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エッセイ

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『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

『コーヒー&シガレッツ』というクールな映画があるが、映画とは全く関係なくたまたまほぼ同名のこちらの書籍も、最高にクールな逸品だ。
エッセイ、小説、小論がぎゅっと詰まっていて、どれ一つとして退屈なものがない。内容は違うが本のタイプとしては、ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』とも似ている。
とても面白い、何度も読みたい、大事に手元に置いておきたい一冊だ。

少年時代の思い出と厭世的な10代の頃を書

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『ロシア語だけの青春』 黒田龍之助

『ロシア語だけの青春』 黒田龍之助

代々木駅東口。駅を出て道を渡った先には、雑居ビルが立ち並ぶ。その店舗と店舗の間に、狭くて古い階段が。

道案内で始まるプロローグを読みながら、自然とその歩幅に呼吸が合っていく。
狭い階段を上って行き着くのは、小さな語学専門学校。著者が高校時代から通い、後に講師も務めていたミール・ロシア語研究所だ。
本書はこのロシア語学校の物語、そして著者の「ロシア語のことしか考えていなかった青春の日々」が、瑞々し

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『散歩の一歩』 黒井千次

『散歩の一歩』 黒井千次

老作家の日常と住む家、住む町にまつわるあれこれが綴られる。
平日の昼の住宅地に注ぐ暖かな陽射しやどこからか聞こえる作業の音の何となくのどかな響きが、行間から立ち上ってくるような穏やかなエッセイ集である。

前に紹介した『ビル・ビリリは歌う』に収められた短編作品の中では、引退初老男性がよく散歩していたが、彼らの散歩には夫婦間の微妙な空気が後を引いたり、過去に鎮火した恋のかすかな煙が漂ったり、奇妙で幻

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『海事史の舞台』 別枝達夫

『海事史の舞台』 別枝達夫

激安古本で出回っているが、お値段以上の価値がある、この一冊を紹介したい。

著者、故別枝達夫氏(1911-1978)は、イギリスの海事史を主な研究分野とした歴史学者。
本書は、海事史研究に関する氏の貴重な著作を長いものから短いものまで集めた一冊である。

*****

骸骨旗の帆船に凄みのあるいでたち。カリブ海で暗躍したような、いわゆる海賊たちの起源は、16世紀、エリザベス朝のイギリスにあるという

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『生きる哲学』 若松英輔

『生きる哲学』 若松英輔

その言葉は、必ずしも言語の姿をしているとは限らない、と著者は書く。
例えば朝日や雨や川の流れを私たちが見たり聞いたりすることで美しさ、充実、畏敬の念などを感じる時、それは万物が語る言葉である。
また絵画や彫刻や音楽など、人間が表現するものの中にも言葉がある。
そのような、言語の姿にとらわれない「言葉」を、著者は本書の中でコトバと書く。

コトバがあり、そしてまた哲学がある。
重要なのは、狭義の学問

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『音の糸』 堀江敏幸

『音の糸』 堀江敏幸

アイボリーカラーと控えめなデザインの装丁が静かに美しい本書は、クラシック音楽をめぐる思い出が香り豊かに綴られたエッセイ集だ。
少年期、学生時代、パリ在住時など、様々な時と場で著者が経験した出会いや出来事が、その時に耳にした名曲と共に筆に起こされる。聴覚はもちろん、珈琲やストーブのにおい、雨の日の湿度など、様々に五感を呼び覚ます文章は、自室で一人静かに読んで感覚を開かせたい。

クラシック音楽に関し

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『牧師、閉鎖病棟に入る。』 沼田和也

『牧師、閉鎖病棟に入る。』 沼田和也

本書は、牧師の沼田和也氏が、3ヶ月の精神病棟への入院を通して見知ったこと、学んだことを綴ったエッセイ/ノンフィクションである。

幼稚園の理事長兼園長としての仕事に忙殺されストレスが爆発してしまった氏は、妻のすすめに従って精神科の病院に入院する。

自分自身が入院患者となったことで、今までの自分が牧師としての役割とはいえ、その溝を自覚せずに「わたしたちは一つになって祈っている」と思い込んでいたこと

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『考えの整頓』 佐藤雅彦

『考えの整頓』 佐藤雅彦

そのまえがきの言葉の通り、日常に散りばめられた異次元ポケットをひょいと開いてみせる、最高に面白いエッセイ集だ。

例えば、単純な円や三角だけで描かれた4コマ漫画からおおまかなストーリーを読み取ったりするような、断片的な情報群から物語を想像する能力。
また例えば、そこにあるとわかっていれば、それが隠されて見えなくなっていても存在していると認識する、「物の永続性」に支配された人間の認知の現象。
そんな

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『イリノイ遠景近景』 藤本和子

『イリノイ遠景近景』 藤本和子

ブローティガンの『アメリカの鱒釣り』などの翻訳の他、『ブルースだってただの唄 黒人女性のマニフェスト』などの著書のある藤本和子による、魅力的なエッセイ集。

*****

「トウモロコシのお酒」は、イリノイ州のトウモロコシ畑の真ん中に建つ家で暮らす著者が、アメリカの田舎での暮らしやそこで出会った人々のことを綴ったもの。
このエッセイの題から、アメリカ文学好きならばブラッドベリの『たんぽぽのお酒』を

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『家族』 村井理子

『家族』 村井理子

かわいい顔の若い母親が、赤ん坊を抱いてミルクを飲ませている。隣には真面目そうな父親と、その膝の上に座る聞かん坊そうな幼児。
アパートで暮らす平凡な家族のワンシーン。
表紙の写真に写るこの家族が、この本を読んだ私の心に焼きついて離れない。

著者村井理子が、自らの家族、著者以外は全員すでに他界している家族の物語を赤裸々に綴ったこのエッセイには、生傷をさらすような凄まじさと、絶対に消えない愛がある。

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『中学生までに読んでおきたい哲学』 松田哲夫(編)

『中学生までに読んでおきたい哲学』 松田哲夫(編)

あすなろ書房から出ている「中学生までに読んでおきたい哲学」というシリーズが素晴らしいので、ぜひ紹介したいと思う。

全8巻のシリーズで、それぞれ、愛、悪、死など哲学的なテーマが掲げられており、著名な書き手達による文章が、巻ごとのテーマに沿って選ばれ収録されている。
「日常の暮らしの中に潜んでいる哲学的な問いかけを探り当て、自分の頭で考えるきっかけとなるような文章を集めたアンソロジー」(編者松田哲夫

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『夜の魂』 チェット・レイモ

『夜の魂』 チェット・レイモ

天文学者チェット・レイモによる、宝石箱のようなエッセイ集。

レイモの思考は、個人的な体験と無限の宇宙との間を自由に飛び交う。
友人から届いた郵便を出発点に銀河の中心で強烈な光を出すクエーサーへ、大学の構内で学生の集団とすれ違ったことからは多宇宙の計り知れない世界へと。
その飛行が優美な文章で書き記されたのが本書である。

レイモは、今世紀初頭のアメリカの博物学者ジョン・バロウズの言葉を引いている

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『不実な美女か貞淑な醜女か』 米原万里

『不実な美女か貞淑な醜女か』 米原万里

ロシア語同時通訳、エッセイスト、小説家であり、メディアでも活躍した著者による、笑えて学べるお仕事エッセイ。

鼻っぱしらの強い語り口調で、小気味良く読めるが、その内容からは聡明さがびんびんと伝わってくる。

上の引用は、差別語をタブー化することで差別の現状を克服するという方法論への疑問を述べた部分だが、言葉を扱うプロだからこその、言葉に対する鋭い見方である。

*****

まさにその通りであるが

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『掠れうる星たちの実験』 乗代雄介

『掠れうる星たちの実験』 乗代雄介

批評文(論説文)、書評、掌編が収められたアンソロジー。
著者について前から後ろから横から解析する糸口が詰まった一冊だ。

サリンジャーと柳田國男を結びつけて考察する批評は、ずっしりと読み応えがある。
思春期に読んだままなんとなく読み返す機会がないままのサリンジャーを、しっかりまとめて読み返してみたくなった、と同時に、巨木柳田國男にも気合を入れて対峙してみたくなった。

書評は、比較的近年に出版され

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