と逃走を重ねなければ、幕府はフランスと手を組むなりして勝っていたかもしれない。結局、完全制圧が主目的となり、会津藩をはじめとする東北各所と五稜郭での戦いは、一方的な殺戮で幕を閉じる。

日本の再スタート期にも関わらず無駄に多くの血を流しすぎた。所詮、水戸の世間知らずのボンボンには荷の重い職だった。はっきり言って、幕府の人選ミスだ。 大政奉還を突然発して逃げるのもマヌケなら、先読みして天皇と公家と手打ちして幕府のポジションを金で買っておけば良かったのだ。幕府陣営に居残られたら薩長のポジションは無くなるのが分かっていたから、徹底的に幕府と幕臣を排除する必要があった。薩長は三下公家の珍竹林・五百円札だ。天皇の側近たちをしっかり掴んで、日ノ本を変えるための人材を失ってはならない、俺はどうなっても構わないから、一人でも多くの日本人を新政府で活用すべきだと慶喜は直祖して、戦いを止めるべきだった。愛妾と逃げ回ってばかりいるから、薩長と三下公家に押し切られて、大勢の幕臣とサムライを失ってしまった。歴史の「if」だが長州閥がのさばらなければ満州国も設立されず、A級戦犯の昭和の妖怪が総理にならずに日米安保が形を変え、その孫がアホノミクスで大借金を生み出さなかった、かもしれない。長州がはびこらなければ、日本はもっとマシな国になっていたかもしれない。

悲劇は幕府の幕臣と侍だけに限った話ではない。薩長軍の東北北上に伴って多くの民衆、特に女性は被害に見舞われた。日本人同胞でありながら蝦夷、東国と僻地扱いされ殺戮を容認、主導した西郷某は官軍として上野で銅像になった。後年になって、東北から夜行列車で集団就職で上野駅にやって来た大勢の少年達が降り立つのだが、その集合場所から見えるように西郷像があるのは、あまりにも失礼過ぎると、誰も考えなかったのだろうか・・。

脱線したので若干、話を戻す。

確かに国内を初めて統一した実績を捉えれば、偉業を成し遂げたと賛美されるだろうが、その後が宜しくない。

「将軍が代替わりするたびに徳川家が衰退し、幕府そのものも次第に弱くなり、鎖国と参勤交代のために約260年以上もの間、経済は停滞し、成長しなかった」という歴史の事実は指摘されていない。鎖国令も息子名義で、孫の代で完成しているとはいえ、道筋を作ったのは初代だ。15代目となった幕府の戦闘力はほとんど進化していなかった。英国の武器を薩長軍に提供するだけで、歴史が簡単にひっくり返るレベルまで落ちぶれていたのが、幕府の兵器、武器だった。

信長の時代に伴天連が上陸し、キリスト教の布教が始まっていたのに、家康は信長のようにスペイン人に接触もせず学んだ形跡がない。出島建設にあたって防衛協定をオランダに持ちかけにせず、オランダがキリスト教の布教をしないというただ1点で取引を決めた。オランダは欧州では小国でスペイン、イギリスには劣る国だからこそ、公益の見返りに他国の入国をオランダが阻止するとか、オランダに貿易独占契約の権利を与えて、チラつかせるとか、使い方はいくらでもあっただろうに、出島に娼婦を送り込んだだけだった。初代から三代目まで全く先を通せなかった連中が幕府の未来を決定付けてしまった。そんな人物なのに誰も家康を罵らずに、大権現さまとして日光で奉る。

日本人は何処かズレていると感じるのはオレだけだろうか?家康は秦の始皇帝、チンギス・ハーンと同じ類で「一発屋」「お家崩壊の元凶」でしかないのだが、チンギスハーンの墓はまだ見つかっていないが、きっとあっと驚くものが埋葬されているに違いない。そんな「統一、征服」しか視野になかった連中と同じ穴のムジナなのに、家康は英雄のように持ち上げられ続けている。後世の人間から見れば政治家としての家康の実績は殆ど無い。実権を握って太閤となった秀吉は朝鮮出兵して、実績ゼロから、どマイナスに没落したが、そこは日本の政治家とも相通ずるものがある。

選挙特番で当選した人に嬉々としてインタビューし、政局の分析をして日本の未来を予測し合うのが、日本のメディアの恒例行事となっている。立候補している現職の政治家の採点や評価は一切しないというのが、日本のメディアのポチっぷりを表していると言える。そもそも実績がある議員が一人も居ない国なので、評価すると全員赤点になってしまう。国会審議は官僚が作成し官僚が回答文書を作成するので、議員の役割は多数決時に手を上げるだけで済む。そんな国なので議員の通信簿なんて番組として成立しない。全議員オール1だ。

それ故に選挙特番の時だけ、盛り上がっているように見せる。何しろ、投票率は世界有数の低さを維持している国だ。政治に関心がある日本人は、極めて少数派なのだ。 

社会科の教師として、このままで良い筈がないとは思っている。教師にだって出来ることはある。大した事ではないかもしれないが、多くの未来ある若者を指導する立場でもある。社会科は歴史と地理だけではない。公民、現代史、政治、経済など、生徒たちは進学しても、社会人になっても学ぶ機会がある学問でもある。

今の内閣、首相や大統領がどんな政策を掲げており、誰の支持を集めているのか、生徒自身に関係する現実問題として捉える機会が、この先何度も訪れる。しかし我が国では選出された議員の評価が殆ど行われていない、のは先に述べた。議員の通信簿が無いので再び、家康に登場いただこう。家康は露出度が高いだけに、個人としての分析は比較的なされている方だと思う。

幼児期に人質となり、今川家と織田家に挟まれて屈折した日々を過ごし、秀吉のイジメに耐えて、秀吉没後は豊臣家への怨念を隠さずに大阪城を2度も包囲し、痛ぶった。そして天下統一を成し遂げる。この激動のストーリーを歩み、達成したので、偉人として評価されるのもよく分かる。もの凄い業績だ。しかし「統一後」は前出したようにトーンダウンしてしまう。将軍となってから、あなたは役職に相応しい存在だったのか?という疑問は残る。なにが言いたいというと将軍となった家康も政治家と一緒で幕臣という官僚に指示するだけの存在だった。今の日本の政治を形作ったのは家康であり、江戸幕府なのだ。薩長政権も官僚依存体質を踏襲し、戦後の政党政治に引き継がれた。

そんな著名な家康であっても、教科書での扱いは僅かなので、家康に比べるとマイナーな日本の偉人は「xxをした人」として注釈程度の説明が小さく付いている程度で、「人と成り」までは深堀りされていない。近代から現代の歴代相も「XX代目」首相として丸暗記させられるが、政権を追われた経緯や背景が記述されても扱いは極めて小さいので、その範疇は成績上位校の入試で出題される位だ。

暗記ありきの学習が基準になってしまうと、十分な考証や時代分析もされる事もなく、理解の幅が極端に限定される。戦国を題材にしたゲームでも、世界転生ものの小説も、武将に成り代わった主人公が活躍する内容が大半を占める。

現代人は歴史の事実「史実」を知っているので、重用する部下や抜擢する若者も名のしれた武将から選択出来る。名参謀、智将で名の知れた黒田官兵衛、竹中半兵衛などは人気も高く、あらゆる大名からひっぱりだことなり、ありえない戦術で敵をバッサバッサと倒してゆく。 ​                      そして、主人公となった転生者は、関ヶ原や長篠で最終決戦に臨む。ゲームと小説のゴールが統一モノが人気を博し、人々に喜ばれるのがよく分かる。

一般大衆にとって最も大事なのは「統一後の日ノ本」なのだが、愚直な領地統治ゲームや転生者の善良な政治による統治を題材にした小説はまず販売しない。人気のある武将が主人公となっても、流行らないと分かっているのだろう。それなら魔王が残虐で非人道的な政治手法を掲げて、民衆からすべてを取り上げる方がまだ売れるかもしれない。

日本の投票率が世界と比べて低くすぎる理由、政治家のレベルが異様に低い背景には、「社会科に限らず全ての教科での丸暗記偏重学習が齎す、思考力、分析力の低下」にあるとモリは捉えている。まがりなりにも、先進国の仲間入りをし、豊かな社会に属する立場に身をおいた日本人は、成り上がり者としての優越感と共に、現状を憂う機会から避けているのかもしれない。実際、政治に向き合おうともしない人々が目立つ。先進国の中でも一番酷い、危機的状態にある国にも関わらず、日本人は声も上げようともしないし、投票にも行かない。この状況を民族的集団思考停止状態にあると呼んでいるのだが、何も考えない民族だと結論づけながらも、まだ変わる余地はあるとも思っている。

モリはオンライン授業用のコンテンツ作成と編集作業を、3人のOGの協力を受けて取り組んでいた。

自分の授業の映像を全てではないが、授業の進捗毎に自撮りしていた。画像を後で見返して、説明内容や表現が分かり易くなっているか、確認するのが目的だった。この動画をそのまま流しても良いのだが、あまりにもイージーで芸がない。  

そこで動画に投稿される可能性を考慮してトークはそのまま活かして、アバターに教師役を担わせて、アバターの背後に補足資料や動画をポップアップ画面として表示させて、オンライン授業用の動画に仕上げた。普段のトークは比較的ゆっくりしたものなので、1.25倍の速さで再生して、短縮してできた10分未満の時間で「今日の深堀りタイム」と称して、人物紹介や国の説明などを新たに撮った。    
オリジナルの授業画像があったから出来たのだが、内容には満足している。また、本人ではなくアバターを登場させたので、ダウンロード可能にして、好きなだけ動画再生出来るようにした。

動画編集に慣れた女子大生トリオの協力も得られたので、完成度は高かった。もし来年もコロナが続くようなら、再利用すれば良いし、好評だったコマは実際の授業で部分的に使っても良い。また、授業放映時間後の質問タイムには教師本人が登場するのだが、先輩ヅラした大学生3人が勝手に教師の背後に登場する。それなりに有名なOGなので困る。脱線するからだ。生徒たちがヘッドホン越しに歓声を上げる。「富山で何してるんですか?」「田植えの動画が見たい」といった本末転倒の質問、リクエストもが殺到する。大抵タイムオーバーの時間切れで、授業が強制終了で終わる。

「先生がITに詳しい理由が、ようやく分かったよ。普通の先生はアバターなんて、使いこなせないよ」

「ポップアップ画面も難なく使いこなしてる。動画の投稿もやりなよ。「ある社会科教師の私見に基づいた歴史講座」なんて受けるんじゃない。学校にバレるのが嫌なら音声を変えればいいんだし」とそれぞれが勝手な事をいう。

「オレはユーチュー()ーにはなれない。そんな時間はない」といいながらも杏と樹里の発言から考えてしまう。

教職員の大半は他業種の経験がない。教員しか経験がないので、通常の授業から逸脱すると、柔軟に対応出来ない事態に直面する傾向がある。

年配の教師にはその傾向が強く、オンライン授業はハードル的には厳しいものがあるかもしれない。しかし学校という組織は熟知しているので、自力で何とかしようと考えずに、学校が用意するであろう完璧で完全なマニュアルを待つだろう、絶対に100%待ちの姿勢に徹するハズだ。

全国的には、PCすら満足に扱えない教師が未だにいて、オンライン授業開始に遅れが出るのは確実とも見られている。文科省に出入りしている業者は余計な作業が増えて四苦八苦していることだろう。
ITに不慣れな教員向けに、パーフェクトガイド的な操作マニュアルから、「オンライン授業のコツ」みたいなガイド資料も用意しなければならないかもしれない。

一方でネットワーク環境が無いご家庭もあるだろうし、全国一律で始めるのは難しいというのも頷ける。
しかしもう半年以上経過している。国会も開かず何やってるんだ?と文句の一つも言いたくなる。国が何も決めようとしないから、教師だけに留まらず、各企業の現場で、ITに明るい人材の負荷負担が高くなるのだろう、悪の根源は日本政府だ・・

「先生は、IT担当には選ばれなかったんですか?」玲子に言われてフト思い出す。

「IT予算を倍にするのなら受け持ってもいい、と教頭に言ったら、それっきりになったっけ・・」と回想しながら言ったら、笑われた。

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モリは他の教師が作成した映像を見ないが、殆どの教諭が同校の名物教諭の映像を確認する。質の高い授業だと教育委員会から評価されているモリの授業を元にして編集しているので、悪いはずがない。アニメーションを多用して視覚的な効果も得られている。同じ社会科の教諭は比較対象となってしまうので、その完成度の違いに項垂れるしかなかった。

「社会科の映像は全部モリ先生が作ればいい」と学校の裏SNSで書き込まれ、賛同者が多数いると、社会科教諭は落ち込むしかなかった。モリの授業動画はダウンロード可能なので校内で勝手に広がっていたので、既にメイン動画になりつつあるのだが。 

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富山新報の記者に野党の富山県連の代表が洩らした話が記事となり、取材要請が他の新聞やテレビ局から来るようになった。

モリも報道されている状況は知っている筈で怒っているのかもしれない。訊ねるどころか、鮎を避けるように動いている。  

オンライン授業用の映像制作を手伝っている3人も、制作の手間を見ていると、選挙活動に割いている時間は殆どなさそうだと言っている。

完全に想定外だった、本格的な起業をしたばかりなので、選挙活動参加は更に難しいと見ていた。選挙参謀としてモリを登用するるもりだったのだが、叶わないとなると、プランそのものが成り立たなくなる。

立候補は断念するしかない、と金森 鮎は諦めかけていた。

(つづく)


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