#日本
⑦日本から大東亜戦争という言葉が消えた?
昭和20年12月8日から17日にかけて、日本の新聞各社に『太平洋戦争史』が掲載されました。
この記事は10回に渡り全国の全新聞に掲載され、文章はCIEのスタッフがまとめました。
この文章では日本人であれば当然、大東亜戦争というべきところを全て太平洋戦争と言い換えました。
つまり、日本人の意識にある『大東亜戦争』をCIEがこしらえたアメリカの物語である太平洋戦争というものに置き換えようと企図されたの
⑩報道機関の親左翼的傾向にGHQが気がついた⁉︎
その後の朝日新聞を見れば、マルクス主義を基調に親中国派、親ソ連派が入り乱れるようにして戦後の新聞は出来上がっていきます。
どう見ても。『日本』への思いよりも、マルクス主義やそれを標榜するソ連、中国に対する思い入れの方が強い紙面作りになっていたのです。
GHQは、朝日に限らず当時の新聞全体の親左翼的な傾向に対し、時間の経過と共に神経を尖らせていきます。
昭和21年3月には、早くもチャーチルが『
最終回 朝日新聞を再び考える
アメリカの占領政策が企図したことが日本に浸透し、維持されるように“ご奉仕”しているのが現在のマスコミということになります。改めて朝日新聞を素材にそれがどのようになされたか。180度転換したそがたを論説を見る事で考えていきましょう。
まず、昭和20年8月15日付の『一億相哭の秋』と題する社説です。
(前略)畏くも、万邦共栄の大方針の下、帝国の自在と東亜の安定とを、庶幾しつつ、陸海将兵の勇戦、