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ちょっと長めの囀り、あるいは食卓の上の小さな混沌(by四方田犬彦氏)。
知人のFacebookにこんな投稿をした。
「銀座のナイルレストランで『混ぜて食べてください、混ぜたほうが美味しいよ』というウェイターや二代目(ときには初代も)の言葉を無視して、ムルギランチを混ぜずに口に入れていた、そんな丼もの文化に侵されたある関東人は(ぼくのことだけど)底意地の悪いインド人から野蛮人と思われていたか。だが鰻丼でも親子丼でもカレーライスでも、混ぜずに口に入れる口中調味の醍醐味に馴
記憶の縄釣瓶petit: 笠置シヅ子。
朝ドラ『ブギウギ』も終わったようなので、笠置シヅ子について書いておこう。NHK大阪は10年に一度くらい、印象に残る朝ドラを制作する。
テレビ草創期に幼少時を送ったぼくにとって、笠置シヅ子はほんの10年前まで大スターだったなどとはまったく感じられない、ブラウン管でよく目にする明るいおばさんだった。「東京ブギウギ」が終戦直後の大ヒット曲だったことを知るのはもっと後のことだ(*1)。ドラマの最終週では、
記憶の縄釣瓶petit: リチャード・セラの輪っか。
リチャード・セラが亡くなった。85歳だという。ということは1970年、54年前は31歳か。冥福を祈る。すでにどこかに書いた記憶もあるのだが、この機会に改めてアーカイブしておこうと思う。
1970年に東京都美術館で開催された「第10回東京国際美術展(東京ビエンナーレ)『人間と物質』」では、上野公園の遊歩道全てを覆うというクリスト(34)のプロジェクトは実現しなかった。彼は旧東京都美術館の大展示室の床
囀り240328: 薬。
2020〜2023は、体調のさまざまな急変により「薬漬け」の日々だった。
と言っても合法的な「お薬」のことだ、念のため。
医者の指定通りの量や回数は守らなかったが、 50年間「薬」というものを嫌ってほとんど口にしない生活を送ってきたから、そんな自分にしてみればほぼ毎日「薬漬け」だった。日々、なんという「薬」をどれだけ呑んだか記録もつけた。
「薬」というのは、呑んだ自分と呑んでない自分を比べることが
記憶の縄釣瓶petit: わが家のテレビ。
わが家のテレビはたぶん1980年代製の、ブラウン管テレビである。
日本ビクター製、おそらく4代目に当たるかと思う。テレビの下の棚には何枚かのDVDとCDが乱雑に突っ込まれている。DVDプレイヤーはあるがもうずいぶん起動していない。CDプレイヤーはもうない。
このテレビの初代は、1人暮らしをはじめて何年かたったころ買ったものだと思う。そのころテレビの下には、ベータマックスに勝利宣言したばかりの、
記憶の縄釣瓶petit: 相撲中継の音。
大相撲大阪場所が開催されている。
こどもの頃、夏休みに街を歩いていると、密閉性の低い家々(というよりエアコンなどないから風が抜けるようみんな開け放っていたのだが)から、夏の甲子園中継の音が聞こえてきた。相撲中継の音もそんな外を歩いて聞こえてくる音のひとつだった。
内容に興味がなくてもあの音は好きだった。
当然そのころの僕は「巨人・大鵬・卵焼き」(本当は卵焼きよりカレー)だったので、野球といえば王
記憶の縄釣瓶petit: 本の話。
同居人がシラスというサイトで「書棚探訪」というシリーズをやっている。さまざまな人の自宅や仕事場を訪ね書棚を見せてもらい話を聴くというものだ。発想としては30年前によく雑誌で行われていた企画ではある。その中で必ず最後にする質問を彼女は用意していた。「あなたの人生を変えた一冊は?」と「あなたの座右の書は?」というものだ。
彼女は人ん家行ってそんな質問してるのに、同居人の僕にはそんなこと訊いたことがない