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うつわマガジン2019

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記事一覧

鶏レバーのムース

鶏レバーのムース

鶏レバーのムースです。昔、研修していたお店で余ったフォアグラのテリーヌに生クリームを足してパルフェに仕立てて、それを絞り袋でパートブリックのコーンに盛り付けていたのですが、その作り方を応用しています。

まずはレバーペーストを作り、そこに生クリームを混ぜるイメージです。レバーペーストの配合もちょっと変えていて、バターの量がずっと少ない割合になっています。

鶏レバー 300g程度
牛乳   125

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愛しの土鍋とオーブンと

愛しの土鍋とオーブンと

ちょっと「土鍋」に恋い焦がれている。

なんの話か。まずは天気だ。今朝カーテンをあけると、外はどんよりと曇りだった。

今週は、南半球の夏空は休業中。太陽は雲隠れし、うっすら肌寒い。秋冬のニットを着て、本日の夕飯に想いを巡らす。お鍋がいい。カセットコンロの上で、くつくつ湯気をのぞかせる土鍋に会いたい。

家には夫が買ってきた、銀色のピカピカした料理人のこだわりだかなんかの両手鍋がある。耐熱性はピカ

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うつわに寄りかかる

うつわに寄りかかる

つかれたら、悲しくなったら、寄りかかりたくなるでしょう。元気なら、愉快なときなら、寄りかかってもらえてうれしいと思うでしょう。

「静かに寄りかかる」30年前、20年前、10年前、5年前と、うつわの存在が良い方向に変わってきている。土鍋の扱かわれかたもどんどん明るい世界に動いている。

小売についてではない。なんとなく、うつわがスポットを浴びてがんばっているなと。一時期のゴールデンエポックには、

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土鍋プリンは12月の足あと

土鍋プリンは12月の足あと

ちいさな影陶芸道において路頭に迷ったり、逆走したり。たくさんのものは手に入らない。けれども、ちいさな影に救われることもあるでしょう。

石畳にうつる影イタリア弟子時代をおもいだせばシャキンとする。

幾度目かの渡航で、帰りのチケットを放棄し、以降ヴィザも切れて、隣国に出国してまた帰国した。帰りのエアチケットすら危い毎日だった。

モバイルフォンもインターネットもない。イタリアにすてきな街はたくさん

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たっぷり「みそ豚汁」からカレースパイスでアレンジまで!

たっぷり「みそ豚汁」からカレースパイスでアレンジまで!

1. コツははないもない、ただ「たっぷり」ね大きなコッチョリーノ土鍋に、白菜をザクザク切って、ニンジンやジャガイモ、冷蔵庫にある野菜を入れちゃえ。豚肉を切って入れ、具材ひたひたになるくらいの水、つまみの塩をしてグツグツ蒸し煮にする。煮えたころにもやしをザバッと入れ、水を足し、再び煮立ったら、みそをとき味を整えるだけ。こんにゃくなんかも欲しかったな。

冷蔵庫にあるものをゴッタ煮にすれば良いのだか

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ちょっとブレイク 企画展「話しているのは誰?」について

ちょっとブレイク 企画展「話しているのは誰?」について

まえがきコッチョリーノ

▶︎久しぶりの「ちょっとブレイク」です。環境がゆるせば ワーグナーの「リエンツィの祈り」を聴きながら読んでいただくと幸いです。▶︎ザザザザとざわめきを感じたら、制作や打ち合わせのはざまにアートや映画鑑賞に突然つっぱしります。▶︎土がついている手をカリカリしながら鑑賞するのも悪くない。▶︎友人とまちあわせてギャラリーや美術館や博物館にいけなくて。友人の展覧会は、広めたいと

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新しい土 「春がくるまでお待ちください」

新しい土 「春がくるまでお待ちください」

昨日は「春がくるまでお待ちください」の手紙に、たくさんのお返事、記事の拡散、読んだよマークをありがとうございました。

微光がさす道

実は、今回の展覧会は、新しい土のデビュを待っていて。ちょうど一年前くらいから土のプロに相談していたもので、希望を伝え、ブレンドをお願いして、サンプルをいくつか焼いてもらっていた。

学生時代は、研究もかねて土づくりもしたが、いま自身の立場としてやるべきことは何

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アルカイックスマイルでいこう「春がくるまでお待ちください」

アルカイックスマイルでいこう「春がくるまでお待ちください」

歩みをとめた「窯のこと」あの日は、電源を入れたとき、窯が咳ばらいしたような気がして。チリチリチリという小石が喉をまわるような。そして最高温という山にのぼりながら、いつも以上に苦しそうに唸っていたように思う。

そして最高温の表示を確認したのち、窯は歩みをとめた。

※「ブログ コッチョリーノ 」から
note用に書きおろした記事です。

手紙をかくように「延期のこと」拝啓

立冬がすぎ、冬の

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「やまもりさま」からわたしへ

「やまもりさま」からわたしへ

やまもりさまの声

おととい、新作がわれた。
かけらなんて拾うからさびしいんだし、どんな意味があったのかなぁ、なんて諸行に理由を求めてしまうからさらに感傷にひたるのだ。継ごう、継ごうよ。

そのひ、かたつむりが眠りについた。
殻の中なんてのぞくからさびしいんだし、雨あがりの早朝、庭のツユクサの足元に、さようならなんて手をあわせるから別れだと思うのだ。またね、と手をふろうよ。

きのう、クルマが動

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とりもどせるものならば

とりもどせるものならば

ひさしぶりに焦げた。
やっぱり、さんまの親なのか。

→こちら「さんまのようにおよぐな」

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われた土鍋

代休なんだかでだらだらしてたさんまの青春が、明日撮影予定だった新作土鍋をわった。わたしは焦げながら、おとな泣きした。

「焼きそば屋も失敗するはずだ」なんて言ってしまった。失敗を失敗で攻撃するのは、さんまの親としていけないとおもうが、仕方のないことだと思えなかった。

撮影は延期だ。

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サンマのようにおよぐな

サンマのようにおよぐな

多くのブースに行列ができ盛りあがる中で、芸祭の焼きそば屋台の鉄板にはカバーがかかり、立ち上がるソースの香りはなかった。

「大雨で上がったりだ、泊まる」という短いメール。息子が芸祭の焼きそば屋の店長だというので、売り上げに貢献しに行くか。いや、親なんて来たら限りなくうっとうしいよね。迷いながらも向かった学園祭。

焼きそばのカケラさえ売っていなかったのは、メンバーの失態で営業停止(卒業生のわた

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土鍋メメント・モリ

土鍋メメント・モリ

「作品は数でなく人よ」
「人と人のつながりなんよ、たまちゃん」

俯瞰できる今になって、視認性をもって正解が見える。作家にとってギャラリーとは売るための場所でなく「親」である。ギャラリーのオーナーを偲びながら、そんなことを考えた。

「親」という字は「位牌」を「見る」という成り立ちをもっている。昨晩の偲ぶ会では、位牌ならぬ作品や作家の周囲にからむ人やものごとを見た。「ほれ、これなんよ」と、しび

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湖と山とパン

湖と山とパン

スイスとフランスの両親をもつ友人マガリーは三日月型の「レマン湖」にとけようとするオレンジ色の空を臨みながら言った。「ジュネーブ湖」とか「ローザンヌ湖」と土地を限定される名前で呼ぶことを望まないの。

あの山が、ほら25年前にいっしょに行った山。語尾をひゅひゅんとあげて彼女がしゃべる。母が住むのはあっち。父が生まれたのはあっち。出会ったのはちょうど真ん中よ。

国境は目には見えない。けれどしゃべる言

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