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お世話になった人たち

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社会に出てから、仕事やプライベートなどで、親交があって、印象に残っている人の事を書いて行きたいと思います。
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お世話になった人⑰

お世話になった人⑰

今日お話するのは、21歳から27歳までお世話になったあるホテルのルームサービスで働いていた時の話である。

普通のレストランと違い、各部署や厨房とのやり取りをする中で、緊密な関係を築いていた所。今日は和食キッチンの板前さんたちの話をする。

前に⑮で、特に個人的な付き合いにまで発展した人についてお話したが、今回は、和食キッチン全体について、お話する。

まず、和食の料理長。料理長は、とても厳格な人

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お世話になった人⑯

お世話になった人⑯

私が23歳から27歳まで、あるホテルのルームサービスにいた時な話である。今までは、1人ずつ紹介してしたが、今回は複数人をまとめてお話する。

よく話しかけてくれる人は、名前を覚えたいと私は思う事が多いのだがホテルで働いていると、それは結構容易である。

ゲストスペース、バックスペースに関わらず、全ての職種の人が名札をつけることになっているので、話している時に、名札を見れば、次第に顔と名前が一致して

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お世話になった人⑮

お世話になった人⑮

話は、私が23歳から27歳までお世話になったあるホテルのルームサービスで働いていた時の話である。

ルームサービスというのは、そのホテルのレストランで作っている料理全てが対象になるので、他のレストランの従業員と違い、各部署と緊密なやり取りを常に取っていなくてはならなかった。

今日、お話するのは、次第に和食キッチンの板前さんのひとりである。彼は、「お世話になった人⑬」でお話した先輩と同い年で、その

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お世話になった人⑭

お世話になった人⑭

さて、話の舞台は、中華料理レストランをやめた後、働く事になったホテルのルームサービスでの話になる。その時、長きに渡ってお世話になった人の話をまたしていきたいと思う。

彼女も同じ配膳会社から来ていた。というか元はと言うと、このホテルに来た経緯は私と同じだった。

彼女との出会いは、私がアルバイトとして働いていた中華料理レストランでの事である。その店も、配膳会社からのヘルプ要員を頼りにしていて、レス

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お世話になった人⑬

お世話になった人⑬

さて、幼少期場面緘黙で、理解のない親から散々な目に遭ってきた私ですが、「話さないとだめ」と完全に刷り込まれてしまっていて、本当に自己肯定感の低い、自分に自信のない状態が、高校卒業から、20代を経て、精神を病んで病院を受診するまで続きました。

思い切って飲食業に飛び込んでみた私ですが、私を雇ってくれた「お世話になった人⑥」でお話した人が、面接先のお店の総支配人だった時に、言葉や文章だけでは伝えきれ

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お世話になった人⑫

お世話になった人⑫

さて、私が幼少期から場面緘黙で、母から黙っているのはだめだと散々に言われて、コンプレックスになってしまい、私は、自分の性格とは真逆の飲食の仕事で、自分を磨こうと思ったのでした。、

21歳から23歳までお世話になったある中国料理レストランでの話の最後になります。

今日お話するのは、そのお店で食器を洗ったり、厨房の簡単な盛り付けの補助などをする洗い場を担当していたパートの年配の女性についてです。

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お世話になった人⑪

21歳から23歳まで、アルバイトでお世話になった人たちの事を書いていますが、今日も書いていきたいと思います。今までは、ホール関係で、お世話になった人たちでしたが、厨房や洗い場の人たちにも大変お世話になったので、今回は厨房の料理長と、何故かご縁があってよくして頂いた方についてお話します。

料理長は、当時の32歳と、私とは10くらい年上で短髪の若白髪の多い男性でした。厨房の人というと、どこの世界でも

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お世話になった人⑩

お世話になった人⑩

今日は、21歳から23歳までアルバイトでお世話になった中華料理店で出会った人についてのお話です。

売上の不調に会社の上層部が店長交代の辞令を出し、私を雇ってくれた店長は去っていき、新しくとある高級中華料理店の総支配人だった人が来ました。その人については、「お世話になった人⑨」でお話しています。

今日は、その新店長が一緒に連れてきた私より歳がひとつ上の社員だった女性についてです。社員という事もあ

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お世話になった人⑨

お世話になった人⑨

今日も私が21歳から23歳まで、アルバイトをしていた中で、出会ってお世話になった人について、話していきたいと思います。

私が応募した時に面接を担当してくれた総支配人でしたが、売上を伸ばす事ができず、会社の上層部より、交代の命令を受けてしまい、あたらしく外部から総支配人となる人が来ました。

横浜の中華街などにある高級中華料理店のひとつの店長などをしていた人で、年齢は当時40歳という事でしたが、白

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お世話になった人⑧

お世話になった人⑧

私が、21歳から23歳まで、アルバイトでお世話になった中国料理のレストランでお世話になった人の事を今回も書いていきたい。

彼は、外見はとても背が高く、髪の毛も茶髪混じりで、話さないうちは怖いお兄さんというようなイメージであったが、話してみると、普通な感じの先輩だった。立ち位置は、あまり聞かなかったのだが、アルバイトだったようだ。歳は5歳上の社員の先輩のより、2つくらい歳上で、私とは7つくらいは離

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お世話になった人⑦

お世話になった人⑦

音響の会社を退職後、レストランのホール係としてアルバイトを始めた所の総支配人の話を前回はした。今回は、唯一、社員だった私より5つ上の人の話をしようと思う。

彼は人当たりがよく、よく1階の店舗を任されていた。学歴なども聞いたのかも知れないが覚えていない。ただ、出会ったレストランの前に別の所で働いていたが、人間関係が良くなくて辞めて、こちらに来たというような話はしていたと思う。

総支配人には確かに

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お世話になった人⑥

お世話になった人⑥

さて、今回お話するのは、私の人生の中で、大きい影響を受けた人たちの中の一人です。

音響制作の会社を辞めた私は、幼少期より場面緘黙の症状があり、高卒以降はやや改善していたものの、それに伴い性格的に消極的、引っ込み思案、人見知りな面が強く見られました。また、私がこの「場面緘黙」という言葉を聞いたのは、20歳頃、聖路加病院の院長であった故、日野原重明先生の著した音楽療法の本からでした。

また、幼少期

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お世話になった人⑤

お世話になった人⑤

ホテル音響の会社時代のお世話になった人についてのお話です。私の部署はホテルの音響制作部という所で、下請け会社が入っていましたが、その中にホテル側の社員が2人いました。

今日はこの2人の社員についてお話します。

1人は私より4つ歳上、もう1人は6つ歳上でした。ホテルは部署ごとに制服があったのですが、私たちの部署や、営業食は自前のスーツ、ネクタイにホテルの名札をつけていました。この社員たちも同じで

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お世話になった人④

お世話になった人④

前回は音響の会社の2個上の先輩2人について、お話したので、この回では、ひとつ上の先輩4人について、書いていきたいと思います。

4人とも男性で、3人は同じ専門学校を卒業していて、1人は私と同じ専門学校でした。

ですが、この中の1人は、私が入社してまもなく辞めてしまい、また違う1人は異動になってしまったので、濃く関わったのは、2人でした。

同じ専門学校の先輩は、私と同じ録音(レコーディング)コー

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