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どうも社会の歯車です
社会人になったら自分の全てが終わる。
そんな風に考えてこれまでを生きてきた私、ばすたーあれっくすですが、まだ終わってはいないようです。
学生時代、毛嫌いしていた社会人は今も大嫌いです。
大嫌いと嘆いても時間だけは進んでいくし、自分から行動を起こさなければ大嫌いな世界を変える可能性すら起きない。
自分の小さな世界に反旗を翻し、革命を起こすしかないのです。
そんな大それた幻想にワクワクしながら実際の
僕はもうすぐ社会人になります。
これから働いていかなければならないことに対しての覚悟は出来ています。
でもまだ手つかずの夢や叶っていない目標はどうしたらいいのだろう。
誰も面倒は見てくれないし僕はきっと面倒を見切れない。
僕は何がしたいんだろう。
僕は本当に生きているのだろうか。
感情を殺すことばかり憶えて、これが大人になるということなら僕は一生大人になんてなれなくていい。そんな風に思っているのにどんどん現実に押し流されていく。この流れに逆らうことは叶わないのか。
ぽっと湧くように始まる思考は止めようとしないといつまでも続いてしまうのに、少し遠くにあるものをギュッと引き寄せて考えようとするとそいつはすぐに元いた場所に戻ろうとしてしまう。
大切な僕の一部はこうして知らない間に世界へ旅立っていっている。今もこの先もずっと。
遠くで汽笛が鳴った。僕が歩いている夢の枠組みはほんのひと時だけ夢を見ている気持ちにさせてくれる。夢と理想のギャップ。夢と現実の境目。いつまでも醒めない夢でありたい。
最後に汽笛は鳴ってくれなかった。
すきなバンドが新曲を出した。
僕は未だに勤め先も決まらない。
本当にこのままでいいのだろうか。
やりたいことや進みたい未来を妥協している今が世界一嫌いだ。安全策だなんて言って逃げてきたこの道をまた疑ってしまう。
このままでいいのだろうか。
少なくとも今のままではなにも変わらない。
愛してみたいのに蓋を開けては閉じてを繰り返す。
気づいたら誰もいなくなっているし押入れに隠した秘密の箱は未だに喉を枯らして叫んでいる。
気がつけば振り向いてくれない思い出ばかりが僕を嘲笑い、誰かが泣いていた。
人を愛したいようで孤独を愛していたい気もする。
長い間孤独と連れ添っていると家族のように鬱陶しくて、それでいて心地よい関係になってしまう。
世界が自分を中心に回っているか、誰かのために回すのか決めるのは自分だ。
僕の人生はまだまだ建設途上で、誰の手も借りないと決めている。
自動ドアをくぐると艶やかに濡れる道が僕を待っていた。
空っぽの心に冷たい雨粒はよく響いて、一人歩く夜景の中では僕はあまりにも希薄だった。
街灯を移す雨だまりは僕の陰気な顔だけを遠ざけて、少しだけ寂しい。
今日はゆっくり湯船に浸かって心を解凍させることにしよう。
それは聖夜の夢の国であったり。
夏祭りの後、公園で話すベンチであったり。
大人達が騒ぎ散らした後の深夜の桜の下であったり。
布団の上から見る夜明けの光だったり。
僕は未だに夢を見ている。醒めることのない夢を。僕はいつまでも夢に生きている。夢を失うことは僕の喪失なのだろう。
煙草が苦手だからばあちゃんにもらったおかきを食べながら歩いている。中学生の頃に買ってもらったパーカーを着ている。公園では無邪気に子供達が遊ぶ。犬が幸せそうに横切る。他人で満たされている。僕は今日も幸せがわからない。