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十七音の視線のひろがり 山岸由佳『丈夫な紙』(素粒社)一句鑑賞

十七音の視線のひろがり 山岸由佳『丈夫な紙』(素粒社)一句鑑賞

 今年の初夏に京都でひとに薦めてもらって、山岸由佳という俳人の句集『丈夫な紙』(素粒社)を読んだ。歌集とくらべると句集を読む機会はすくないので、俳句という形式が有する表現そのものへの発見や気づきばかりに意識が向いて、まだ振り回されている感じがする。
 たとえば後半の「鳩のゆめ」という章のなかで「春日部さくら霊園八句」という詞書が置かれたうちの二句目に、こんな句がある。

 この句に私は不思議なほど

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飛翔への希求 佐藤弓生『薄い街』(沖積舎)一首鑑賞

飛翔への希求 佐藤弓生『薄い街』(沖積舎)一首鑑賞

 東直子『春原さんのリコーダー』(本阿弥書店)の栞には、穂村弘による「無限喪失/永遠希求」という文章が寄せられている。ちくま文庫版には本文巻末に、穂村弘の単著では『短歌という爆弾』(小学館文庫)にも収められているこの文章は、東直子という歌人を論じるにあたって重要な文章のひとつだろう。何より「廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て」という一首を引いての鑑賞には非の打ち所がない。優れた

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孤独な観察者の流浪 アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ『雨に打たれて』(書肆侃侃房)

孤独な観察者の流浪 アンネマリー・シュヴァルツェンバッハ『雨に打たれて』(書肆侃侃房)

 文学の潮流から距離を置き、みずからの主題と対峙して創作に身を置いた海外の女性作家たち。彼女たちの作品は、近年日本でもめざましい(再)評価が進んでいる。シルヴィア・プラスやルシア・ベルリンは記憶にも新しい。そしてここに、日本の読者がまだ見ぬドイツ語文学の知られざる女性作家が、およそ一世紀もの時をへて紹介されるに至った。
 スイスで生まれ、親ナチスの両親から離れて、異国を旅しながら三十余年の生涯に遺

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馬、その比喩的存在 寺山修司『馬敗れて草原あり』(角川文庫)

馬、その比喩的存在 寺山修司『馬敗れて草原あり』(角川文庫)

 このところ日曜日になると、寺山修司のエッセイ『馬敗れて草原あり』(角川文庫)を読むことが多い。林静一の装画があしらわれた旧版を読んでいる。寺山修司の文庫というと一時期の角川文庫の、林静一の装画という印象がある。

 日曜日に『馬敗れて草原あり』を読むのは、日曜日には競馬があるからだ。もちろん土曜日にも競馬はある。そんなことを言えば、地方競馬は平日にも開催されている。悲しいことに、にわか仕込の競馬

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架橋としての翻訳 イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』(幻戯書房)

架橋としての翻訳 イボ・アンドリッチ『イェレナ、いない女 他十三篇』(幻戯書房)

 ボスニアに生まれ、東欧諸国を渡り育ち、ユーゴスラビアの最期を見届けることなくこの世を去った作家イボ・アンドリッチ。本書は現在のところ史上唯一となるセルビア・クロアチア語によるノーベル文学賞作家の作品を精選、訳者のひとりである山崎佳代子氏による詳細な解題を付した決定版と言うべき選集である。
 移動する国境線、並存する信仰、人種や文化の不和から生じる紛争、それらを繋ぐ希望の象徴としての〈橋〉。名高き

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小説に穿たれた鏡合わせの滝 小林エリカ『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)

小説に穿たれた鏡合わせの滝 小林エリカ『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社)

 小林エリカが『最後の挨拶 His Last Bow』と題した小説を発表した時「これは読まなければならない」と身構えたひとがどれほどいたでしょうか。幸運なことに、私はそのひとりでした。
 日本シャーロック・ホームズ・クラブを結成するほどのシャーロキアン(シャーロック・ホームズ愛好家)であり河出書房新社版『シャーロック・ホームズ全集』を共訳した小林司・東山あかね夫妻。かれらの子女であり、複数の領域に

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完璧な短編小説と、あの夏 竹西寛子「鶴」

 完璧な短編小説があるとすれば、ということをたわむれに考えることがあります。完璧な短編小説があるとすれば、それはどのような小説でしょう。優れた短編小説、心に残っている短編小説はいくつも浮かびます。傑作と呼ぶに足る短編小説も。しかし、それらは完璧だったでしょうか。過不足なく、すべてが具わっていること。短編小説を完璧たらしめるものとは何か。
 何度も読み返す短編小説が、いくつかあります。幾度もの再読に

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死の輪郭をなぞる 黒川創『ウィーン近郊』(新潮社)

死の輪郭をなぞる 黒川創『ウィーン近郊』(新潮社)

 ひとは死ぬ。時にあっけなく。どれだけ遠回りの前置きや周到な準備がなされても、死の瞬間は突然おとずれる。私たちは死について語るとき、婉曲的な言い回しをするしかない。それは死について何も知らないからだ。死そのものを知り得た時には、既に語るべき口をもたないからだ。真の意味で死を理解できる生者は誰もいない。それゆえに、忌避されながらも惹きつけてやまない引力を有している。
 文学という領域においても、死と

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過ぎ去ったものたちは、今も 堀江敏幸『いつか王子駅で』(新潮文庫)

過ぎ去ったものたちは、今も 堀江敏幸『いつか王子駅で』(新潮文庫)

 島村利正の『青い沼』が届いた。昭和五十年に刊行されたきり、文庫化されることもなく版も絶えている作品集。古書での購入だ。インターネットで古書を買うといつも味気なさを感じ、購入から届くまで待つうちに大抵は買ったことさえ忘れていることが多い。そのぶん、だしぬけに本が届いた時には、じぶんで用意したサプライズプレゼントに驚くような、ちいさな喜びと気恥ずかしさがある。

 島村利正の本を買ったのは、堀江敏幸

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誰かの夏を読む 江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(角川春樹事務所)

誰かの夏を読む 江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(角川春樹事務所)

 夏といえば思い出す小説が、いくつかあります。
 たとえば、神吉拓郎の「ブラックバス」で、少年が今はなきテニスコートを前にして耳を澄ます、幻のテニスボールが跳ねる音であったり。
 あるいは、ヴァージニア・ウルフの「サーチライト」で、クラブのバルコニーに腰掛けて歓談する男女のそば、石畳の遊歩道を照らす円形の光であったり。
 それらは夏の日の一瞬を鮮やかに切り取り、その空気までも文章のなかに封じこめま

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いかにして完全犯罪は私たちの眼前で為されたか 福永武彦『完全犯罪 加田伶太郎全集』(創元推理文庫)

いかにして完全犯罪は私たちの眼前で為されたか 福永武彦『完全犯罪 加田伶太郎全集』(創元推理文庫)

 本が好きだ。一束の書物のなかに綴じこめられた誰かの言葉、無数の文字から編みあげられる物語と同じように、本そのものが好きだ。
 カバーに包まれた内側で意匠を支える表紙、本を開いた誰もを歓待する化粧扉、モノクロームで構成された紙面を控えめに彩る花布、頁に指をかけたときの紙のさわり心地、読書のよき伴走者である栞紐、文字を写しとるインクの匂い。紙の選び方、製本ひとつとっても、この世に同じ本は存在しない。

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