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子供と社会を繋ぐ《プラットホームHub 》

前回の記事で、子供たちは“現在の社会”を知る機会が損なわれている事に言及しました(学生教育から社会人へのギャップとミスマッチ)。今回は、子供と社会を繋ぐ相互間情報の発着場≪プラットフォームHub≫の活用を投げ掛けたいと思います。良い言葉が見付からなかったのでこのフレーズを用いますが、他に適当な単語があれば教えて下さい。

「教育の変遷」

まず、昨今の教育の変遷についてご紹介します。2011年頃から文科省を中心に21世紀に相応しい学びとして「教育の情報化」がクローズアップされ、GIGAスクール構想(誰1人取り残さない、1人1台の端末と通信ネットワークを利活用できる環境を整える:ICT教育の整備)と呼ばれる教育指針が生まれました。また、コロナウイルス流行の煽りを受け、新たな教育手段の確立、特にデジタル教育が叫ばれるに至ります。日本の教育は今当に編成期を迎えたといえます。

その中でも目下、進行中のプロジェクトに教育分野のプラットフォーム構築があります。掻い摘んで話すと、教育データを標準化してデジタル情報に落とし込み、これまでの垣根(子供、保護者、教職員、教育関係者、研究機関、民間企業)を越えて連携させる。子供の興味、志向、個性に応じた最適な学びを実現するためのデータ情報共有の場を構築すると共に、学習指導要領にも示されるアクティブラーニング(子供の主体的かつ能動的な学習)の効果的な利活用を目指す試みです。この構想を実現するに当たり7つの施策が検討されていますが、この場では名前だけの紹介に留めておこうと思います。詳細につきましては、「教育データ利活用ロードマップ」並びに「準公共分野のデジタル化(教育)」をご確認頂きますようお願い致します。

【7つの施策】文科省、総務省、デジタル庁、経産省
①「学習eポータル・MEXCBT」
②「学外デジタル教育プラットフォーム」
③「校務支援システム」
④「教育デジタルコンテンツ利活用環境の整備」
⑤「STEAMライブラリ」
⑥「公教育データ・プラットフォーム」
⑦「情報銀行と教育分野のプラットフォーム」

つまり、このプロジェクトは大人(教育関係者、行政機関、民間企業)にとっては臨機応変な教育に繋げる推進材。そして、子供にとってはアクティブラーニングを円滑に行える環境形成を狙っています。

しかし、私はこれらの施策が子供(学習者)のアクティブラーニングの推進に効果的であるかは懐疑的な立場です。なぜかといえば、子供が興味関心、知識探求を拡げる枠組みとしては不十分である点。どちらかといえば、各プラットフォーム上で大人(教育関係者、行政機関、民間企業)が教育データを介して子供にアプローチ(教育的サポート)しやすくすることに軸が置かれているためです。この構想では、プラットフォーム上に教育データ(定性・定量的な加工された情報)をプールする。そこにアクセス権限を持つ者が教育データを活用して子供たちの学びに合わせたサポートを試みる事が形として提案されています。しかし、子供たちの活用面では学習教材のデジタル化、授業のオンライン化、各個人の家庭内環境を反映させた学習環境の最適化に留まります。つまるところ、興味関心、知識探求(あるいはそれを獲得する術)は子供が事前に備わっている事を前提条件に、それらを伸ばせる環境(教育プラットフォーム)を準備しようと話が移っています。

私としては、これは実態には合っていないと言わざるおえません。まして、子供にとって自分の興味関心が社会とどのような関わりを持つかまで結びつけられなければ、どんな学びも社会では無用の長物にしかならないと思います。

「子供と社会を繋ぐ」

私にとって「学びを通して社会を知る」がセオリーです。ここで言う「学び」とは「興味関心の展開」のこと。「社会」とは「自分の活躍の場」つまり、「現在~自身が社会に進出する(進出後も)までの期間に抱く、社会における自分自身の夢、役割、目的」を意味しています。そのためには、第1に自己形成(興味関心、知識探求の発展)、そして自身と社会を結び付けることが必要となります。自己形成も無しに自立した大人へとステップアップすることはありません。今の大人達でさえ、働いてはいるけど自分は何をすれば良いか、もっと活躍したいけど何をすれば良いかと漠然と悩む人は多くいます。私もその中の1人です。

興味関心、知識探求は何もないところからは生まれない、ならば子供たちはどこでその術を獲得するのか。この答えが、今話題に上げた「教育分野のプラットフォーム構築」に潜んでいると感じます。私は8つ目の施策として「プラットフォームHub」が必要と捉えています。

「プラットフォームHub」

「プラットフォームHub」とは何か。それを言い表す表現として、ハブ空港が頭に浮かびました。ハブ空港とは目的地に向かう途中で経由する中継地をさします。例えば、海外から日本を訪れる際に世界各国からの直通路線を確保するとなるとその数は膨大です。他の国々も同様に直通路線を持つとなるといよいよ航空路線は麻痺しかねません。そこで、各地からの乗客、スタッフ、積み荷をハブ空港で1度集積し、目的地ごとに再分配して運ぶ、つまり、目的地への直接路線が無くともハブ空港を介することで到着できる、これがハブ空港の役割となります。これを前述の話題に照らし合わせると、子供(出発点)が社会(目的地)に到達するためのプラットフォームHub(中継地点)。さらに云えば、子供が直接社会に進出しなくともプラットフォームHubを介することで擬似的に社会に触れ、自身と社会を結び付けることが可能となる教育環境を狙っています。私が期待しているのは、情報(興味関心、知的好奇心)という乗客(積み荷)が社会ではどんなことと結び付くか、プラットフォームHubを介して社会から得た知見、見聞、経験とこれまでに得てきた自分の中の情報が連鎖する事で次に自分が何をしたいか、それまで見えてこなかった選択肢を浮き上がらせる事です。

選択肢を知ると知らぬでは雲泥の差です。「人は選択肢が有るからこそ苦悩できる存在であり、選択肢の多さこそが自分自身への理解度を示す指標である」と考えます。社会(自分の活躍の場)を知ること、それこそが学び(興味関心の展開)を推し進める原動力となるのです。想定する運用例として、子供の興味関心などを教育データとしてプラットフォームHubにアップロードする。それをタグ(キーワード)として絞り込み条件のように、プラットフォーム上に集積された情報(疑似社会)を自身の教育データ(自身の興味関心)で検索する。そうすることで、自身の興味関心や学びに合わせた検索結果(学びの機会、イベント、研究トピック、現在のトレンド、他の興味を持つ子供あるいはコミュニティとのきっかけ、同じ興味を持った人が歩んだ軌跡、大人側がその話題にどんな見解、現在~未来へのビジョンを持っているか)を得られるシステムを考えています。この実現には、子供の教育データの情報化だけでなく、社会をデジタル情報として標準化、データ化してプラットフォーム上に揃えることが必須といえます。このメリットとして、社会(保護者、教職員、教育関係者、研究機関、民間企業)としても子供たちは何に興味を持ち、何が知りたいのかを知る機会を得る事に繋がること。また、社会の情報化は社会における大人自身の役割の可視化(存在の再定義)、何を目的にしているか、社会でどんな役割を担っているか、将来の展望、子供たちに何を伝えたいか、子供達の学びにどんなことを提供できるのかを明文化でき、子供以外の外部存在にもその思惑を伝播出来る事です。子供と社会が交差し子供が社会に自身(興味関心、知的好奇心)を投影することを仲介する場(デジタル情報化させた社会をソート出来る検索エンジン)、社会が自身の解像度をあげて子供に社会(これまでの取り組み、考え、目的、課題、将来の展望)を伝える場(社会への情報アクセスポイント)、それが私の考える「プラットフォームHub」となります。

「教育者の活人化」

ここで実務的なことにも言及したいと思います。教育における大人側の役割をもっとシンプルにした方が良いと感じます。現在の風潮では、教師がオールマイティー化され教師自身の負担が重く、教育者の情熱によって回っている環境です(本当に頭が下がります、ありがとうございます)。解決案として、教育をカテゴライズして役割分担することも検討して欲しいです。教師は、教えることが複雑化し、ボリュームも増すばかりである事を考慮すれば各教科のスペシャリストとして専念することが妥当ではないでしょうか。部活動は、外部に委託(スポーツ教育の再定義、部活動と教育との関係性を見直す)。担任は学びの進捗をリアルタイムでモニターし、アクティブラーニングのアドバイザーとして学習の工程管理者の役割。アクティブラーニングの基礎作りは、前述のプラットホームHubを介して、子供(学習者)と社会が直接、相互リンクすることで形成・発展させることが出来ると期待しております。

「行政の役割」

また、行政機関の関わり方としては、プラットフォームをリアルタイムモニター対象として、各視点(各省庁、行政機関)からプラットフォーム上にある情報あるいは、情報を介した相互交信を監督する。ルールを統一化してどの立場からも一様な対応を可能とする体制をとるのではなく、各視点に基づくルールを層化して危険や規範の逸脱行為の芽を摘む、プラットフォームのストレーナー(異物を取り除く漉し器)としての活躍は如何でしょうか。

「学びを通して社会を知る」

長々とお話しましたが、今回の教育改革案は、既存の教育環境を情報化する事に重心が傾き、これまでの殻を破りきれておらず新たな価値創出に踏み込めていないのではないかというのが私の見解です。ここがデジタル化がもたらす新たな教育基本構造の分水嶺です。ヒトにとって知識・教養はあくまで血肉で、自己の在り方(基本骨格:自らの興味関心、知的好奇心)がしっかりしていなければ、いくらアクティブラーニングを想定して教育環境をデジタル化したとしても学習の歩みは於保つかないままです。それを回避するため、子供が社会と関われる≪プラットフォームHub≫を通して子供の持てる選択肢を拡げる必要性を投げ掛けたいと思います。

長文ではありますが、皆様どう考えでしょうか。

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