樋口智子(ひぐちさとこ)

「りとむ」所属。 2008年『つきさっぷ』、 2020年『幾つかは星』上梓。 札幌の…

樋口智子(ひぐちさとこ)

「りとむ」所属。 2008年『つきさっぷ』、 2020年『幾つかは星』上梓。 札幌の端っこで、つぶやいたり、うたったりしています。noteは気ままに更新予定。

記事一覧

見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠 大松達知『ばんじろう』

徒歩のとき、自転車のとき、車、電車・・・、速度によって目に留まる景色が違う。速いほど遠くの景色が見やすくなる。そう考えたとき、自転車は何かがちょうどいい。視界に…

鞄を提げて公文へ行くといふ息子 盆と暮れには帰つてこいよ 目黒哲朗『生きる力』

インドア派、アウトドア派、いろんな子がいるが、この息子は後者かなと思う。 わが家のことで恐縮だが、息子の生活は父親とすれ違いになることが多い。部活から帰ってきて…

ひと恋ふる心はいつもあやふくて闇をねぢ込む鶏頭のひだ 楠誓英『薄明穹』

誰かを求める心は私自身が揺らいでしまって、在りたい自分で無くしてしまうかもしれない。そんなあやうさは怖れとなって、闇を生み出す。闇は、光と常に対比するものである…

夜の駅に特急を待つはわれ一人しんしんとしてまこと晩年 西勝洋一『晩秋賦』

今日は一月三十日。 西勝さんの三回忌なので、なんとか今日のうちに書きたかった。 特急を待つ駅にいるのは自分だけ。待合室よりホームに居ることを想像する。外の広さ、…

崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』

少し生活が落ち着いてきたので、今年はハードルをゆるく一首評を中心に書いていきたいと思います。 甘党な一首評ですがよろしくお願いします。 さて第一回目。 崖の上(へ…

日記

勉強会のために、ここのところ啄木を読んでいた。ちゃんと読むのは二十年ぶりくらいで、私の二十代あたりの読書はあてにならないから、こんな歌もあったのかと新鮮な気持ち…

短歌研究のハラスメント特集について

ちょっとTwitterでは足りないと思うのでこっちに書きます。 (追記、怖がらせてしまったり配慮の足りない表現があったりして一部直しました。でも本当に言いたいこと、「沈…

子どもの目線

たぶん「子どもが撮った写真が結構いい」は、写真あるあるなのかなと思うけれど、やはりそうなんだなあと実感した。 この前、娘たちと出かけたときに、小6になる長女がカ…

写真のワークショップに参加して

写真家の幡野広志さんのワークショップがあると知ったのは、1月の末。2月の募集が終わったタイミングで、そんな素敵な企画があるんだ、いいなあと思っていたら、3月も募…

 『無限遠点』を読む会

北辻一展さんの『無限遠点』を読む会がありました。 私のレジュメと読み原稿を公開、さらに感想のおまけつきでお届けします。長いです。 北辻一展歌集『無限遠点』を読む…

半年ちょっと、振り返り

もう7月も半ばで、今年も半分切ってしまった。 昨日、記録は残したほうがいいという話が出て、久しぶりに書こうかな。 年明けから春までは、「さんごじゅ」の原稿を書くの…

2021年、振り返りつつ

年末です。大晦日です。 なんだか何も出来ていないような、消化不良な年のような。 出来てないことはない。 年初にやりたいことのうち、登山とかも一応行ったし、網走は…

『太陽の横』

山木礼子歌集『太陽の横』(2021年、短歌研究社)を読む。歌集はⅠ連載作品、Ⅱ新人賞受賞作と他作品、という構成のようで、Ⅱのほうが古い作品だが、Ⅰと同時期くらい…

『青い舌』

山崎聡子歌集『青い舌』(書肆侃侃房、2021年)を読む。前作の『手のひらの花火』が2013年刊行なので、8年ぶりの歌集となる。 歌集の最初に妊娠している様子があり、歌集…

『昼の月』

田村元歌集『昼の月』(いりの舎、2021年)を読む。『北二十二条西七丁目』に続く、9年ぶりの第二歌集である。 『昼の月』は2012年から2020年までの作品が収められている…

コンシーラーの旅

このところ、化粧について彷徨っている。 仕事中にマスク+フェイスシールドをするようになって、顔の汗もすごいし、化粧崩れがひどい。 化粧を全くしないのも、それはそ…

見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠 大松達知『ばんじろう』

見ることは祈ることとは違うけれど漕ぎつつ二秒見ている祠 大松達知『ばんじろう』

徒歩のとき、自転車のとき、車、電車・・・、速度によって目に留まる景色が違う。速いほど遠くの景色が見やすくなる。そう考えたとき、自転車は何かがちょうどいい。視界におさまる景と距離がほどよいのかもしれない。

この歌は自転車で通り過ぎるときに祠を見ている。「二秒」が絶妙な長さで、目に入っただけでなく、明らかに意思をもって見ている。徒歩だと通り過ぎる間見ていたらそこそこ長くなるので、見ることに対する意味

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鞄を提げて公文へ行くといふ息子 盆と暮れには帰つてこいよ 目黒哲朗『生きる力』

鞄を提げて公文へ行くといふ息子 盆と暮れには帰つてこいよ 目黒哲朗『生きる力』

インドア派、アウトドア派、いろんな子がいるが、この息子は後者かなと思う。
わが家のことで恐縮だが、息子の生活は父親とすれ違いになることが多い。部活から帰ってきて、晩御飯を食べて塾に行くころに夫が帰宅したりする。そんな場面を想像した。
この歌の面白さは下の句の「盆と暮れには」だ。普通は「遅くならないうちに」とか「寄り道しないで」みたいな文言が来るところ。この「盆と暮れ」があるから、割といつも外に出て

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ひと恋ふる心はいつもあやふくて闇をねぢ込む鶏頭のひだ 楠誓英『薄明穹』

ひと恋ふる心はいつもあやふくて闇をねぢ込む鶏頭のひだ 楠誓英『薄明穹』

誰かを求める心は私自身が揺らいでしまって、在りたい自分で無くしてしまうかもしれない。そんなあやうさは怖れとなって、闇を生み出す。闇は、光と常に対比するものであるから、人を恋うだけ強くなる闇を鶏頭のひだに隠す。そして、「ねぢ込む」という強い語には怖れの深さ、否定の強さを感じ取る。

この歌の収められている『薄明穹』には次のような歌もある。
ひかがみに淡き闇ため立つたまま眠れる少年こずゑとなりて
吊革

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夜の駅に特急を待つはわれ一人しんしんとしてまこと晩年 西勝洋一『晩秋賦』

夜の駅に特急を待つはわれ一人しんしんとしてまこと晩年 西勝洋一『晩秋賦』

今日は一月三十日。
西勝さんの三回忌なので、なんとか今日のうちに書きたかった。

特急を待つ駅にいるのは自分だけ。待合室よりホームに居ることを想像する。外の広さ、夜の深さとの対比によって、独りであることが際立ってくる。〈しんしんとして〉は夜の駅の景であると同時に自身の心の有り様でもあるだろう。静まり返り、澄んでいくこの夜の心持ちこそ晩年というものなのだ、というのが下の句の歌意だと読む。
亡くなって

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崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』

崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』

少し生活が落ち着いてきたので、今年はハードルをゆるく一首評を中心に書いていきたいと思います。
甘党な一首評ですがよろしくお願いします。
さて第一回目。

崖の上(へ)にピアノをきかむ星の夜の羚羊(かもしか)は跳べリボンとなりて 前登志夫『子午線の繭』

カモシカを画像で検索したら、思っていたのとだいぶ違っていた。
シカの仲間かと思ったけれど、ウシ科とのこと。ヤギとかに近いという説明もあって、確かに

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日記

日記

勉強会のために、ここのところ啄木を読んでいた。ちゃんと読むのは二十年ぶりくらいで、私の二十代あたりの読書はあてにならないから、こんな歌もあったのかと新鮮な気持ちだった。あと、あの短い人生ながら、交友関係とか考えると時代をつなぐ位置にあるんだよな。久しぶりに三枝先生の啄木の本も読み返して、今やっと理解できた部分もある。

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話変わって。

短歌を始めて年数が浅くてもそれなりに経っても、それぞ

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短歌研究のハラスメント特集について

ちょっとTwitterでは足りないと思うのでこっちに書きます。
(追記、怖がらせてしまったり配慮の足りない表現があったりして一部直しました。でも本当に言いたいこと、「沈黙してはいけない」ということは変えてないですし、そこをお読みいただけたら幸いです)

「短歌研究」4月号のハラスメント特集は、その準備段階から賛否がありました。賛否があるのはどんなテーマでもあると思うし、それがあってこそ議論が深まる

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子どもの目線

子どもの目線

たぶん「子どもが撮った写真が結構いい」は、写真あるあるなのかなと思うけれど、やはりそうなんだなあと実感した。

この前、娘たちと出かけたときに、小6になる長女がカメラを持ちたがったので渡してみた。

サンリオ展に行ったのだけど、そこでも何枚か撮っていた。

娘の写真もがんばって現像してみた。
この前、幡野さんのお手本をいただいて、自分のはちょっと暗いのかなと思ったので明るさを意識してみたけど、うま

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写真のワークショップに参加して

写真のワークショップに参加して

写真家の幡野広志さんのワークショップがあると知ったのは、1月の末。2月の募集が終わったタイミングで、そんな素敵な企画があるんだ、いいなあと思っていたら、3月も募集があるという。しかも受付開始日は仕事が休み。

これは背中を押されている?
いや待て待て、ほんとに行けるのか?
カメラもパソコンも買いなおさないとじゃない?

と逡巡しつつ、まあ、とにかく申し込みにはチャレンジしよう、取れない可能性のほう

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 『無限遠点』を読む会

 『無限遠点』を読む会

北辻一展さんの『無限遠点』を読む会がありました。
私のレジュメと読み原稿を公開、さらに感想のおまけつきでお届けします。長いです。

北辻一展歌集『無限遠点』を読む会(2022.7.10)        樋口智子

〈テーマ〉いのち、家族、生きることとは

〇研究者としても医師としても、たくさんのいのちと接してきた。
マウスに対しても、また医学のために貢献してきた標本や模型にも、そして目の前の患者

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半年ちょっと、振り返り

半年ちょっと、振り返り

もう7月も半ばで、今年も半分切ってしまった。
昨日、記録は残したほうがいいという話が出て、久しぶりに書こうかな。

年明けから春までは、「さんごじゅ」の原稿を書くのに、河出書房新社の同時代の女性歌人シリーズをひたすら追いかけていた。何冊か札幌で手に入らない本があって、古書で買えたもの、他の市町村から借りたもの、どうにかこうにか入手。
原稿を書く楽しさと苦しさと、そこに祖母の終末期が重なって、てんや

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2021年、振り返りつつ

2021年、振り返りつつ

年末です。大晦日です。

なんだか何も出来ていないような、消化不良な年のような。

出来てないことはない。
年初にやりたいことのうち、登山とかも一応行ったし、網走は楽しかったし。
前半は義父の闘病が最後の時間を迎えていったので、全体的には重苦しく、でも皆で揃って義父との時間を過ごすことも出来たので良かったとは思う。
家族単位で見ると、割と出来ていたのかな?

私は基本的にインドアなので、このコロナ

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『太陽の横』

『太陽の横』

山木礼子歌集『太陽の横』(2021年、短歌研究社)を読む。歌集はⅠ連載作品、Ⅱ新人賞受賞作と他作品、という構成のようで、Ⅱのほうが古い作品だが、Ⅰと同時期くらいのもあるのかな?と思うところもある。

帯にあるような、
地下鉄でレーズンパンを食べてゐる茶髪の母だついてきなさい
「日本死ね」までみなまで言はねば伝はらぬくやしさにこのけふの冬晴れ
こういうキャッチーな歌が目を引くが、歌集を通して読むとそ

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『青い舌』

『青い舌』

山崎聡子歌集『青い舌』(書肆侃侃房、2021年)を読む。前作の『手のひらの花火』が2013年刊行なので、8年ぶりの歌集となる。

歌集の最初に妊娠している様子があり、歌集中でも子供はたくさん出てくるのだが、子育ての歌という感じはしない。一般的に子育てを通して子ども時代を辿るということはあるが、この歌集では〈辿る〉というよりも〈生き直す〉感覚が強く、そこが特徴的だと思う。

雲梯をにぎって鉄の味がす

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『昼の月』

『昼の月』

田村元歌集『昼の月』(いりの舎、2021年)を読む。『北二十二条西七丁目』に続く、9年ぶりの第二歌集である。

『昼の月』は2012年から2020年までの作品が収められているとあるので、35歳から43歳までの作品ということになる。前歌集に引き続き、都市で働く歌を中心に、私生活では離婚ののちに新たな伴侶との暮らしが描かれる。

「を」か「も」かで一週間もやり合って稟議のための文書ととのふ
パソコンと

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コンシーラーの旅

コンシーラーの旅

このところ、化粧について彷徨っている。
仕事中にマスク+フェイスシールドをするようになって、顔の汗もすごいし、化粧崩れがひどい。

化粧を全くしないのも、それはそれで通勤とか心許ない気もして、You Tubeのメイク動画などを見漁るなどした。

それで辿り着いた今の時点での一案として、下地+コンシーラーがあまり汚くならないんじゃないかということ。

それでコンシーラーを新調してみた。
ザ・セム チ

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